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藩祖、前田利家は戦国武将だが際立った戦績は無く若い頃「傾奇(かぶき)者」で今風で云えば、かぶき者たちは、一方で乱暴・狼藉を働く無法者として嫌われつつ、武家奉公人だけでなく、町人や武士である旗本や御家人がかぶき者と云われ暴走族のような者たちのようだ。信長の戦場の武勇では「槍の又左衞門」と呼ばれていたが天下取りの柴田勝家の同朋でありながら秀吉の妻、寧々とお松のよしみで秀吉側に寝返ったほうが時代小説などで取り上げられて、「世渡り上手な武将」のようだった。加賀前田藩の前田利長は北陸の西軍大名を制したが、関ヶ原の戦いで東軍に与し、西軍の知将真田幸村にこっぴどく戦われ多くの犠牲者をだしたほうが有名である。 だが伝統的の世渡り上手で外様大名でありながら徳川800万石に次ぐ大藩の大名として維新まで存続した。 石川県人は100万石の金沢を誇りとしている。 “100万石祭り”の主役は「利家と松」そして加賀軍団の行列だが主要地点には利家の乗馬や軍団の小演技がある。以下、その主な画像をランダムにアップしてみた。
加賀前田藩は加賀八家といわれる8人の武将集団(本多家:5万石~前田直之家1万1千石4)で構成せれているが全て1万石以上の大名級の武将で筆頭の本多家政重は徳川家康の重臣本多正信の二男で徳川幕府のお目付け役的な存在のようだ。武将の後には武士や鉄砲隊・足軽が続く。
加賀藩の赤母衣武者は精鋭武士集団で軍の親衛隊で警護や全ての戦略の先頭にたち、退却時は「しんがり役」を務める。 前田利家は織田信長軍団の母衣衆頭だったといわれいる。
送信を受けた画像は以上だが最初に「百万石祭り」観たのが41年前で「京都の時代祭」が頭にあり時代衣装貧弱であり規模も小さく物たりなかったが平成2年に再をび行列にると時代衣装も立派で規模も遜色なく年々充実しているようだが、3年ぶりに“金沢百万石祭り2012”を懐かしくアップしてみました。
良く撮れていますね。
詳しい説明もありがとうございました_(_^_)_
お一人で撮られたのでしょうか?
私は、近くなのに駐車場に入れるのも長時間になりそうで、バスで行くのも面倒で、家でテレビを見ていました。
楽しませていただきました。
(*^-゜)v Thanks!!
コメント
画像は金沢市の高齢者対象の施設のボランテアの83歳デジカメ先生が撮影した画像を送信していただいたがぞうです。
先生には金石サロンで先生に指導を受けました。
(参考金沢市のPCサロン)をご参照ください。
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/23010/korei/center_2.html
岡山でも大名行列やっていますが
規模が違います。
さすが100万石の大名です。
身に着けている鎧なども良いものなんでしょうね。
皆さんのブログ
見ていたら行きたいところばかりで困ります。
コメント
岡山31万石の参勤交代の「矢掛の宿場まつり 大名行列」の画像を拝見すと宿場町の背景でビル街のパレードと違い趣があります。
11月に大名行列のアップ楽しみにしています。