石川 博雄(記憶の作り方)Hiroo Ishikawa (How to make the memory)

オイラと妻とチクワ(11歳めす猫)ムギ(9歳おす猫)マメカン(7歳おす猫)二人と三匹のその日暮らしアレコレ

Good night

2012-10-28 | 独り言


今日は これにてさようなら・・・・明日からは通常ブログで・・・という予定です。

10月28日(日)

2012-10-28 | 独り言
10月25日午前9時11分にオイラの父親(ブログではジー様)が亡くなりました。
前日の24日夕方にジー様の病院へバー様と一緒に見舞いに行くと、いつものように寝ていました。バー様が「ジーチャン」と呼びかけると眼を一瞬開けますが、また閉じてしまいます。「こりゃあかんな!看護師さんに聞いてくる」と言ってバー様が馴染みになった看護師さんを連れてくる「石川さん!次郎さん!」と呼ぶかけると眼をパッチリ開いて「おお!」と声を出すではありませんか「石川さん!大丈夫!」と問うと「大丈夫」と言っているだろうなぁ分かる言葉を返すのです。オイオイ!ジー様よ若い看護師には答えるが、オイラ達には答えんのか?目を開けたら「なんだお前たちか」と思って目を閉じてるんじゃないだろうなぁ・・・バー様は「ちゃんと喋れるやないか!ワシが毎日来とるのを何と思っているじゃ」と説教をしますがジー様は目をとじてしまいます。オイラはジー様となかなか面と向かって話す話題がみつかりません。それでジー様がファンだったドラゴンズの話をするのです。ちょど24日は権藤投手コーチが来期の契約を結ばないということでスポーツ紙の一面を飾っていましたので、その話題をジー様の話ました。ジー様は怪訝な顔をして目を大きくするのです。考えてみればドラゴンズがCSシリースで勝った時は話をしますが、負けた時は話をしません。ジー様はどうして勝ってばかりいるドラゴンズの権藤コーチがクビになったのか理解できなかったかもしれません。
25日はNHKの朝の連続ドラマが終わりのんびりと散歩でもするかと考えていた時にオイラの携帯に着信があり、病院の発信番号が通知されたので、ジー様がイカンなと直感的に感じた。息が荒いのですぐ来てください急いでくださいと切羽詰まった声です。バー様は洗濯物を干してから行こう!とのんびりした事を言いますが、「そんなものは、どうでもよいからすぐに行くぞ!」と病院へ急いだ。病院へ着くと病室が変わっていて看護室の前の部屋に移されていた。部屋へ入ったら看護師が一人付いていてくれました。「大変残念ですが、たった今息をひきとられました」と頭をさげた。。ジー様の顔色は真っ白でした。バー様もオイラもジー様の顔に当てたら暖かだった、人の死を身近に体験したことは今まで皆無です。死というものが、真っ白い顔、真っ白な腕、真っ白な脚をみて人間の死は真っ白になることなんだと感じた。
それから病院長が病室に訪れて経過説明を話してくれた。そして仕事に出ていた妻も病室に入ってきた。
これからが流れ作業的で、葬儀社を決めてなければいけません。そしてジー様をいったん自宅に帰るのか、それとも葬儀会館に直接運ぶのか決めなくてはいけません。そしてジー様の身体からいろいろなチューブを外してストレッチャーに乗せて病院の予備室(霊安室)に運び、そこからは葬儀社の車に移し替えて運ぶのです。その時、病院の裏口の扉を開けたら黒いスポーツカーが一台置いてありました。たぶん日産のフェアレディーZです。院長の車だなぁ・・・と感じて見送りにきた病院長を見た。儲かっているんだろうなぁ。オイラもジー様を見送りに来て何を不遜なことを思っているんだ。そしてジー様は自宅へは帰らず会館へ直接入ることになった
そして26日は友引に当たりましたので葬儀は27日になりました。
3日間をとおしてジー様とのお別れの時間をすごしました。
葬儀にはいろいろな考えがありますが、一般の人も親戚からの香典は一切頂かないことにしました。
そして親族だけの葬儀としました。
それはジー様とバー様の考えでもありオイラも親しい人だけで別れを惜しんだ方が良いと考えていましたので家族葬でおこないました。


ジー様の葬儀の詳細については順次UPしてゆきます・・・とにかく疲れ果てしまったというのが実感です。

葬儀は疲れるとは聞いていましたが・・・・疲れた~!


オイ!水臭いやないか!何で知らせないと怒っている方がいたらごめんなさい!



体重=55.6Kg