昨夜、いえもう今日になっていた。広島で原爆にあった方の手記を聞いた。
これまでも同じようなはなしを何度も聞いたことがあるが、それぞれ想像を絶す悲惨なはなしである。生涯忘れられないはなしだ。
私は終戦は小学4年生だった。戦争を知っている最後だろうな、と思っていた。
その私といくつも違わない方の手記。涙が後から後から頬を伝って落ちた。
何でもすぐに忘れるが、この話は忘れることない記憶になると思う。
広島に原爆が投下されてから63年。63回目の原爆記念日である。
あの頃は、14~5才でも立派な大人並みの働きをしてたんだ。
私の戦争体験は、毎夜のように空襲で逃げ回ったたこと。遠くで燃えていてもさほど怖くはなかった。そんな中で照明弾の投下で真昼のように明るいことがあった。もう怖くて震えが止まらない。子供心に歯がガタガタなるのが恥ずかしく、いくら止めようと思っても止まらない。横で弟の歯のなるガタガタ音聞いて、ああ怖いのは私1人でないと妙に安心した。このことは普段は忘れているが、事あるごとに思い出す。決して忘れない出来事なんだ。
戦時中は勿論、戦後のないないずくしの生活、そんな中で「新しい憲法のはなし」B5ぐらいのパンフを貰った。これが教科書で、新しい印刷物を貰ったはじめだった。毎日毎日戦争の放棄、天皇は国家の象徴である。と教えられた。
今にして思えば、先生にも戸惑いはあったと思う。子供の私たちもこれまでと180度違う(反対のこと)学習に戸惑いどこらか、何で、何でと疑問ばっかりだった。そのうち思想というか、考えることにも違和感がなくなり、新かなづかいにもなれていった。教育の大切さ、恐ろしさ身をもって実践した1人ぜある。