全く、予備知識のないまま映画を観てしまったため、後追いで時代背景など知ろうとしています
高校時代の世界史は名前を覚えるだけがやっとでした。
なので、「玄宗皇帝」、美人の代名詞「楊貴妃」、その他詩人の「李白」に「杜甫」「白楽天」
遣唐使の「阿倍仲麻呂」「空海」は本当に名前だけは知っていたもののなるほど、唐の時代に関係あるのか…
というのは映画で知ったという
楊貴妃が何故玄宗に殺されなければいけなかったのかという
読みやすい解説がこちら「BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)」さんのサイト
世界三大美女の一人楊貴妃が愛する皇帝に殺されるまで 美しさは罪なのか
こちらのサイトは他にも大河の西郷どんなど興味深い記事がたくさんあります←おすすめ
世界史の窓というサイトでは、楊貴妃についてこんな説明がされています。
唐の玄宗皇帝の愛妃。古来、西のクレオパトラと並ぶ、東の美人の代表とされる。
楊家の出で、はじめは玄宗の王子の妃であったが、玄宗の目にとまり、いったん女道士(道教の尼)と言うことにした上で
744年、玄宗の後宮に入った。56歳の玄宗は22歳の楊貴妃を溺愛し、妃の最高位である貴妃の地位につけたので楊貴妃という。
二人は政治をかえりみず、長安から離れた驪山(りざん)の温泉に入り浸るようになった。それにともなって一族の楊国忠が政界に進出し、
宰相にまで上りつめた。楊一族の進出を悦ばない節度使安禄山が反旗を翻し、安史の乱が起こって反乱軍が長安を占領すると
玄宗とともに西に逃れ、途中反乱軍に捕らえられて楊国忠とともに殺された。玄宗と楊貴妃の逃避行は
白居易(白楽天)の『長恨歌』にうたわれ、広く知られている。平安時代の日本にも伝えられ貴族たちに愛読された。
こちら白楽天(白居易)の長恨歌をmanapediaさんのサイトより
(原文 書き下し文 現代語訳ときちんと説明されています。お時間のある方はどうぞ)
白居易『長恨歌(漢皇重色思傾国〜)』書き下し文・現代語訳と解説 その1
ざくっと知りたい方は、国語教師 吉田裕子さんのWEBサイトより
白楽天『長恨歌』の現代語訳(七五調)
だんだんざっくりとですが、おぼろげな形が見えてきました。か?(^^ゞ
高校時代の世界史は名前を覚えるだけがやっとでした。
なので、「玄宗皇帝」、美人の代名詞「楊貴妃」、その他詩人の「李白」に「杜甫」「白楽天」
遣唐使の「阿倍仲麻呂」「空海」は本当に名前だけは知っていたもののなるほど、唐の時代に関係あるのか…
というのは映画で知ったという
楊貴妃が何故玄宗に殺されなければいけなかったのかという
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唐の玄宗皇帝の愛妃。古来、西のクレオパトラと並ぶ、東の美人の代表とされる。
楊家の出で、はじめは玄宗の王子の妃であったが、玄宗の目にとまり、いったん女道士(道教の尼)と言うことにした上で
744年、玄宗の後宮に入った。56歳の玄宗は22歳の楊貴妃を溺愛し、妃の最高位である貴妃の地位につけたので楊貴妃という。
二人は政治をかえりみず、長安から離れた驪山(りざん)の温泉に入り浸るようになった。それにともなって一族の楊国忠が政界に進出し、
宰相にまで上りつめた。楊一族の進出を悦ばない節度使安禄山が反旗を翻し、安史の乱が起こって反乱軍が長安を占領すると
玄宗とともに西に逃れ、途中反乱軍に捕らえられて楊国忠とともに殺された。玄宗と楊貴妃の逃避行は
白居易(白楽天)の『長恨歌』にうたわれ、広く知られている。平安時代の日本にも伝えられ貴族たちに愛読された。
こちら白楽天(白居易)の長恨歌をmanapediaさんのサイトより
(原文 書き下し文 現代語訳ときちんと説明されています。お時間のある方はどうぞ)
白居易『長恨歌(漢皇重色思傾国〜)』書き下し文・現代語訳と解説 その1
ざくっと知りたい方は、国語教師 吉田裕子さんのWEBサイトより
白楽天『長恨歌』の現代語訳(七五調)
だんだんざっくりとですが、おぼろげな形が見えてきました。か?(^^ゞ