健康自由メモ(高齢者の健康メモ)

高齢者の健康自由日記

初詣は高砂へ

2016年01月07日 | weblog

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今日から神戸の公立の小中高の学校は第3学期の始業式だが、正月は外出もせず三が日寝正月で過ごしたが昨日6日、播磨灘の高砂神社へ初詣に出かけた。阪神電車三宮駅から山陽電車で明石海峡大橋を過ぎると直ぐ着いた(所用時間45分)。高砂駅の駅員に高砂神社の場所を聞くと南西で徒歩10分程で着くと言う。 高砂神社には江
相生の松があり「雌株・雄株の2本のが寄り添って生え、一つ根から立ち上がるように見える松だそうで相生の松で雌株・雄株の2本のが寄り添って生え、一つ根から立ち上がるように見えるもので、松は永遠や長寿を象徴することから、相生の松は特に縁結びや和合、長寿の象徴とされることで「相生の松」とよばれ、播磨灘の高砂神社の「相生の松」有名である。(wikipedia) 徳川将軍家の正月には必ず「高砂」の能舞が謡い演じられ、一般でも祝言や祝いの席では一昔前まで謡われていた。
高砂や、この浦舟に帆を上げて。この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で汐の、波の淡路の島蔭や遠く鳴尾(西宮)の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり、はや住の江(住吉大社)に着きにけり


(画像検索引用)

上画像は高砂神社で翁と姥が境内の掃除をしている掛け軸などでよく見かけるものだが「高砂」の物語は阿蘇の神主友成が上京の途中に高砂の浦に立ち寄った際、相生の松の精である老人夫婦と出会うところから始まり、夫婦愛、長寿の理想をあらわした謡曲の代表作だといわれています。(ネット検索)
更にネット検索すると、「
肥後国(熊本県)、阿蘇宮の神主・友成は、従者を連れて都見物の旅に出ます。途中、播州高砂に立ち寄り、浦の美しい景色を眺めていると、そこへ竹の杷(熊手)を持った老翁と杉箒を持った老婆がやって来て、松の木陰を掃き清めます。友成は、有名な高砂の松はどれなのか、また、高砂の松と住吉の松とは遠く離れているのに、なぜ相生の松と呼ばれているのかと、尋ねます。老翁は、この松こそ高砂の松だと答え、たとえ遠く離れていても夫婦のなかは心が通うものだ、現にこの姥はここ高砂の者、私は住吉の者だと言います。そして、老夫婦は、相生の松が万葉古今で歌枕に詠まれていることなど、さまざまな故事をひいて松のめでたさを語ります。やがてわれわれは、実は相生の松の精であることをあかし、住吉でお待ちしていると、小舟に乗って沖の方へ消えてゆきます。」 良くは解らないが、つまり健康で長寿の寿命を成し遂げた人生を神の国に導かれる例えとして理解している。
神戸で後期高齢者となり何時かはお参りしてみたいと思っていたので、今年の初詣は高砂神社詣でしたのである。

高砂市内商店街をブラぶら歩きで15分ほどで着いたが神社門の前には大き石鳥居があり、初詣の参拝がピークを過ぎたのか境内参拝客はまばらでひっそりしている。

初詣の祈願詣で本殿へ向かった。

 

 

 



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4 コメント

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趣のある神社ですね7!! (もこ)
2016-01-08 06:00:06
こんな神社も有ったのですね 静かでゆっくりとお参りするにはいいところですね、「おまえ100までわしゃ99まで」 と言うのを良く聞きますがとっても綺麗な絵ですね
私は孫の巫女姿を見に生田神社に行きました2日でしたので鳥居の後ろからずウと並んでいて一杯の人手でした 喪中なので鳥居はくぐらず横から入り
孫だけを見て帰りました 忙しくしていました
こんなに沢山の神社が有るのですね 来年は静かな所でお参りをしたいです・・・・・・
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お孫の巫女姿 (Uchan)
2016-01-08 14:34:59
<もこサンへ>
コメント
新聞によると生田神社の初詣参拝者が155万にとかですが、お孫さんの巫女姿みられて良かったですね。
Uちゃんは三が日は何処も出かけず、脚の具合が少しおかしくなりました。
初詣は人出を避け長寿を願い、高砂神社へ
年を取ると誰でも長寿に願かけ詣でをするようです。
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初詣 (薩摩のジョー爺)
2016-01-08 15:27:11
毎年、生田神社、湊川神社、長田神社と初詣していますが、「高砂」の祝言の高砂神社とは知りませんでした。静かな雰囲気のようですね。 お参りに行ってみます。 元旦は着物姿で自分でも驚くほど祝い酒をいただきました。  体に気を付けて情報を発信してください。 
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初詣とお神酒 (Uchan)
2016-01-08 17:35:31
<薩摩のジョー爺さまへ>
コメント
着物姿で神戸の三神社へ梯子の初詣とお神酒ですか。
着物姿で神戸の三神社へ梯子の初詣とお神酒ですか「お神酒は薩摩の芋焼酎」でっカー。
まだまだ、長寿の気配は衰えまへんナー。
謡曲の「高砂」祝言のは明治、大正、昭和の終戦前後数年まで宴席で謡ったら嫌われる時代となりました。
 我が結婚式では「高砂」が謡われたか記憶にありません。
 ただ、京都(金剛流)と金沢(加賀宝生流)で結婚式に招待された時は謡われたの覚えています。
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