今回も大変充実したエチオピア滞在でしたが、若干いつもとは違う現地の状況もありました。
というのも今月21日に現職のメレス首相が病気で亡くなり、私が現地入りした24日は国じゅうが
喪に服している状態。
アディスアベベの空港に着いた時もいつも以上に軍や警察による警備が厳しかったり、国内のTV局は
どこも連日追悼番組を流し、滞在中も市内のあちこちで追悼行事が催されていました。
メレス氏は1991年、当時の軍事政権失脚後、大統領の座に。その後、首相となり同国の経済成長を
推し進めてきたとされています。実際私が最初にアディスアベバを訪問したのは2005年。
その後、現地に行くたびに車の数や新しいビルが急速に増えていく姿にこの国の成長を強く感じました。
滞在最終日の29日には、同国オリンピック委員会、陸連などの各競技団体、その他のスポーツ関係者
らによる追悼行事がありました。
また9月2日にはアディスアベバで国葬が行われる予定。外国からも多くの要人が訪れるようです。
↓まだまだ発展途上段階のエチオピアですが、首都アディスアベバの至る所で、新しいビルの建築が
進み、人と車の数も急増しています。
↓滞在中日頃お世話になっているエチオピア陸連を訪問。テクニカルディレクターのドゥベ・ジロー氏
(中央)とミーティングの機会を持ちました。
05年ホンダ陸上部時代、当時エチオピア選手がチームに在籍していたこともあり、その頃から会う
機会を持つようになりましたが、会うたびにポストが上がり今や同国陸連の実務のトップに。
しかし、会えば(そのいかつい風貌とは裏腹に)私のような新米エージェントにも気さくに話しかけて
くれます。只、彼にとってもメレス首相の死去は非常に悲しい出来事。エチオピア陸上選手が本当に
自由に海外に出ていけるようになり、多くの選手が世界の一流選手になっていったのも彼が90年代
前半に政権に着き国を大きく改革してくれたことによるものだと語っていたのが印象的でした。
というのも今月21日に現職のメレス首相が病気で亡くなり、私が現地入りした24日は国じゅうが
喪に服している状態。
アディスアベベの空港に着いた時もいつも以上に軍や警察による警備が厳しかったり、国内のTV局は
どこも連日追悼番組を流し、滞在中も市内のあちこちで追悼行事が催されていました。
メレス氏は1991年、当時の軍事政権失脚後、大統領の座に。その後、首相となり同国の経済成長を
推し進めてきたとされています。実際私が最初にアディスアベバを訪問したのは2005年。
その後、現地に行くたびに車の数や新しいビルが急速に増えていく姿にこの国の成長を強く感じました。
滞在最終日の29日には、同国オリンピック委員会、陸連などの各競技団体、その他のスポーツ関係者
らによる追悼行事がありました。
また9月2日にはアディスアベバで国葬が行われる予定。外国からも多くの要人が訪れるようです。
↓まだまだ発展途上段階のエチオピアですが、首都アディスアベバの至る所で、新しいビルの建築が
進み、人と車の数も急増しています。
↓滞在中日頃お世話になっているエチオピア陸連を訪問。テクニカルディレクターのドゥベ・ジロー氏
(中央)とミーティングの機会を持ちました。
05年ホンダ陸上部時代、当時エチオピア選手がチームに在籍していたこともあり、その頃から会う
機会を持つようになりましたが、会うたびにポストが上がり今や同国陸連の実務のトップに。
しかし、会えば(そのいかつい風貌とは裏腹に)私のような新米エージェントにも気さくに話しかけて
くれます。只、彼にとってもメレス首相の死去は非常に悲しい出来事。エチオピア陸上選手が本当に
自由に海外に出ていけるようになり、多くの選手が世界の一流選手になっていったのも彼が90年代
前半に政権に着き国を大きく改革してくれたことによるものだと語っていたのが印象的でした。