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東大の教養:東大(生)vs爆笑問題

2006-07-16 20:12:46 | 教育
 昨深夜、私が唯一欠かさず見ているドラマ「チャングムの誓い」の後にNHK特集「東大生vs爆笑問題」をみた。
タイトル「東大生」と異なり、主な討論はほとんど東大小林教授と爆笑問題太田のやりとり。私の世代は「東大全共闘vs三島由紀夫」の劇的な討論会が頭にあるので、こんな大学側に組織された討論会にのめのめと出てくるほど自立性を失っているのか!今の東大生は!と愕然とする思いがある。でもそれはそれ、この子達が団塊の世代がいなくなる10年のうちにこの社会の主役になる。その時には気がつくであろう(と期待したい)、彼らが本当のエリートならば。
 大学における教養教育をテーマとして東大の駒場で開かれた討論会である。90年代、日本の東大以外の全ての大学から教養課程あるいは一般教育が、大綱化の名のもとに消えた。その東大で改めて教養を問うている。
しかし、見ていると東大は教養を背負いすぎている。「ねばならない」が強すぎる。そのことを爆笑問題が鋭くついている。
 「東大はエリートでねばならない」という、小宮山学長のメッセージによって東大生の「勝ち組」意識をくすぐり、鼓舞する。そのことに対して爆笑問題太田が強烈に反発する、あるいは東大生をピエロ化する爆笑問題。
東大と一般人との益々の乖離を警告する爆笑問題。
 ここはテーマの教養とはちょっと異なるが面白い。なぜなら東大生は受験戦争を勝ち抜いた「勝ち組」である、と誰しも認める評価と、人生の「勝ち負け」はそんな受験だけで決まるものとは別であるという、これもまた多くが認める事実の、特に後者に関わる東大スタッフ陣の認識のずれへの強烈な反発が見事に現れたからである。ある意味、東大に入った以上は全ての成功者になりたい、あるいはそういう人材を輩出したいという、東大側の願望が見事に丸見えだからである。そう思いたいということは事実はそうなっていないという現実の反映である。だから自らを「エリート」と叫べば叫ぶほど、ピエロとなり、裸の王様となる。そのことを爆笑問題は鋭く突いたのである。
 もっと自然になったらどうか?東大のみなさん。と思った。そんなに気負うことはないでしょう。本当の「エリート」は自然体ではないの?と。
 教養とはなんぞや?これはかなりいい議論であった。ほとんど同意である。
自分で必要と思った時、はじめて身に付く。これは両者の共通した見解であった。そこに大学はどのように手を添えるか?
である。
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