TOMO's Art Office Philosophy

作曲家・平山智の哲学 / Tomo Hirayama, a composer's philosophy

西田幾多郎「善の研究」第十一章「善行為の動機」(善の形式)<要約>

2020年03月29日 | 哲学的考察
<本文より要所を引用>

「善とは自己の内面的欲求を満足するものをいうので、自己の最大なる欲求とは意識の根本的統一力すなわち人格の要求であるから、これを満足することすなわち人格の実現というのが我々にとりて絶対的善である。」

「人格とはかかる場合において心の奥底より現れ来たって、徐に全身を抱擁する一種の内面的要求の声である。~中略~人を欺くのが悪であるというは、これより起こる結果によるよりも、むしろ自己を欺き自己の人格を否定するの故である。」

「自己の知を尽くし情を尽くした上において始めて真の人格的欲求すなわち至誠が現れてくるのである。自己の全力を尽くしきり、ほとんど自己の意識がなくなり、自己が自己を意識せざる所に、始めて真の人格の活動を見るのである。」

「その人の最も真摯なる要求はいつでもその人の見る客観世界の理想と常に一致したものでなければならぬ。~中略~善行為は必ず愛であるということができる。愛というのはすべて自他一致の感情である。ただに人が人に対する場合のみでなく、画家が自然に対する場合も愛である。」

「主客相没し物我相忘れ天地唯一実在の活動あるのみなるに至って、甫て善行の極致に達するのである。~中略~我が見る世界を離れて我はない。天地同根万物一体である。」

<要約>
1.善=自己の内面的欲求を満足すること=人格の実現
2.人格の実現(≠自分勝手)=自他一致の感情=愛
3.ただし、自他とは自分と他人だけでなく、自分と自然、自分をとりまく世界の全てを指す。
4.したがって天地同根万物一体の境地を目指すべきだ。
5.その為には知情意すべてを尽くしきり、自己の意識がなくなるまで活動を突き詰めなければならない。

善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)

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