『船中八策』は後世の捏造である、と多くの近代史専門家が考えている。
理由1:坂本自身による自筆も、龍馬から『船中八策』を聞いたとされる長岡謙吉による自筆も、十分に信用できる写本も存在しない。
理由2:坂本本人の手紙や土佐海援隊の日誌を含め同時代人の手紙・記録・証言などに一切登場しない。なのに、明治になってから発刊された坂本の伝記『阪本龍馬』(何故か〝坂〟ではなく〝阪〟)に突然現れる。
理由3:内容が、『船中八策』より後に坂本が実際に作成したことが間違いない『八義』(所謂『新政府綱領八策』)よりも充実している。
坂本を斬った京都見廻組(きょうとみまわりぐみ)は、京都守護職であった会津藩主松平容保(まつだいら かたもり)、あるいは京都所司代を勤めていた容保実弟の桑名藩主松平定敬(まつだいら さだあき)の命令で、彼らの正当な警察活動の一つとして殺害を実行した。よく言われるような「暗殺」などではない。「凶刃」という表現は不適切である。
以下、iZaより引用。
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200議席へ「船中八策」 次期衆院選 橋下市長が公約着手
SANKEI EXPRESS
2012/01/30 00:19更新
大阪市の橋下(はしもと)徹市長(42)は1月29日、自身が率いる地域政党「大阪維新の会」の国政進出をにらみ、次期衆院選用のマニフェスト(政権公 約)づくりに着手していることを明らかにした。幕末の志士、坂本龍馬(1835~67年)が示した国家構想「船中八策(せんちゅうはっさく)」を引き合いに、市役所で記者団に「維新の会で船中八策を作る。もう僕がアウトラインを作り始めている。国のシステムをどう変えていくのかを示す」と述べた。民主、自 民両党の支持率が低迷する一方で、民意の新たな受け皿として第三極への期待感が高まっている中、橋下氏は天下取りへ向けてさらに大きな勝負に出る意向とみられる。
■「大胆に税制リセット」
船中八策は1867年に坂本龍馬が起草した8カ条の国家構想で、憲法制定、上下両院議会の設置、海軍力の増強、不平等条約の改正など、当時としては画期的 な事項をうたった。土佐藩主、山内容堂(やまのうち・ようどう、1827~72年)に大政奉還を幕府に説得するよう建白するため、上京する船中で書いたことから、この名が付いた。
(後略)
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