ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

大雪の日は成吉思汗鍋でパワーを

2014年12月15日 20時26分01秒 | ペタンク爺さんの一日
週明けとともに大型の寒波がやって来たみたいだ、月曜日の朝はダンスサークルの予定が入っている本当なら大雪の日はお休みにしたい所だが、今日は今年のレッスン最終日次週の22日は2014さよならダンスパーテーが組まれている、此れが終わると大晦日も迫ってくる。
テレビの天気予報では一週間まるまる雪だるまのマークが付いていて、中でも明後日と明々後日は記録的な雪害も予想されると脅かしの様なニュースも飛び出していた。

今朝は車をスタートさせるまで小一時間ほど駐車場の雪だるまになっている自家用車の除雪を始めていた、除雪車が入っても良い積雪状態だったが今年新しく契約した業者なので、新規契約団地は後回しにされているのかなと要らぬ心配をしていた。

車を走り出さしてからも、今度は準備を怠っていたことを悔やむ、ワイパーが夏用のままだったのだ、取りあえず午後から用意しようとレツスンに向かう。

昼食後一番に自家用車のワイパーを買いにホーマックへ、ついでに凧工房用電気具を買う、手作りで作る代物で用が足せればとアバウト丸出しだ。

夕食は久しぶりに成吉思汗になる、今日は私の当番で無かったので妹のオサンドンだった、月曜の16時から北沢ダンス教室の個人レッスンを受けて帰って来ているので、自宅に戻ると食事の用意は出来上がっている、今日のメニューは予め注文していたもので肉も松尾の成吉思汗と指定していた。
残念だったことは、鍋まで指定していなかったのでフライパンで焼いてしまっていた、・・・・・本当は肉本来の味をと思っていたのだが、残念裏切られる、直ぐには此のことを伏せて食事は終わってしまったが、しばらくして今度は味付きでない成吉思汗を再度注文しした。
二人で500グラムくらいしか食べれないと思うが、次回を楽しみに。

此れまでの成吉思汗の食べ方・味付きジンギスカン200グラムと野菜が沢山で肉から出てくる汁で野菜を食べる、肉よりも野菜が主役の成吉思汗鍋でした。

鍋はこの鍋で食べたかった

小道具揃う
凧工房も着々



和凧作り始める

2014年12月14日 19時13分11秒 | ペタンク爺さんの一日
此のところ新年のご挨拶時に手作りの和凧を持ち歩くようになった、孫が小さいころは時たま近くの月寒ドームの駐車場まで行って揚げていた、全紙ほどの大きさで四国に行った時に凧用和紙を買って来ていたので一年に一回くらいは大凧作りもしていた、今は爺さん一人で揚げに行くわけにも行かず大凧は飾り凧か、部屋の隅に埋もれている。

近頃は凧のサイズは小さくなりハガキ大が続いていたが今年はB4サイズで作り飛ばせる事も出来るように作ることにした、今日は凧作り初日で在庫の和紙を確認すると全紙だけ4枚ほど残っていた、和紙があるだけと今日は紙のカットから始まる、久しぶりに筆と墨に触れる、最近は滅多に筆書きもしないので何日かかけて慣れて行くことにしている。
竹ひご貼りは31日の大晦日テレビを見ながら作るのも良いかなと思っている。

日曜日にも関わらす、朝一番で選挙を終えた後「きたえ~る」に出かけい行く、日曜日だったこともありトレーニング室は満員で受付後待たされている人も出ていた、私も時間に余裕があるので待機組の仲間になったが15分ほどで入場出来た、今日は若い人が多かった。

帰りは、豊平の東光ストアーに今日の目的の買い物は蠣(かき)で、普通サイズなら我が家の近くのスパーでいくらでも売っているが、久しぶりに蠣フライを食べるので大きい蠣を探していた、東光は昔から魚は一心さんが入っていてひとランク上の魚類を扱っていた、此処で無ければ諦めるかとも思っていたが、矢張り大蠣を売ってるのを見つける、年寄り二人の食べる量はしれている一人4個の蠣フライで充分満足出来ました、残念ながら蠣の産地は北海道産でなく宮城の蠣でした。

朝一番に投票を済ませる

豊平東光ストアー

今夜は蠣のフライでした

2015へ向けてオフトレ

2014年12月13日 19時15分54秒 | ペタンク爺さんの一日
12月に入ると翌年のシーズンに向けて年間プログラムをたてる、その頃には市販でもカレンダーが出回っているが此のところネットでフリーカレンダーを選んで利用する事が多くなった。
結構便利なカレンダーも様々出廻るようになって来ている、予定表を作るのにはカレンダーは必要不可欠だ、今年も私に合いそうな使いやすいカレンダーをゲットしている。
前年度のスケジュールを参考に1月から始るプロラム表を制作開始、これまでの流れの中で一月~四月いっぱい連休も含め、この4ヵ月の期間は橇(そり)が本命になる、積雪状態にもよるが初めは白旗山から始まり藻岩山に雪が付くとロープウエーのシーズン券を買って北斜面滑走に移る、この期間が一番長いが4月も半ば過ぎ手稲山スキー場がクローズ近くになると、いよいよ手稲山頂からのダイナミック滑走に移って行く、この期間は春山スキーになりバックカントリー愛好者も手稲山に集まってくる。

最後は何と云っても、ニセコアンヌプリ(標高1,300M)からの一気に滑り降りる大滑走が締めくくりに待っている。

5月の連休辺りから市民農園(遠藤農園)が始まり出し10月末まで1年の半分の六カ月間続くことになる。
11月12月は、大ざっぱにオフトレ期間と位置付けている。

01~04迄 橇を中心に
05~10迄 農園と庭師
11~12迄 オフトレ(身体の調整と体作り)

以上の3本柱の他に、1年間の間に様々な行事、イベント、ボランティア活動、地域活動、市民活動、ダンス、ペタンク、山菜採り、キノコ採り、が等が入り乱れて入ってくる。
出来るだけ重ならないようにするには、年間スケジュール表を作り出しておかないとと苦労する所で、年が替わるまでに作り出そうと決めている。

11月から、雪のないころはマウンテンバイクを利用、スケートと思ったが今は何時もの如く「きたえ~る」に通いだして体作りに余念がない。
結局は、雪が降ってしまえば屋外では出来ず、道体育センターのトレーニング室を使っての身体作りが定番となっている。
今日も10時頃出発し帰宅はお昼を過ぎていた、今日は男の料理三日目で鰻の蒲焼丼に挑戦すると云っても鰻は買えないので代用品(秋刀魚の蒲焼)を利用する、加えたものは大葉の微塵切りでこれで料理が締まり本物には及びもつかないが何も無いときの一品に成ることが判る。

緑のセンタークリスマス展






カンジキ作り教室(お弟子さん1号)

2014年12月12日 20時11分13秒 | ペタンク爺さんの一日
12月から年明けにかけて北海道の根曲り竹で製作する「カンジキ工房」を開き、時々作業をやっていた、何時もなら私が一人でやっていることでその日により「橇工房」に変更したり、時には「和凧工房」に替わったり二月も半ばを過ぎれば「園芸工房」に変化して行くとても便利な仮設温室のサンルーム、今日は朝9時にはノルデックウオーキングの河村氏が早々と来ていた。

10月のまだ温かい時期に、二人で山から材料の竹を採取してからの作業でK氏はサークルの代表として私の教室に加わり勉強している所で、此れまでは熱湯を利用してひと曲げだけの第1回講習は終えていた、今日は更に高度な技術で直接火を使い局部曲げに挑戦させる、竹も鉄と同じで火(熱)で柔らかくなった竹を後はその人の感性で理想に近い形になったら直ぐ水に浸ける、これで竹は戻らなくなるのと竹が硬くなり丈夫になる、其処で使う部分だけにカットすると一部品になり扱いやすくなる。

今回は竹部品を二個使用し組み立てる方法で仕上げる、30名もいるサークルなので全員には当たるほど作られないが半分くらいまで作り出すことを目標にしている。
お披露目は、完成品でなくキットにしたものを持ち込み最後は使う人が最後の仕上をして完成させる方法を考えている、出来上がったらそれぞれ持ち出して初歩きする所まで行く事を目指している。
思い通りに事が運ぶか、此れはやって見なければ判らない、出来ても出来なくても其れを話題にして正月を楽しむことにしている。
カンジキ作りは半分お遊びで、ノルデックウオーキングもこのグループの余技で本来はダンスサークルの「さわやか」が本体で教室も豊平区民センターと西岡連絡所にあり活動も活発だ、会長の吉井女史には何時も圧倒さればなしです。

ダンスサークル、さわやかさん


男の料理
鯖の缶詰を利用しブリ大根ならず鯖大根完成

デザートは、水羊羹を作る、まずまずの出来栄えだった。

豊平公園の大木

2014年12月11日 18時24分34秒 | ペタンク爺さんの一日
豊平公園は国道36号線から少し南に入ったところに位置し昔の豊平墓地の跡地で、敷地の殆んどは街中としては珍しく樹木が密集して聳えているいる所もある、公園を除くと周りはすっかり住宅街や商店、会社等に囲まれてしまっている、街中の緑のオハシスと云った所で東京の代々木公園には及びもしないが、北大の植物園ほどの広さがあるのではないかなと思っている。
その敷地の中に建造物が三個、無論公の建物だが北海道立総合体育センター(きたえ~る)と豊平警察署、それに公園の真ん中あたりに豊平緑のセンターがあって、緑のセンターときたえ~るは良く利用している。

今日は此のところ天候が安定せず野外活動が制限させられていた、矢張り12月に入れば屋内施設を利用しなければならなくなる、自宅から直ぐ近くにある月寒体育館はスケートが主になるが一昨日久しぶりにスケートをトレーニングにと顔を出したが、平日は空いていて好いのだか体が極端に衰えているのか、2.3週すると息きが上がり前後のバランスが崩れて転びそうになる、下半身の衰えが此処まで来ているかと、其れでは少し長続きてきそうな「きたえ~る」のトレーニング室を利用することに宗旨を変更する、今日はその一日目、朝9時過ぎには自宅を出た其れに弁当も用意してもらった、何せ昔と違って先ず歩く事から違う老人歩行速度になりきっていて足が上がっていない事を本人が一番知っている。

こんな歩き方では、問題外そり滑りでバックカントリーが出来ないぞと歩く度に自分に言い聞かせている、齢とともに老衰は進むのは自然なのだが少しでも老衰にブレーキを掛けることくらい本人の努力次第で可能と確信している、初日の今日は1時間30分ほどゆったりと自分の立てた自己流のプログラムに添って熟して行く、加圧パンツも利用しているので可也効果があったと思っている、今日を手始めに12月いっぱいに10日ほど通い詰める事が出来れば可也体力が付くと思う、今日はおにぎり持参とトレーニング無料カード、敬老パスと現金は一つも出ていない、敬老パスも2枚買ってあるので4月までに使い切るようにしたい。

冬期間はそり滑りはトップ行事だが、野球やサッカー選手並みに身体つくりに「きたえ~る」のトレーニング室通いは欠かせないと思いも新たにしている。

豊平公園内の大木達







居眠り爺さんは自然なのだ

2014年12月10日 19時22分40秒 | スキーが全てだった
此のところ、夕食を食べ終わった後猛烈な睡魔に襲われる、其の侭ベットに潜り込めば快適だと何時も思っている、しかし我が家の夕食は午後5時が定刻になっていてこんな時間に寝てしまうと日付が替わらないうちに目覚めてしまう、真夜中に一人で起きていなければならなくなるので絶対寝てしまうことは出来ない。
遠い昔、親父が晩酌していて何時の間にやらその場で睡魔に襲われ横になっていた、気が付いた女性が手枕して寝ている親父の頭に枕をそっと当てていたことを思い出している。

人間70歳も過ぎると、壮年期のような精神的、肉体的な能力は下降し丸一日動き回れなくなって来る、それを補うため老人の居眠りが発生してくると説明されれば、当事者として納得出来る。
夕食後、睡魔から逃れるためにコーヒーを良く飲むカフェインは私には良く効く、食後30分ほど過ぎてしまえばもう大丈夫なのだが、それでも椅子に座ったまま10分ほど寝ていることがある、器用に眠れるものだ本人も驚いている、今日は滅多に飲まない酒(梅酒)ほんの僅かを飲んだ、夕食を食べ終わると猛烈な睡魔に襲われ椅子に座ったまま眠っていた。

睡眠は、【ノンレム睡眠】深い眠りで脳も身体も休んでいる状態、身体を支える筋肉は働いている、トレスを消去している、ホルモンの分泌をしている、居眠りのほとんどがノンレム睡眠と云われている。

寝覚めは早い、その後は快適に過ごせる状態に戻っている、早朝起床時間を逆算し毎晩11時過ぎまで起きている定番になったNHKのスボプラを見てから寝ている爺さんです。

札幌市住宅管理公社に頼んでいた公園樹木の剪定が12月の今頃になってやって来た、今朝は数センチだけの積雪だったので仕事には影響なかったと思う。
グランドの土の入れ替えも今年やってくれる事になっていたが、先日業者が下見に来ていったと思っているが今日現在工事は始まらない、雪が積もったら如何するのかなと少し気になる。

藤の剪定です

親父の晩酌ちゃぼだいが懐かしい
親父56歳で連れ添いに先立たれる、その後80歳まで

バイク&時にはスケート

2014年12月09日 16時22分20秒 | ペタンク爺さんの一日
東京オリンピックと共に亡霊のように札幌オリンピックが取りざたされる様になってきた、1971年から数えて43年の月日が経っているのに驚く、2年前のプレフレオリンピックで滑降競技恵庭岳コースにつばめスキー部の仲間と観戦に行ったことを思い出させる、その頃一般の観客はほとんどいなかった選手と関係者だけの大会に見えていた、コースの中で気になったのはスタート地点の僅かな距離だったと思うが、きつい斜度とコースは狭く難コースの様子を見せていた、山頂付近のロープウエーを降りた頃上のコースから大杖選手が木に激突し担架に乗せられて降りてくるのとすれ違う、最後のリフトに乗りスタート地点まで到着する。

選手は次々スタートして行ったが、スタート地点のコースの周りに黄色い小便のあとが目に余るほど付いていた、選手もスタート前には緊張のピークに達しての行為と察し強烈な印象として残ってしまった。
選手が滑り終わり、私達もゴールに向かったが途中のコースは急斜面はデレバージで降りながら最後のゴール前のプレジャンプ地点での光景がその後時々思い出された、選手のヘルメットが粉々に砕け散らばっている風景で、この最後のプレジャン地点を降りて来るのに苦労したことも思い出す。
最初で最後の恵庭岳滑降コースでの競技観戦になった。
其れから2年後に遠藤親子でのスキーチーム誕生となって行く。

残念ながら札幌オリンピックはテレビ観戦だけに終わった、遅れること4年後1975年に藻岩レーシングクラブが誕生した。
最初の大イベントは、夏山黒岳スキー合宿から始った。
監督    遠藤泰秀
マネジャー 武部征彦
コーチ   土井一之
選手
鈴木伸美(道高工2)
谷村伸也(北海高1)
石川清信(澄川中3)
小島 響(平岸中3)
丹 正彦(平岸中3)
青木良峰(向陵中3)
遠藤庄二(円山小6)
石川園代(澄川小6)
遠藤豊英(光星高1)

懐かしい顔ぶればかり。

此のところ、日本のアルペン界には低迷を続けている札幌オリンピックが再度実現しても私たちが目指して来たアルペンスキーでは選手は育ってこない、どうしてだろう、日本の風土や人間性に向いていないのだろうか、ほんの僅かなスーパースターが活躍すればいのだが、その環境が出来ていないのが今の日本の実情と思っている。

月寒体育館はオリンピックの産物で今でも通年利用を続けている、時にはトレーニング場としてスケート滑りを続けている、体力の衰えは隠せない。

五輪マークは今でも
体力の衰えはすぐ判る
休む時間が多くなり

試合会場にも



札幌白石区の食堂

2014年12月08日 18時46分52秒 | スキーが全てだった
足掛け三年以上も通い続けていた白石区役所、と云っても同じ建物の中にある区民センターでその建物の区民ホールを利用して開いている五つの社交ダンスサークルのひとつに月曜日の午前中通っているのだ。
直ぐ足元の月寒区民センターでも社交ダンスサークルは有ったが、知り合いと遭遇する確立が高いと地元は止めて隣の区を選択していた、何時も12時には終わり自宅に帰ってから昼食をとっていたが、今日は一度くらい区のレストランで食事でもと一人で顔を出す。

市の食堂関係は、豊平区と南区に入ったことはあるが札幌本庁のレストランには行ったことは無い、中央まで行ってしまえば美味しい食べ処が沢山あるので多分これからも入ることは無いと思うが、区役所の周りには安くて美味しい店が少ないのが残念だ。
矢張り街中に出るしかないので普段は億劫になっていると思う、車で行くと駐車料金がかかり地下鉄で行くには情緒が無くなる、特にこれから寒さが来てしまうと出無精になるのも頷ける。

それにしても、区のレストランは地方の一般食堂と何ら変わらない其れにセルフサービスが徹底していて食べる楽しみの何かが欠けている経費を切り詰めて値段に転嫁しているので止む無しと思う。
カレーを食べると、其処の店のランクが判る430円のカレーはしょっぱかったと、米が相当安い米を使っているなと感じさせ、これ一回にとどめると思ってしまった。

夕食は妹のおさんどんで、珍しく釜飯を作っていた、御釜は百均で買ったものと云っていたが始めて使用してみて充分役立つことが立証されたと思った。

午後4時からのダンス個人レッスンを終えて、階下のまほろばに立ち寄るパスタの特売をやっていたので値段に釣られて買って来てしまう、明日はパスタ料理にと食べる事に執着する。


夕食は釜飯でした
お昼は区役所レストランのカレー
行列が出来る区のレストラン







つきさっぷの雪景色

2014年12月07日 16時32分17秒 | ペタンク爺さんの一日
今朝目が覚めて窓のカーテンの隙間から雪景色が見えていた、11月の雪と違って気温が低いのでさらさらの雪が積もった、と云っても10センチににも満たしていないその証拠に当団地と契約している除雪業者の除雪車が出動して来ていない、目安として10センチ以上の積雪で除雪活動が始るのだが今朝は除雪車の動き回るエンジン音は聞こえなかった、当団地のボランテアシニアグループの除雪部隊も今朝は出動していなかった。

それでも各マイカーの周りの除雪をする風景が今年も見られた、昼を過ぎたあたりから時々青空が覗くようになる、殺風景な景色が白い雪景色で明るく輝きだした、光と影の芸術の写真撮影に八紘学園校内に出かける、学校の直売所も春まで閉鎖しているので広い校内もひっそりしていた。

小一時間ほど雪の北海道の牧歌的な風景を撮り続ける、少し考えがあって車も利用する動画撮りもする。
雪景色撮りは、シリーズにしてこの冬の仕事のひとつにと考えている。

北海道の雪の中の風景写真シリーズ(2014/12/07)

つきさっぷの雪景色







自治会新年会の打ち合わせ

2014年12月06日 17時29分00秒 | ペタンク爺さんの一日
年の瀬も迫って来ているが、現役時代と違って特別用事が増えると云うことは少なくなってきているが世間との繋がりは生きている以上多かれ少なかれ続いてゆくと思う。
自治会の役員は、入居始めた頃からお手伝いをしていた途中数年間ペタンク北海道組織作りと運営で役員から抜けていたが、女房と死別しペタンク組織の運営からも離脱し、気軽な身の回りになってしまったので年老いても自治会の役員くらいは現役でいられると得意の総務を引き受け庶務の仕事を熟していた。
同年代でIT関係に精通している人は滅多にいなかった、同期の友人知人も少しは出来ても何もかにも出来るという人は残念ながら皆無だった、共通する話題が病気の事だけになると本当に寂しくなった。

何れ、病気に侵されて死をを迎える時が来ようとも、兎に角やせ我慢をしても好きでやって来たこと今でもやり続けているもの、目標は達成する事が出来なくても挑戦し続けるスタンスが生きる証しと考えている。
今年の初挑戦は市民農園への取り組みだった、2015年はまた新しい物にチャレンジしようと今から一歩足を入れようとしている、具体的にはまだ公開できる所まで到達していない、また新しいことに挑戦し夢のひとつになればと夢は尽きない。

午前中自治会の役員会があり、日程は1月18日に決まり内容の討議をする、若い会長が緊急入院中で暫くは退院出来そうもない、副会長2名と総務、会計で昨年の内容を見ながら検討する、全戸90戸のうち昨年は40名弱の参加を得ているので中止にする要因も無く、同様な規模で開催する運びとなった費用は全部自治会費からの出金で賄われているので全戸からの参加が望ましいのだが、入院中の会員もいるので思惑通りと云う訳には行かない。
12月は、正月中に持ち歩く和凧作りも始めなければと考えている。

今夜は久しぶりに妹の天ぷら料理が、海老、意か、舞茸、ピーマン、カボチャ、が食材です。



今夜は天ぷらでした
えび
いか

スポプラ族にはまています

2014年12月05日 19時29分11秒 | ペタンク爺さんの一日
長生きの条件に早寝早起きが上げられているが、如何やらこのペースのサイクルは私には適さないのか身に着くことはなかった、午後9時や10時頃にベットインしてしまうと真夜中に目が覚める事が多く、大抵小便が近くなっているので朝まで起きないで寝れることは極小で、眠りが浅く熟睡する時間が少ない睡眠が続いていると思う。

熟睡時間は熟睡すれば5.6時間で充分で浅い眠りの時は夢を見ていることが多い、しかし目を覚ますと夢の内容は全く覚えていないのも何時もの事になっている。

今朝は、そんな通常睡眠タイム時間が狂ってしまった空が明るくなりだした時間に目が覚める何時もなら小便に起きるタイミングなのだが未だ出そうもない、そのまま又深い眠りに誘われる、次に目を覚めたのは午前9時少し前だった、慌ててしまった9時にウォーキングサークルの河村氏がカンジキ作りの講習を受けに来ることになっていたのだ、飛び起きて準備を整える、今日は週一回の染物サークルに出かける妹が早々と出かけて行った。

カンジキ作りも、これまでにお湯を使い其れなりの形にしておいたので、今日は最後の曲げの仕上げに直接コンロの火を使って曲げをする、U字竹を二つ組み合わせて作ることに変更していたので完成作品は少なくなるが、早々と終わる計算になるので此れで良しと、一人で仕事を続けていた、途中から川村氏から今週は出られなくなったので来週に変更してほしいと連絡が入る、今日の寝坊の事もありやれやれと思っている。

カンジキはキットにして誰でも簡単に仕上げられる所まで作っておきたいと、計算だけはしているが、計算通り行かないのが当たり前なのか、さてさて。

それにしても、コールマンコンロはホワイトガソリンを使うので燃料費が気になるところだ、この間買ってきたひと缶を使い切ってしまったので補給しなければと思っている、間違っても灯油使用をしない。・・・・懲りている。

カンジキ製作途中です

植物防疫所札幌の落葉松並木

2014年12月04日 18時46分14秒 | ペタンク爺さんの一日
午前中から押し寿し作りを始めていた、久しぶりに作るので材料の割合をどの程度だったか頭の中のコンピューター記憶が消えかけていて、データーを引きだすのに一苦労もふた苦労もする正直出来上がって見て完璧に出来たとはとても言える作品で無かった。
どう評価しても、押し寿し擬きが今日の出来栄えだった、至ってへこたれないのも俄か寿し職人で今回の経験が次回に生かされると平然としている、妹も近頃頻繁に男の料理日があるのを喜んでいるみたいだ、今日の寿司の材料が冷蔵庫の中の残り物で作った押し寿しと云う代物だった、すし飯はレシピを見なくても作れるようになり、今回の魚は糠ニシンを塩出しし酢漬けにし、白菜の古漬け、鯖の水炊き缶詰、此れだけで寿しづくりに挑む、ご飯は二合弱で二種類の寿し作りに、一番心配していた糠ニシンの塩が完璧に抜けきらず塩ぱい寿しに出来上がってしまった。

昼から寒風をついて隣の清田区まで出かけてくる、ピヤシリスキー場のある名寄は大雪に見舞われているとテレビでは伝えていた、札幌市内は水溜りは凍りついているが舗装道路は其の侭だ、トレーニングも兼ねてマウンテンバイクで36号線を東進する道路の左側は月寒町で右側は札幌ドームを始め国有地が続くその中に「北海道農業研究センター」があり、農林水産省横浜植物防疫所札幌支所等があり、国道からこの道を入ると、守衛の詰め所で許可申請をしなければならなかった、その詰所から結構な樹齢のこのカラマツ並木が奥の方まで走っている。
今日はその詰所に人影はなかった、ラッキーとばかりカラマツ並木の奥くまで走り込む突き当り左に北海道大学で良く見かける建物に遭遇する、何の表札も無い建物だった。

其処を通過すると、清田のあしりべつ桜並木通りに出る今日もJA清田に行ってくるがお目当てのものが無く空戻り、野菜果物は車で行った時でないと買えない。

洋館がひっそりと佇む
国道側から落葉松並木通りを望む

あしりべつ桜並木通り




押し寿し完成しました。


月寒の学校と云えば

2014年12月03日 19時12分35秒 | スキーが全てだった
私が住む住宅街は五階建ての市営住宅だが、月寒町だけでA号棟からG号棟まで35棟あり1,042戸が暮らすことが出来る一大住宅地て、戦後外地から引き揚げてきた人たちを国の政策の一環とし出来上がった街づくりで、旧歩兵第25連隊があった跡に建てられたとも思っている。
今は月寒体育館になっているが、札幌競輪場が昭24年:第一回札幌競輪が開催から昭和33年廃止まで続く。
大学は無いが、歴史のある専門学校の農業専門学校(八紘学園)と専門学校日本福祉学院、それに北海道中央調理専門学校の三校がある。
高校は月寒高校と市立有名校の第一高校の二校がある、中学校は月寒中学、東月寒中学、あやの中学の三校がある。
小学校は六校で、月寒小、南月寒小、月寒東小、あやめ野小、羊ヶ丘小、しらかば小で児童か間も六カ所に及ぶ。

最近ペット犬の話題がテレビで取り上げられていることが多いが、私が関わりあっている月寒公園での会議の中でも、何時も議題に出てくるのは犬の散歩で自己中心的な飼い主が多いのに対処の方法も真剣に考えて行かなければならないと思っている。
ペットを飼う場合は、それなりに責任分担も義務付けなければと思うのは私ばかりでないと思っている。

昼を済ませると、小雪が舞う中マウンテンバイクに跨り少し離れたスパーに買い物に出かける途中八紘学園校内を掠め月寒ドーム前に出る、ドームの前は出来上がってから数年は経っているドックランが営業している、何時も素通りしていたが今日はゆっくり様子を観察する。

一番関心を持っていた利用料金を見ると、無料ではないが安いのに気が付く、1回利用料金は一般480円、シニア260園、中学生以下無料でその他回数券、1ヶ月券、三か月券も発行していて決して贅沢な施設ではないことも判ってくる。
こんな広い施設でもなくていいか、公園内にもこんな施設が出来れば公園内の犬の苦情も無くなると思った。(一般公園は人間だけに開放してほしいな~)

帰宅後、夕食は白菜古漬けをキムチ漬けにしたものを利用、ツナ缶にマヨネーズをまぶし、最後は長ネギをはなしチャーハンを作る。
(今日も自分の作った料理だったので少し食べすぎた)

学校案内

グリンドック
利用料金は
此処が入口
防寒完備で
楽しそうですね

今夜はチャーハンでした


カンジキ作り動き出す

2014年12月02日 17時45分19秒 | ペタンク爺さんの一日
今日のお昼は昨日買って来ていたさつま芋の焼いもに決めていた、タッチオーブンで焼くので少し早めに焼き始めていた、手慣れたものでオートキャンプなどで使うコールマンのコンロであっという間に焼いもは出来上がってしまう。
鍋に入れたまま1時間ほどほって置いて食べたが、未だ温かく美味しかった。

序にと、根曲りカンジキ作りの作業を開始した、何せ大きな鍋でお湯を沸かし100度迄沸騰しなくてもとお湯の中に竹を入れ柔らかくすることが一番大事な所で、此れまでも少しづつはまげて癖を付けていた竹を更に小さく曲げて行く作業で根気のいる仕事です。
最初の考えは一本の根曲り竹で片足を作ろうと思っていたが、此れが中々高度な技術が必要で最近は2本の竹を使って片足を作ることにした、竹材が倍はかかるが作るのが楽になるのでこの方法で製作することに決める。

同時進行で、男の料理コーナーにも手を出していた昨日春に収穫していた山菜のフキ、わらび、を取り出し塩抜き作業をしておいた、それに紅鮭塩蔵も塩出しをやっていた、塩抜きした紅鮭は身をほぐし砂糖でまぶす、色も鮮やかなそぼろが出来上がる、フキとわらび、それに根曲り竹の竹の子の水炊きを刻み塩少々とみりんで炒める、その他の具材に白菜の古漬けを刻んで用意する。
全部使わなかった山菜のふき、わらび、竹の子の煮つけを作る母親直伝のどんなものでも砂糖と正油で煮れで美味しくなるが決め言葉で、子供の頃の家庭内教育だったと思っている。
序にと、さつま芋の甘煮を作る、箸休めなど御茶うけにも最適な補助食となる。

屋外は昨日までの景色とは様変わりして、まだ積もるほどではないがすっかり冬景色に代る。
明日は全道一帯が大荒れに見舞われる、久しぶりに冬将軍が暴れまわるか?

制作途中

ハウスの換気口広げる

山菜チラシ寿司完成
フキ、わらび、竹の子の煮つけ
さつま芋の甘露煮出来上がる

屋外は冬景色に代る



月曜日はダンスデー

2014年12月01日 21時19分34秒 | ダンスモード
週一回の社交ダンスは現在も続いている、この年齢で競技ダンスなどとは考えも及ばないが、せめてシニアサークルのダンスパーテーに出席し初級ステップだけででも踊れるようになりたいと始めて足掛け三年は過ぎてしまった。
途中思わぬ障害に遇い1年ほどお休みが続いた、シニアの日本人の病気のトップにもなっている癌が胃の中に出来摘出手術をうけての再チャレンジだった、それでもそろそろ半年はとうに過ぎてしまった、未だに初心者に混ざって初級ステップレッスンを受けている始末、自分ながら覚えの悪さに閉口している。

そんなこともあって、月曜の午前中のスワンダンスサークルの他に、午後からダンス入門時に通った北沢ダンス教室の個人ワンステップレッスンに通いだしていた、今はワルツを徹底的に覚えることを優先しこの間から特訓を受けている。
ダンスパーテーではワルツの曲が多い、見ていてもダンスはワルツが美しく見えている。

今日から12月に入った22日には2014さよならパーテーと1月12日には2015新年ダンスパーテーと当サークルのパーテーが続く、それまでには少しは自身もって女性を誘えるようになれればと力が入っている。
其れも、毎月曜日のダンスデーだけで翌日になってしまえばダンスのことなど忘れていることが多い。
何かきっかけがあればダンスモードに火が付く日が出て来るのか、少し醒めている所もある。

Shall we ダンスで社交ダンスの世界が垣間見えた瞬間だった、あれからもう18年近くになる近頃のテレビ番組にも競技ダンスが取り上げられている、20年にも前になるが妻を伴い社交ダンス教室を訪ねたことがあった。
たった1日だけの社交ダンス入門で終わってしまった、続いていれば人生も変わっていたと今でも思い出す。

社交ダンス教室の玄関で





今夜のレシピは和食です