TOMO's Art Office Philosophy

作曲家・平山智の哲学 / Tomo Hirayama, a composer's philosophy

西田幾多郎「善の研究」読後メモ 真善美は同一

2011年06月26日 | 哲学的考察
西田幾多郎の「善の研究」を大学以来、久々に読み返す。
芸術に関する点で印象に残る部分を備忘録としてメモ。

真善美は究極的には同一のもの(統一的あるもの、根源的な統一力)の異なる表現でしかないということ。善とは「人格の実現」=「意識の根源的統一力」=「実在の根底における無限なる統一力」。「主客相没し物我相忘れ天地唯一実在の活動あるのみになるに至って、はじめて善行の極地に達するのである」。

「我々が単に内面的なる主観的精神といっているものは極めて表面的なる微弱なる精神である。すなわち個人的空想である。これに反して、大なる深き精神は宇宙の真理に合したる宇宙の活動そのものである。それで、かくの如き精神にはおのずから外界の活動を伴うのである、活動すまいと思うてもできないのである。美術家の神来の如きはその一例である。」 第二編 実在 第九章 精神

「自己の知を尽くし情を尽くした上においてはじめて真の人格的要求すなわち至誠が現れてくるのである。自己の全力を尽くしきり、ほとんど自己の意識がなくなり、自己が自己を意識せざるところに、始めて真の人格の活動をみる(これはまさに善行そのものということになるbyTOMO)のである。試みに芸術の作品について見よ。画家の真の人格すなわちオリジナリティはいかなる場合に現れるか。画家が意識の上において種々の企図をなす間は未だ真に画家の人格を見ることはできない。多年苦心の結果、技芸内に熟して意到り筆おのずから随う所に至って始めてこれを見ることができるのである。」第三編 善 第十一章 善行為の動機

天地同根万物一体。インド、中国をはじめとする東洋の思想を理解(体得?)できていないと感じる。また機をみて読み返してみたい。


善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)

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