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今朝の新聞を見ると一面に「大阪大空襲悲劇の跡」今日、64年・・・・の記事が目を引いた。
“東京大空襲の3日後の1945年3月13日の大空襲(1945年3月13日23時57分~14日3時25分)の約3時間半にわたり、279機のB29は無差別爆撃を行った。大阪の街に1770トンの焼夷弾を降り注いだのだ。一夜にして約50万人が罹災し、13万戸を超える家屋が焼失し、約4000名が命を落とした。”
東京大空襲と同様地方の田舎町にはこのニュースは随分あとのことで大人達の話題にも無かったように思える。 制空権を失した日本は長岡・富山市など地方都市まで爆撃情報が入り我が町に毎日のようにロッキードの双胴、長距離戦闘機やB17偵察機が飛来しその度に学校は下校となった。 4月頃だったと思うが東京大空襲・大阪大空襲で焼け出された従兄弟5人ほど疎開してきて大家族状態となったがこの状況は我が家だけでは無かった。 日本は硫黄島が陥落し4月には沖縄諸島~本島で沖縄決戦となったが6月25日には完敗し本土決戦に全国民が緊張していたのを記憶している。
大人達は「日本は神の国」である鎌倉時代に二度も元寇(蒙古)襲来の時、神風が吹き撃退した「必ず大風がおこり米軍は波打ちぎわで殲滅する」と言っていたので子供たちはきっとそうなると信じていたのである。 いや、大人達もそう願い信じていた。
國民學校の歌 東京音樂學校生徒ほか
(“「神風」は神風特別攻撃隊の神風は、元寇を追い払った神風と同様に連合軍を討つということに由来する。”) 帝国主義による軍政下で止む終えないが天皇を神格した“挙国一致”の精神教育は現代でも爆弾テロを平気で行う国や当時の日本と同じような統一国が今でも存在しているが、今考えると我が少年時代は虚しかったのである。
過去の事を言っても“過去は過去”今やテポドンやノドンなどの弾道ミサイルが何時飛んでくるかも知れない国際情勢なのである。(何を書いているのか解らなくなり夕食の声がかかったので終了します)
・7706歩、 週末は低気圧が発達しながら北陸にきて嵐になりそうだ。
海賊も貧しいからと武装して無抵抗の船舶を略奪、人質をとり莫大な身代金を獲る許せない!とうとう護衛する為ソマリア沖へ海自艦二隻出港していきました。御無事を祈るばかりです。