角を曲がるまでしばらくsusukuniさんにお見送り頂き
サプライズ訪問大成功のしたり顔で我が町に着いた。
居ても立ってもいられずやっと出かけた大震災翌月の4月1日。
目を背け続けた惨憺たる被災状況は 過去ログ でUP。
あれから多くの救済の手により少しは塗り替えられたろうか。
跡形もないお寺に通ずる道や鯨館周辺の眺めは震災間もない
光景に加え瓦礫が幾山にも築かれていた。。。
みんなのふるさとは還ってくるの? 惨めな気持ちだけが残った。
五郎花子のお墓に手を併せ何度も語りかける二人だった。
その帰り~ 決まって民宿( T江さんの実家 )に立寄る。
震災当初~ 復旧作業員の寝泊り場所にと宿泊依頼があったそう。
ライフラインや食材調達の見通しもたたずお先真っ暗!
当然ながらお断りしたというが~ 数十名もの収容可能な施設が
まわりに無く引受けざるを得なかった。
T江さんまでも猫の手となり半年以上もの間 老体に鞭打ったそう。
ホント お疲れさまでございました。
そんな経緯を知ってか知らずか~
” 震災という人の不幸で民宿は一儲けしてる! ”
一握りの人によるとしても誹謗中傷が飛び交ったそうで。。。
心まで心災させてしまう信じがい震災悲話を聞かされた。
そしていつ帰っても愛いっぱいで二人をもてなしてくれる兄夫婦のもとへ。
美味しいご馳走を前に地酒を酌みながら睦語りする秋の夜だった。
こちらも瓦礫が片付いただけの山田町あたり。
荒涼とした車窓に映る光景にため息しながら帰った。
何食わぬ顔の山々が四季を知らせる風となりきっと救ってくれる!
幾年もこの先がそうでありますようにと 祈りながら盛岡に向かった。