時々12/7℃
翌朝は8時なのだが時間になっても孫たちは姿を見せないので仲居さんから電話で呼び出してもらい朝食となった。食卓の「新もの一夜干しでびらかれい」は日本海の但馬や丹後地方の名産品で美味しく、酒の肴の我輩の好物である。朝食を終えると高校生の孫は旅館前の外湯「一の湯」が最後だだと言って出掛けたが七外湯を全部入浴したが良き思い出になる事だろう。10時にテックアウトし記念撮影をして豊岡市の円山川の土手を走り途中海の駅へ入り土産品を物色した。
出石(いずし)地区の蕎麦を食べに車は走り15分ほどで着いた。出石の街は但馬国出石藩5万石の城下町で豊岡市出石伝統的建造物群保存地区である。
蕎麦(切りソバ)は日本の全国に何処にでもある代表的な日本料理であるが信州蕎麦や出雲蕎麦が有名だが、出石地区は蕎麦が美味しいと近畿地方で評判だが初めて訪れるが出石観光ガイドブックによると37のソバ店舗があり店先は昼時もあって何処の店も行列状態だ。婿殿が準備宜しく「たくみや」ソバ店に予約を取って入ったが家族連れの予約客で満席でそれでも15分程待たされた。
席に案内され出されたソバは皿ソバで5皿で一人前で、鶏卵、トロロ、薬味とワサビは山ワサビで自分でスリおろして食べる。二人の孫は21皿と22皿を平らげたが家内は5皿、我輩は8皿が限度で娘夫婦は10皿前後食べ出石の街並みを散策した。
出石やきのあり出石の皿ソバ店はまだ観光客が並んでおり、辰鼓楼は昔は太鼓で時間知らせてが、明治時代に様式時計となった。辰鼓楼の後ろには但馬国出石藩の城跡が見えてきた。出石ソバは)信濃国上田藩より但馬国出石藩に国替えとなった仙石政明が、蕎麦(信州そば)職人を連れてきたことに始まるとされるそうである。(Wikpedeiaより)
播州赤穂藩の城代家老大石内蔵助の奥方大石りく、は但馬国豊岡藩京極家の家老石束毎公の長女として生れ内蔵助に嫁赤穂浪士を陰で支えたとされるぎ賢女の香林院である。土産店の小母さんに「出石には12月に義士祭が有りますか?」と訊くと「有りません毎年10月に「大石りくまつり」えたとされるがあります。」と言った。大石りくは出石藩主より豊岡市民に親しく愛され、祭られており、忠臣蔵の物語は凄いものである。
豊岡市は日本一の革鞄の産地であるが皮製品鞄と小物の直売所に入ったが我輩には用が無かったので待ち合わせ場所を決めて外に出て但馬牛の肉饅頭とカニ饅頭の売り場で肉饅頭を食べたが神戸南京町の豚饅頭より美味しいと感じた。
饅頭を食べていると皆戻ってきたが雨がポツリぽつりと降ってきたので駐車場に戻り、一路帰路についたが六甲山系の三田市にくると雨は止んだ。家まで車で送ってもらったのが16時半頃で年越しそばは出石そばを食べたので夕食は簡単に済ませ車の疲れが出たのか21時過ぎに眠りについたが今年はで最高のハッピーな年越しでした。
明けましてオメデトウ御座います。
年末は楽しく過ごさせていただきました。
正月詣りは人混みを避けこれからです。
今年も相変わらず宜しくお願いします。
兼六園やその他の金沢情報発信を期待しております。
2016年が始まいもした!
爺様、いけな正月を過ごしやっとですか?
今年も元気に楽しゅきばいもそや。
年末ですのに賑わっていますね 私が行った時は時期はずれと言うか淋しかったです 良い年末をお過ごしに成りましたね
今年も健康に気お付けて楽しい話題をお届け下さい
掛け軸の意味 さっそくお調べ頂いて有り難う御座いました
私も調べたのですが{ よく解らなかったです
その時のお礼はメ-ルしています・・・・・