明けの明星

ラテン語で「光もたらす者」、釈迦も空海もこれを観て悟りを開いたとか。
ちょっと、だいそれたタイトルになっちまったかな。

上野~子規庵~谷中~六義園~とげぬき地蔵尊 その2

2012年06月05日 19時01分16秒 | お出かけ


        上野~子規庵~谷中~六義園~とげぬき地蔵尊 その1は こちら

JR鶯谷駅を過ぎて
言問通りの陸橋を超えたあたりから探したんだけど
なかなか見つからなかった

番地は根岸2-5-11

それもそのはず
およそ似つかわしくない地帯の真っただ中に
それはあったんだ


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子規庵は
明治27年2月からここに移り住み
母と妹を松山から呼び寄せ、書斎、病室、句会歌会の場とし
ついには子規の終生の地となった

子規のまわりには俳人の高浜虚子や河東碧梧桐、歌人の伊藤左千夫や
長塚節などの友人知人が常に集まった

夏目漱石や森鴎外、与謝野鉄幹、島崎藤村などもこの家を
訪れたんだってさ

もちろん
坂の上の雲の秋山真之もだぜよ

明治35年9月19日
糸瓜の句三句を絶筆として34歳11ヶ月の生涯を終えた

子規没後は
母八重と妹律が子規の門人たちと共に
子規庵を守り続けた


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                   我に20坪の小園あり   「小園の記」より  

   
子規庵のある
ラブホテル街を抜け
言問道りをもう一度上野桜木方面へ

途中
谷中霊園内のさく通りから
JR日暮里駅の手前で          

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               谷中天王寺の大仏と泰山木                 

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               日暮里からのスカイツリー


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          夕やけだんだんと谷中ぎんざ
        
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人が大勢いるから
猫はあんまし目立たなかったぜぇ~


          上野~子規庵~谷中~六義園~とげぬき地蔵尊 その3に つづく


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