日本の科学の推進体制は複雑である。その課題の重点項目は国策あるいは政策的重点項目として設定される。それは総合科学技術会議という総理大臣を長とするところで決定される。政治と経済の論理に大きく作用される。かつて文部科学省での議論はより長期的展望を持っていたが、なんせ官庁の中で一番弱い。財務省に睨まれたら蛇に睨まれたカエル状態。このようなことは、科学の自己発展の論理によってドライブされる重点項目ー<知のフロント>とは必ずしも一致しない。そこでいつも矛盾が起こる。この両者のバランスをうまく取らないと科学の健全な発展はなく、国の求めるノーベル賞受賞者の増加などおぼつかない。
一方、日本学術会議という科学者の側からのbottom-up機能を主とする組織がある。これも総理府所管。しかし、科学者というのは全体を俯瞰するのは苦手であり、自分の関与する科学こそ一番重要である、と主張する。しかし、そのような主張は必ずしも説得力を持たない。大衆のエゴイスティックな要求とかわらず、政策実行者からは「何でも反対の野党と変わらない」と移る。そこでもっと説得性を持って、全体を俯瞰して自己の正当性を主張でき、科学全体の発展に資するbottom-up集団を求めて、学術会議というものは再編された。しかし、私の専門に関わる分野の議論を見ていると従来とほとんど変わらない。
正当的bottom-up機能を強化する絶好のチャンスであるのに、である。学術権威の最高機関であるべきところで、低レベルの自己の専門分野の狭い利益をめぐる議論をしているのだから、まずいね、これ。
私などのように基礎科学分野にいると、この大混乱は非常にまずいね、と思う。これではせっかく学問の境界を越えて新しい流れを作ろうとしている重要な科学の流れを阻害し、20世紀前半型の狭い専門領域のみが生き残り、新しい流れは海外へ流れる空洞化が繰り返されるね。
今週は、そんなことにも口を出さねばならない。とほほ。
一方、日本学術会議という科学者の側からのbottom-up機能を主とする組織がある。これも総理府所管。しかし、科学者というのは全体を俯瞰するのは苦手であり、自分の関与する科学こそ一番重要である、と主張する。しかし、そのような主張は必ずしも説得力を持たない。大衆のエゴイスティックな要求とかわらず、政策実行者からは「何でも反対の野党と変わらない」と移る。そこでもっと説得性を持って、全体を俯瞰して自己の正当性を主張でき、科学全体の発展に資するbottom-up集団を求めて、学術会議というものは再編された。しかし、私の専門に関わる分野の議論を見ていると従来とほとんど変わらない。
正当的bottom-up機能を強化する絶好のチャンスであるのに、である。学術権威の最高機関であるべきところで、低レベルの自己の専門分野の狭い利益をめぐる議論をしているのだから、まずいね、これ。
私などのように基礎科学分野にいると、この大混乱は非常にまずいね、と思う。これではせっかく学問の境界を越えて新しい流れを作ろうとしている重要な科学の流れを阻害し、20世紀前半型の狭い専門領域のみが生き残り、新しい流れは海外へ流れる空洞化が繰り返されるね。
今週は、そんなことにも口を出さねばならない。とほほ。