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昨日の母の日に灘区の恒例の「灘のだんじり祭り」12時から開催し、灘区の篠原、都賀、上野、五毛、八幡地区の氏子の「だんじりが」隊列を組み、灘区の町を巡行する出発式に買い物を兼ねて出かけた。
会場は「六甲道南公園(北側)」で出発式のセレモニーが終わり各、氏子の山車が行列のお披露目の最中だった。
我輩の前住地の山車は「五毛天神」に属する上野地区の山車だったと思う。
各地域の山車は若い女性が山車の先頭に乗り込み「わっせ!ワッセ!」の黄色い掛け声で曳き手を煽る。 戦前ではお神酒を飲み若衆だけ山車を引き回し、時には喧嘩山車となったそうだが、平成の年になって時代の移り変わりの光景だ。
5基の山車のご披露が終わると隊列を組んで宮前商店街を通り水道筋アーケード商店街から王子公園南で引き帰るコースでスタートした。
だんじりと言えば朝ドラの「カーネーション」で岸和田のだんじりが有名ですが 神戸東灘区も「だんじり」は盛んで、東灘区の本住吉神社の「だんじり祭り」は神戸市で一番有名で盛んであると聞く、来年は本住吉神社の祭礼には行ってみようかと思う。
何十年も住んでいて、何をして生きていたのだろうと、思いました。
これ}からは、こう言う方面にも目を向けるけたいと思いました、
益々楽しみが増えました。
その頃は、仕事だけ周りを見る余裕が無かったのかな。
だんじりに女の子、全く私の郷里の祭りといっしょです。
私の郷里(愛媛西条)では、以前は女性は全て和服姿で見物にでるだけ、酔っ払った男が群がるだんじりに近寄ることもまれでした。
時代が変わりました。
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神戸はモダンで洋風な街と思っていましたが日本風土にあふれる街と再発見です。
自分の住んでる町を振り返ると色々な昔から続いている風土があります。
自分の住んでる町を知りましょう。
昔は地域の神社単独のだんじりだったようですが阪神淡路大震災後、復興政策として灘区が音頭を取り、「灘だんじり祭り」は氏子神社が合同で行われたようです。
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/nada/miryoku/hyakusen/contents/frame_06.html
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昔は災害や疫病・怨霊(おんりょう)は神様が起こすものと考えられていました。
春・夏祭りはこうした神様をしずめるために行なわれたと考えられていたそうです。
越後新発田でも台輪(ダイワ)と呼ばれる山車の曳き回しの夏の祭礼があり、やはり曳き手が酒を飲み暴れ「暴れ台輪」と言われていました。
現代では酒を飲んで暴れても神様は驚かないので、神様も女性が
他にもたくさんあることを、以前ここで教えていただいたような?
こちらの山車にも女性が多く参加されています。
楽しみの、ぺ-ジを作って加える事のしました。
コメント
祭りとなるとお神輿は東日本、山車は西日本が中心ですが双方も神社(神様)により、違いが有るようです。
神様のお好みで全国に奇祭もあり、近畿の祭りは、この歳になると観て見たい気持ちになります。 古来は現代のように医療や薬も無く、何でも神や仏へ祈願するのが習慣でした。
今でも入試・恋人(婚活)・就職(就活)や長寿祈願を神仏に願いが盛んです。
特に正月初詣でのその年のおみくじで1年をお御籤占いが盛んです。(お遊び心で)
日本の神仏は摩訶不思議ですね。
再度コメント有り難うございます。
我輩は紙切れ1枚での転勤族でした。
全く、遠隔地で風土・習慣での生活ですので、まずその土地の風習や歴史を知ることが大切で仕事の密着に役立ちました。
広島に転勤した時、カープの全盛時代カープが勝つと、ご挨拶も「昨夜は巨人に勝ちました
昨夜は阪神のトラが鯉に競り負けで鯉幟が風に機嫌好く、なびいているでしょー
ローカルNEWSでも、取上げたことがないでしょう。
おまわりさんが写っていないところをみると、おとなしいお祭りのようですね。
見物人もおとなしそうですね。
堺に住んでいたころは、だんじり祭りで有給休暇を消化する人が多かったです。人の確保で大変!
天神まつりの時は、会社が休みになりました。
関西は仕事よりも祭りの土地柄ですね。
だから、衰退した?
大阪の復権を期待しているのですが、喜劇のような政治ショーを演じているように見えます。
明治維新により政治の権力者が江戸へ移り、国の政治・経済や文化の中心は東京へ移り、以来人口増加と経済は東京中心で何でも一番を好む東京です。
しかし近畿は日本古来の伝統文化を守り続けています。
古代から近畿を中心に祭祀の主宰者と政治上の権力者が同一であることから政治は政(祭)事で重要なものと思っています。
難波には数多くの祭りがあります。太閤秀吉はお祭りが好きで、庶民、大衆の人気者でした。 お祭りで人気をとり、巧みに政治を利用したのだしょう。
何でも一番で威張っている東京は好きになりません。 オリンピック招致でますます人(高齢者)・物・金の流れが東京に集中して地方との格差が出てくるでしょう。
「東京のお祭り、頑張ってー」