メガリス

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西郷隆盛はむしろ「征韓論」者である。ハンセンヘーワ馬鹿ではない。

2016年09月03日 13時20分53秒 | 幕末維新

〝西郷隆盛は話合いにより朝鮮問題を解決するつもりで、征韓など全く考えていなかった。西郷は平和的「遣韓論」者である〟と主張する人々がいる。西郷を擁護しているつもりなのだろうが、見当違いも甚だしい。西郷を日本の行く末を考えない〝ハンセンヘーワ馬鹿〟に貶めてどうする。

 朝鮮問題に関して西郷にとって特に重要だったのは次の二点と私は推測している。
 一つ目は、礼を尽くした交渉を経ずにいきなり派兵して天皇と日本の名を汚すというような事態を絶対に避けること。
 二つ目は、自分の命を賭しても必ず朝鮮を開国させ修好を結んで謂わば「日朝同盟」を作り上げ、更に日本・清国・朝鮮が合従協力し欧米列強特にロシアに対峙するという「日清朝三国合従」実現の手始めとすること。

 征韓論争中、黒田清綱に西郷が大意次のようなことを言っている。「朝鮮の事は心配要らない。帰りにはロシアまで行って同盟を結んでくる。」もちろんロシアに行く前には清国とも話をすることになろう。朝鮮さらに清とも話をつけ日本・清国・朝鮮三国合従体制を作りあげ、その上で仮想敵ロシアとも同盟和親関係を結ぼうというのである。

 西郷は拳銃の入手を側近の別府晋介に依頼している。自決用と思われる。板垣退助への手紙に「朝鮮で自分は殺される」と書いたが、朝鮮との交渉に失敗し且つ殺されなければ自決するつもりでいたのだろう。殺されようが自決しようがとにかく天皇の正式な使節である自分が朝鮮で死ねば、当時の(元)武士の感覚や帝国主義時代の世界の常識に照らして、朝鮮出兵の大義名分が内外に対し十分に示せると考えたのだろう。

 西郷は談判による平和的解決と軍事力による征韓と両方の場合を考え検討していた。
〝西郷は朝鮮との戦争は全く考えていない平和的「遣韓論」者である〟という言い方は、日本のみならず東アジア全体の安全保障まで深く考え自ら行動・実現しようとしていた西郷に対する侮辱ですらある。西郷隆盛を本当に「顕彰」したいなら、事実関係を無視した其のような愚論はさっさと引っ込めるべきだ