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本殿に行き神殿前は我が老夫婦だけでお賽銭をあげ鈴をならし「二礼二拍手一礼」で家族の健康長寿祈願した。礼拝を済ませると中老の夫婦と若い女性も祈願し、高砂市の事業所グループと思われる10数人が来て巫女さんに神殿に案内されお祓いの神事を受けていた。
《神社の由緒》
社殿神功皇后が外征のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげられた。帰国の途中、この地に船を寄せられ、国家鎮護のため、大己貴命を祀られたのが高砂神社の始まりです。その後、天禄年間(970年~972年)国内に疫病が流行し、庶民が苦しんでいた時、神託によって素盞嗚命と奇稲田姫命を合わせ祀ったところ、疫病がたちまち治まったので、庶民は喜んでお礼参りをした。「高砂牛頭天王、祇園社、ぎおんさん」と呼ばれるようになった。文禄元年(1592年)豊臣秀吉は朝鮮出兵のとき、この神社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられ、高砂神社の境内には松があります。その根は一つで雌雄の幹が左右に分かれています。二神が現れ、我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さんとのお告げが。これにより神木霊松と讃えられました。この二神を尉と姥として、結婚式にはなくてはならないものになりました。「お前、百まで、わしゃ九十九まで」と唄われた尉と姥は、平和と長寿の象徴とされています。さて、相生の松は何処にあるのだろうと思い神門の前に、しめ縄の木があったので戻ってみた。
この木は樹齢千年を超える「ご神木いぶき」で阿蘇の神主友成が上京途中に高砂の浦に立ち寄り、その時友成が杖にしていた木を地面につきさしていたところ芽をふき、現在の「神木いぶき」として言い伝えがあり境内にその姿をとどめている。画像で見る「相生の松」とは違う。神社境内を一巡すと本殿右横の0霊松殿のすぐ前にあった。
高砂神社の松は、あるとき、1つの根から雌雄2本の幹をもつ松が境内に生えた。この松は、尉(伊弉諾尊)と姥(伊弉冊尊)の2神が宿る霊松とされ、相生の松と称された。初代相生の松は天禄年間に、2代目は兵火によって天正年間に枯死したと伝えられている。本多忠政がこれを惜しみ、遷宮の際に3代目の相生の松を植えたと言われている。3代目相生の松は大正13年に天然記念物に指定されたが、昭和12年に枯死、幹が霊松殿で保存されている。現在は5代目の松が枝を張っている。(神社社伝)
相生の松とは、雌株・雄株の2本の松が寄り添って生え、1つ根から立ち上がるように見えるもの。また、黒松と赤松が1つの根から生え出た松のこと松は永遠や長寿を象徴することから、相生の松は特に「縁結びや和合、長寿」の象徴とされる「相生の松」とよばれる。(ネット調べ)
日本では松は不老不死の象徴として珍重されることで目出度い樹木とされている。
だが松にも時を経れば上画像のように朽ちてしまうが相生の松の遺伝子なのか松の一木がらニ木が生えている。
高砂神社の旧神社格は縣社だが境内は広く、境内社は住吉三神ほか13社が祀られ、江戸時代の高砂の発展の功労者の工楽松右衛門の銅像等があった。裏門から神社を出て神社は播磨灘の高砂浜にあると推測したが浜辺どころか埋立られ、播磨臨海工業地域で播磨灘は全く望むことは出来ない出来ない。初詣を終えブラリ駅へ歩いたがすでにお昼ご飯過ぎていたが途中に[西友ストア]のモールビルがり食事とした。高砂市は社会人野球の都市対抗野球1の出場の常連チームで高砂市を盛り上げてる。モール街はまだシャッターを降ろした店が多く中華料理店だけで、年末には出石の皿ソバで初詣は長寿の縁起をかついで(長いものを食べるとし)「イカチャンポン麺」としたが美味しかった。
サイトが少し長くなったが明日から三連休、関西の主要神社では十日「えべっさん」(宵戎、本蛭子、残り恵比寿)で福を授かり、神社も賑わい、関西では「えべっさん」が終わらなければ正月気分は抜けないのである。
大きな神社の割に参拝客は少ないようですね。
これで長生き出来ますね。
広い境内の何んとも言えない風情の有る松 行って手を合わせたいそんな気持ちに成りました
良い物を見せて頂きました
Uさんはきっと 不老不死 長生きしますよ お元気で居て下さいね お昼のチャンポン麺 バランスの取れた麺ですね 美味しそう
何歩 歩かれたでしょうか
コメント
高砂市は人口10万人弱市です。
近くのお店屋さんに「初詣少ないですね」と訊ねると、賑やかなのは元旦だけで、後は若者達は初詣の長寿の願いはまだ早いので神戸の生田、湊川や長田神社へ遊び傍ら、神社詣でに出かけます。
JR高砂駅の方が少し賑やかだそうです。
高砂神社に「長生きできる。」か」どうかは「信じるも良し、信じせざるも良し」でしょうか。
コメント
人出も少なく、楽な初詣でした。
兵庫県(神戸)は歴史も古い街でモダンな街で好きな街になってきました。
「不老不死」はあり得ませんが相生の松でも何時かは枯れてしまいます。 紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げた最初の皇帝となった始皇帝は不老不死の薬を世界中に求め探しましたが駄目で49歳であの世に行きました。
でも、果実の桃が不老の薬たと知り、死後は「桃源郷の世界」で美女に囲まれで過ごしているとされいます。