赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
再起動、します
 



昨年11月に仲間内で行った金沢/輪島旅行の記録について記しておきたいと思います。今回の1泊2日の旅、1日目の金沢に関しては個人的に7年ぶりの訪問(前回)となったわけですが、みどころは多く2回目でもまだ全部回りきれた感はなく、まだまだ飽きないなーと言う感じです。2日目の輪島については生憎かなりの荒天で歩き回ることさえ出来ず閉口、加えて予約なしでOKと言われていたはず食堂には「満席です」と言われるなど幹事としては少々恨めしいところもありましたが、リカバリーの昼飯では海の幸をそれなりに堪能できましたのでまあよしとしておきます。



今回は初めて乗った北陸新幹線で往復しました。我がグループは上野乗車組と大宮乗車組に別れるのですが、いずれも7時台に乗車ということで皆さんには早起きを強要してしまいました。うち大宮乗車組は大宮駅東口で合流したのですが、早朝からパトカーがサイレンを鳴らしながら南銀の入口にやってきて、車から降りた警察官の方々が南銀の中へバタバタと走って行くという警視庁24時(埼玉県警か)みたいな光景も目撃してしまいました。朝食ですが、当てにしていた吉野家が改装中でお休みということで富士そばでお世話になりました。



10時に金沢駅に到着し、コインロッカーに荷物をしまい、駅前の「金沢駅東口バスターミナル北鉄グループ案内所」にて北鉄バス1日フリー乗車券を500円/人で購入。早速に「城下まち金沢周遊バス」の右回りに乗り込むのですが、同じ新幹線で到着した方々が多かったのが朝っぱらからバスがごった返しており、みんな荷物も多いのでさながら都内の通勤ラッシュのような様相を呈していました。そして最初にバスを降りて訪問したのがこれまで粛々と写真だけ掲載してきた東茶屋街というわけです。



「橋場町(ひがし・主計町茶屋街)」バス停で下車するとすぐ浅野川があり、その東岸に広がるのが東(ひがし)茶屋街、かつての旦那衆の遊び場というところなのでしょうかね。江戸時代の文政年間に加賀藩主のお墨付きを得た茶屋街のひとつで、当時の茶屋建物、1階に出格子を構え、2階のを高くしてお座敷を設ける「茶屋建築」のものが道路沿いに建ち並ぶご覧のとおり風情ある街並みです。右手奥に見える昔ながらの電気屋さんが非常に懐かしい感じの店構えでした。



各茶屋街に置かれた「検番」は明治時代に芸妓さんたちの風紀取り締まりを目的として設置された組織で、こうした事務所は後述の主計町茶屋街にも見られました。



ここの一本右はもう浅野川沿いの道でした。




ひとしきり東茶屋街をぶらりと回った後は、浅野川大橋を渡り川を挟んでひがし茶屋街の対角線上にある主計町茶屋街に向かいます。



日露戦争の旅順攻撃の司令官を務めた乃木将軍のお名前が突然登場して「なんだろう}?」と思ったのですが、後々調べてみたら東京の乃木坂にある乃木神社に乃木将軍とこの今越清三朗(少年時代)おふたりの像があるようです。出張で金沢を訪問した乃木将軍が辻占(和製フォーチュンクッキー的な?)を売り歩いていた当時8歳の清三朗少年と出会い、家計を助けようと一所懸命に働く姿にいたく感銘を受けたそうです。そしてその少年を励まし金2円を手渡したのですが、清三朗少年はこの乃木将軍にいただいた恩を忘れることなく精進し、後に金箔製造業で大きな業績を上げたという美談に基づくもの、ということのようです。



こちらの主計町茶屋街は東茶屋街に入りきれなかった茶屋が集積したところのようですが、東茶屋街に比べれば些か小ぶりで人通りも少ないものの、その分少々狭い路地も落ち着いて散策することが出来て個人的には好きです。こちらも一回りして、再び周遊バスに乗り今度は兼六園/金沢城に向かいます。



(つづく)

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