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昨日9日(金)は地域恒例の「研修の日帰りバス旅行」に参加した。行く先は西国街道播磨路の西播磨の龍野の醤油工場と姫路市の酒造会社(昼食)と平成の大修理を終えた世界遺産・国宝の姫路城見学の播磨路のコースでバスは集合時間8時で8:15分に定刻通り出発した。乗車したバスは今年7月に納入された新車で豪華なトイレ付である。新神戸トンネルから阪神高速から山陽道で西に向かい、山陽道三木SAで20分のトイレ休憩でたつの(龍野)市ヒガシマル醤油工場へ向かった。たつの市のヒガシマル醤油工場は実に広く約2万坪(甲子園球場が2個分)もある広さだそうだ。バスから降りるとホールに案内され醤油につて説明があった。
醤油は日本の伝統調味料で古代は肉醤、魚醤、草醤を発行させたものが醤油とされていた。金沢にいた頃、能登へ行った時、「いるし」と呼ばれる能登地方に古くから伝わる魚醤油があり買って帰ったが独特な魚の腐った臭いがして嫌われ結局捨ててしまった。江戸時代になると中国から僧侶が道返った穀物から発酵させた製法が京都を中心に全国各地に家内製法が出来上がったとされている。京都や関西では薄口醤油で関東では濃口醤油でヒガシマル醤油は関西をだ表する薄口醤油の大量生産工場である。
醤油の学習を終え工場見学であったが敷地内の二階に上がったので同道せず休憩所で待ったいると20分ほどで戻ってきた。 次は姫路城下の酒蔵「灘菊」の見学と旧酒蔵を改造したレストランでのランチで山陽道を東に30分弱ほどバックし灘菊酒造に着いた。研修旅行には何時もコメントをいただく「差綱のジョー爺」さんも参加しており久しぶりのご対面である。
何時お会いしても陽気で元気な「好々爺然」さんも参加しておりお会いするのが楽しい。旧灘菊の見学はどうでも良しで、旧酒蔵を改造したレストランへ気が弾む。
食事メニュウは信長の中国の安芸国の毛利軍勢の備中国の高松城の水攻めで休戦講和を結び、本能寺寺で信長を打ち取り、明智光秀が天下取り、羽柴秀吉が主君の弔い合戦でいち早く近畿へ引き返し、秀吉の居城姫路城で兵士を休憩させ生気回復に因んだ「豊臣御膳」である。
中国大返し御膳は灘菊の大吟醸酒(辛口)付きでサワラの焼き物、鯛の冑煮豆腐、鍋物、オカラその他で麦飯とトロロで大返しの食事は何千名の兵士を労ったのは実際には濁酒とトロロの麦飯程度だったろと想像するが、当時としては大変な馳走だと思う。英気を補給した兵士は旧西国街道を駆け足で武器などは船で旧飾磨港(姫路港)から大阪まで運び、摂津と大和の国堺大山埼の淀川で明智光秀軍と対峙し羽柴秀吉が大勝利したと幾つかの戦国期の歴史小説などである。ランチタイムは80分もあり食後酒蔵の土産店で過ごした。
出発時間が来たのでバスに戻り、次の最後の見学先の世界遺産で今年3月に国宝の平成の大修理を終えた姫路城(別名、白鷺城)へバスは向かったが姫路城はすぐ近くの距離だ。
}Uさんに取りましては、またまた知識を深める楽しい旅だった事でしょう
バス旅行だと、お酒の試飲ができるのでグッドですよね。
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食前酒が灘菊の大吟醸酒で美味しかったです。
バスの中では添乗員さんがワインのサービスで女性も殆ど飲んだのですが、日本酒となると殆んど召し上がらず、あまったお酒は隣席の薩摩のジョーさんに運ばれてきました。
中国路の「おお返しの豊臣御膳」バライテイーで美味しかったです。
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現役時代の社内のバス旅行酒類をドッサリ積み込み、ロクに観光もせずワイワイ飲んでばっかりでした。
マイカー時代は一拍旅行以外はノードリンク。
今回の新車バスはデラックスのトイレ付でしたが、もう缶ビール1本が限度です。
それより、灘菊での大吟醸酒付きの中国大返し御膳とは豪華なランチで素晴らしい。
また、ブログ友との出会いも楽しまれたようで内容の濃いい1日になりましたね。
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智将の黒田官兵衛の作戦もあるでしょうが秀吉の情報網と兵の移動の速さは抜群
料理の名前とブロ友と飲む酒も格段美味しいデナーでした。
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薩摩藩は77万石、新発田は10万石の豊臣に縁のある外様大名で格が違い、藩士にも格差があります。
でも、芋焼酎と米(山田錦)で醸造した大吟醸酒は旨さには格差があります。