多摩丘陵から四季便り

オリンパスのEM1に12-40mmF2.8を付けて撮っています。四季の折々の風景をお届けします。

ああモンテンルパの夜はふけて

2007-07-15 11:05:11 | Weblog

皆様は渡辺はまこさんという歌手の方がおられたのをご存知でしたか?この女性は平成11年89歳でなくなられました。武蔵野音大出身の本格的な音楽家でしたが、時代もあり歌謡界で活躍されました。下の本を図書館で借りてきて読みましたが、感動しました。

本の名前は”気骨の女(ひと)、渡辺はまこの生涯、モンテンルパの夜はふけて”。ぜひお読みください。彼女の強烈は生涯が描かれていて、感動間違いないと思います。

 

 

御覧の様に大変美しい方です。代表曲は”支那の夜”、"蘇州夜曲”、”ああモンテンルパの夜はふけて”などです。戦前は戦地に慰問にいかれました。時には家族の止めるのも振り切って、戦地の日本人のために慰問に出掛け一時収容所にも入れられたなど気骨のある女性でした。

 

一方フィリピンは日本とアメリカの激戦地で、日本人が戦後拘束され、マニラから少し行ったモンテンルパ刑務所に入れられ、死刑が執行されたようです。当時日本はフィリピンで多くのフィリピン人を殺したとかで、フィリピンでの日本人の評判はよくなかったようですね。

 

モンテンルパ刑務所に拘束されている方が歌を作って、渡辺さんがそれを歌ったようです。下がその歌のURLです。うまく再生できますか?

http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-aa-montainrupanoyohafukete.html

当時刑務所に多くの日本人が死刑の宣告をいつされるか不安な日々を送っていました。彼女は当時国交のないフィリピンに渡り刑務所内で歌を披露し、刑務所内の日本人の方じゃ涙を流して喜んだそうです。後日彼女の歌の入った、オルゴールを日本人の僧侶の方がキリノ大統領に届けたそうです。大統領はそのオルゴールから流れる哀しく切ない曲を聞いて涙したそうです。彼も奥さんと息子を日本兵に殺されたが、歌を聴いて日本人の死刑をとどまり、全員釈放されたそうです。彼女の歌声が大統領の心の琴線に触れ、彼の心を揺さぶりました。

 

そんな裏話は私も全く知らなかったのですが、あの時期気骨のアル女性の歌手がいたんですね。やはり明治生まれの人は違う。特に女性は強い(苦笑)。

 

今の日本にそんな人は見受けられませんね。政治家の皆さんにはまこさんを見習ってほしいともいます。自己の身の危険を顧みず、人に尽くす。この本を読んですっかりはまこさんのフアンになりました。浜子さんは好きだった横浜の港が見える公園の岡の墓地に眠っておられますが、いまやそこを訪れる人はないそうです。昭和は遠くなりにけり。

 

それにしてもフィリピンと日本はつながりが深いですね。遠い昔、キリスト教徒であった高山右近が日本を追われてマニラにたどり着いてとか。そんなことを感じながらフィリピンを違った目で見るのもいいかも。フィリピンといえばとかく危ない国と思いがちですが、こんなこともあったんですね。