メガリス

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悪質龍馬業者への加担はお止めください。テレビ朝日『ぶっちゃけ寺×Qさま』樋口圭介さん

2015年10月27日 03時14分06秒 | 幕末維新

 平成27年10月26日(月)にテレビ朝日系で放送された『ぶっちゃけ寺×Qさま』(ゼネラルプロデューサー樋口圭介)で坂本龍馬を取り上げていた。
 “相変わらず”と言うしかないが、架空のウソ話「龍馬伝説」を、ほぼなぞった内容だった。
 普通に調べれば“坂本龍馬が大政奉還に尽力し成し遂げた”とか“「亀山社中」が日本初の商社である”というような話がフィクションに過ぎないことはすぐに判る。
 大政奉還策は幕臣大久保一翁(おおくぼ いちおう)や福井藩主松平春嶽(まつだいら しゅんがく)らが発案提唱したもので、龍馬は彼らからの受売りの大政奉還策を地元土佐藩浮揚の一手として後藤象二郎に示しただけである。大政奉還に関して龍馬がしたことはそれだけだ(実は、この話にもちゃんとした根拠は無い)。龍馬は他には一切「尽力」などしておらず、彼が大政奉還を「成し遂げた」わけではない。それどころか、後藤象二郎が大政奉還実現の為に奔走していた時期に龍馬は所謂「武力討幕派」に擦り寄っていて、長州の木戸孝允(きど たかよし)への手紙に“武力討幕派の乾(板垣)退助と相談し、後藤は土佐か長崎に引っ込める”旨の何の実力も無い彼に出来もしないハッタリを書いたりしている。
 所謂「亀山社中」は薩摩藩家老小松帯刀(こまつ たてわき)が長崎に赴任させた薩摩藩お雇いの臨時職員の集団である。彼らは薩摩藩から給料を支給されていた。「亀山社中」には「商社」などと呼べるような実態は無い。最初にそういう主張をした当人が後にその説を撤回している。
 「亀山社中」という呼び名も明治以降の創作である。自分らでは「社中」と言ったり、外部からは「坂本社中」と呼ばれることもあった。「社中」というのは“仲間”とか“グループ”といった意味の、当時はごく普通に使われていた言葉である。秘密結社でもあるまいし、独立した組織らしい名称が無いのは、独立した組織ではないという証拠である。

 龍馬殺害事件も今では「(幕末)最大のミステリー」ではない。
 京都守護職の任にあった会津藩主松平容保(まつだいら かたもり)〔或いは、正式な命令系統からは外れるが、彼の実弟である京都所司代を勤めていた桑名藩主松平定敬(まつだいら さだあき)〕の「御指図(おさしず)」により、彼の配下の警察組織であった京都見廻組(きょうとみまわりぐみ)が殺害した、というのが歴史学者の間で定説となっている。未だに「後藤象二郎黒幕説」「薩摩藩黒幕説」などを主張しているのは、他人と違う話を書いたり話したりしたいという作家や研究家を自称する素人だけだ。”源義経が大陸に逃れてチンギス ハーンになった”という「説」と同じようなモノである。
 京都見廻組は警察組織たる彼らの公務として「坂本龍馬を捕縛せよ。手に余る場合は殺害してよい」という上司命令に従って行動したのであるから「暗殺」ではない。また命令を出した会津藩主松平容保(又は桑名藩主松平定敬)も「黒幕」などではない。

 番組内で“土佐勤王党が倒幕を主張し結成された”旨の話が出ていたが、全くのデタラメ。それがもし事実なら忽ち「謀反」のカドで全員捕縛され切腹か死罪になっている。
 土佐勤王党結成時の目標は「破約攘夷」である。即ち幕府が諸外国と結んだ条約を破棄し攘夷を実行することだ。
 “その為に、個々の志士で行動するだけではなく、土佐の藩論を攘夷で纏め藩全体で攘夷を実行する”というのが、発起人の武市半平太(たけち はんぺいた。サムライせんせい)の構想だった。結党時に勤王党に属していた龍馬が後に脱退し更に脱藩したのは、武市半平太の現実的常識的な方針に対し、口先だけだが過激な武闘派攘夷青年だった龍馬が物足りなさを感じたからだろう。「そんな呑気なことでは埒が明かんぜよ!すぐに行動し異人をぶった斬るぜよ!」とか思っていたのだろう。

 “架空の幕末スーパーアイドル坂本龍馬”を金儲けのネタにしている「悪質龍馬業者」の連中は、坂本龍馬の商品価値を落とさない為に、とうに明らかになっている史実を無視し架空のウソ話「龍馬伝説」の拡大再生産に必死になっている。『ぶっちゃけ寺×Qさま』ゼネラルプロデューサー樋口圭介氏はそんな「悪質龍馬業者」連中に加担するつもりなのだろうか?バカなことはお止めになるべきだ。

 だだ、架空のウソ話「龍馬伝説」を“ほぼ”そのままなぞった内容だったのは事実だが、従来の坂本龍馬を扱ったバラエティ番組と比較すると良い方向への変化を感じる点もあった。

 “坂本龍馬が薩長の和解連携を発案し、彼が仲介して気乗りしない両者を説得し手を結ばせた”というウソ話「薩長連携発案仲介伝説」は全く登場しなかった。簡単な年表が映され其処に「龍馬の人生」として「1866年(32歳)」に「1月 薩長同盟締結」と書かれてあったのみで、其の他ナレーションなどでは一切触れられず「薩長同盟」のサの字も出てこなかった。
 また大政奉還についても「成し遂げた」「尽力した」と語られただけであり、“大政奉還を龍馬が発明し、彼の奔走で実現した”というウソ話「大政奉還発明奔走伝説」をそのままの形では紹介しなかった。
 『ぶっちゃけ寺×Qさま』ゼネラルプロデューサー樋口圭介氏も或る程度は史実を認識しており、それを完全無視はしていないようである。

 別に気になったことが一つ有る。
 番組中、原作:武田鉄矢 作画:小山ゆうの萬画『お~い!竜馬』の作品内容が何回も画面に登場したのだが、画面右下に「©小山ゆう/小学館」と表示されているだけで、「原作」の武田鉄矢氏の名前は紹介されなかった。『お~い!竜馬』の表紙が映された時に其処に武田鉄矢氏の名前が印刷されているのが判っただけである。
 何故なのだろう?権利関係の問題にはテレビ屋さんは非常に敏感なはずだ。ミスでそうなったとは思えない。
 一部の絵(とセリフ)を出すだけなら「原作」については表記しなくてよいと判断したということなのだろうか?
 或いは、龍馬ファンとして知られる武田鉄矢氏が、
司馬遼太郎の空想歴史小説『竜馬がゆく』の武田流焼き直しである『お~い!竜馬』に関して自分の名前がテレビで改めて紹介されることを拒絶したのだろうか?もしそうだとするなら、実に興味深い注目すべき事実である。