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相楽園の「つじ遊山」を楽しんだ後、南側の「兵庫県公館」が一般公開されているが、ここは一昨年に「兵庫県いけばな展」があり、家内の知り合いの華道小原流の大先生の生け花が展示されているので一昨年訪れている。 兵庫県公館は、明治35年(1902)年に兵庫県本庁舎として建設され、永きにわたり県政の歩みを刻んできた歴史的文化遺産です。館内を見たが歴代兵庫県知事の写真が飾られているのを思い出し相楽園の帰りに立ち寄った。 兵庫県公館は昭和60年(1985)年に、迎賓館と県政資料館を併せ持つ兵庫県公館として整備されてからは「内外からの賓客の接遇、県政の重要な会議や式典に利用される歴史的文化遺産です」とある。
歴代兵庫知事の写真は初代が「伊藤博文」で第22代県知知事(昭和6年官選)に「小柳 牧衛」の写真が飾られていた。 「小柳 牧衛」は郷里新発田の出身で母校の新潟県立新発田高校(旧制新発田中学)の大先輩なのである。
歴代写真の初代は伊藤博文元老で(就任期間、慶応4~明治2年)まだ丁まげに大刀を差している。幕末の幕府は欧米列強国の圧力で交易港として神戸他4港を開港した。 摂津国、神戸港は江戸幕府大阪奉行の直轄の天領であったが明治維新政府(太政官)は交易港として摂津一国では神戸港の維持管理に財政は困難で隣国の播磨、丹波国、さらには但馬国を吸収合併し、瀬戸内から日本海にいたる大きな兵庫県が出来たとされているが、合併には伊藤博文の力が大きかったのだと思う。
昭和33年頃だったと思うが、小柳牧衛(戦前は新潟市長が最後で、戦後は新潟県下越(新発田が中心)2区選挙区で衆議員、参議議員に連続当選し、1981年12月、死去:享年97。)大先輩が80歳後半で、ある会合に来られ1時間ほど世話役をしたことがありが物静かで気品がり尊敬できるご老体と思っていた。 神戸大倉山公園を神戸市に寄贈した大倉喜八朗翁、小柳牧衛、元兵庫県知事は兵庫県/神戸市に郷里新発田に何らかの関わり、ご縁を覚えるのである。
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