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素堂以前の俳諧の流れ

2024年06月09日 09時55分28秒 | 山梨県歴史文学林政新聞

素堂が俳諧書にその参加が認められる以前の俳諧の流れについて確認しておきたい。

 資料は、『俳文学大辞典』角川書店による。

書は刊行された俳諧書 参は参考資料一部加筆 部分は筆写挿入

 

寛永十九年(一六四二)素堂生まれる

七月、西武『鷹筑波集』刊、貞徳直門撰集の嚆矢。

季吟、一九歳で貞徳に入門か。

 

寛永二十年(一六四三)

一月、貞徳『新増犬筑波集』刊、貞門俳諧の範を示す。

書『新撰対類』『誹諧独吟千句』歿望一五十八才

参九月、幕府編『寛永諸家系図伝』成。

 

正保 元年(一六四四)芭蕉生まれる。

一月、重頼、東下し江戸俳壇と交流。

一〇月、貞徳、『天水抄』を令徳に伝授、俳諧伝の基礎となる。

書『寛永廿一年俳諧千句』参一二月一六日改元。

参幕府、諸国大名に国絵図作成を命じる。

 

正保 二年(一六四五)

二月、重頼『毛吹草』刊。

書『厳島大明神法楽連歌三百韻』『十一韻』

正保 三年(一六四六)

春、正式『郡山』、正章『氷室守』の両書、『毛吹草』を攻撃。

書『切紙秘伝良薬抄』『底抜磨』

 

正保 四年(一六四七)

貞徳、新年を新宅柿園で迎える。

九月、宗因、里村家の推挙で大阪天満宮連歌所宗匠となる。

書『云成俳諧独吟千句』『追福千句』『誹諧集三千句』

『誹諧集二千句』(『長崎独吟』『徳元俳諧紗』)

歿二月、小堀遠州六十九才。歿徳元八十九才。

八月、中江藤樹『鑑草』刊。

 

慶安 元年(一六四八)

一月、季吟『山の井』刊、季蓮に例句を添えた季寄せの囁矢。

九月、『正章千句』刊。正章、俳壇における地位を確立。

書『西行谷法楽千句』 二月一五日改元。

 

慶安 二年(一六四九)

一月、宗因、大阪天満宮月次連歌再興。

書『花月千句』『師走の月夜笥そらつぶて』『風庵懐旧千句』

『望一千句』

参二月、農民の心得を記す慶安御触書発布。

四月、未得『吾吟我集』成、個人狂歌集の嚆矢。

慶安 三年(一六五〇)

一〇月、『嘉多言』刊(成)。書『伊勢山田俳諧集』『くるる』『誹諧抜書』『歩荒神追加』『野狩集』

参翌年にかけ、伊勢参り流行。

 

慶安 四年(一六五一)

四月、立圃、備後国福山藩に仕える。

七月、貞徳、『俳諧御傘』に式目をまとめ俳言を説く。

一〇月、令徳『遠山集』刊、貞門俳詰最大の撰集。

参七月、由比正雪事件。八月、家綱、将軍宣下。

 

承応 元年(一六五二)

一月、柳営連歌、一一日に式目を変更。

以後、幕府瓦解まで続く。

二月、宗因、菅家神退七五〇年忌万句を興行。

三月、『尾陽発句帳』刊、尾張俳壇俳書の囁矢。

一二月、『若狐』刊、井筒屋(表紙屋)庄兵衛刊行俳書の囁矢。

書『十寸鏡』園定

参六月、若衆歌舞伎禁止。九月一八日改元。

 

承応 二年(一六五三)

一一月、貞徳八十三才没、生前、『貞徳独吟』を遺す。

西武・正章(貞室)ら、後継を争う。

卜養、将軍に見参を許され、江戸に居宅を賜る。

この年、任ロ、西岸寺住職となる。

書薗『貞徳終焉記』『美作道日記』

参一月、玉川上水の工事着工、翌年完成。

 

承応 三年(一六五四)

一月、正章、貞徳後継を意識し貞室と改号。

一〇月、宗因、重頼らと百韻興行。

書『承応三年平野熊野権現千句』『伏見千句』

参三月、土佐光起、絵所預となり土佐派を再興。

七月、明憎隠元、長崎に来航。

 

明暦 元年(一六五五)

書『紅梅千句』『信親千句』『毎延俳諧集』『夜のにしき』

参四月一三日改元。

この年、山崎闇斎、京都で講義を始める。

 

明暦 二年(一六五六)

一月、長式『馬鹿集』刊、令徳・貞室を批判。俳壇にわかに活

発化。

同月、休安『ゆめみ草』刊(奥)、守武流を標榜し、反貞門勢力

の大阪・堺・伊勢俳壇が結集。宗国風流行の素地となる。

三月、季吟、祇園社頭で俳諧合を催し宗匠として独立、貞室を

攻撃。『いなご』刊(序)、絵俳書の嚆矢。

九月、宗因、天満碁盤屋町向栄庵に入り俳諧月次会を主催。

書『祇園奉納誹諧連歌合』『玉海集』『口真似草』

『崖山土塵集』『拾花集』『せわ焼草』『有芳庵記』

『吉深独吟千句注』

参汀松平直矩『大和守日記』執筆始まる(元禄八年まで)。

 

明暦 三年(一六五七)

一一月、蝶々子『物忘草』刊、江戸俳家による撰集の嚆矢。

この年、『嘲哢集』刊、『守武千句』を基準とする伊勢俳壇の式

目書。

書『牛飼』『沙金袋』『春雨抄』

参一月、江戸大火。遊廓新吉原に移る。

二月、徳川光圀、『大日本史』編纂に着手。

 

万治 元年(一六五八)

書『鸚鵡集』『尾張八百韻』『拾玉集』『俳諧進正集』

参七月二十三日改元。

七月、中川暮雲『京童』刊。

 

万治 二年(一六五九)

九月、胤及『飽屑集』刊(跋)、中国地方俳書の嚆矢。

この年、風虎、発句初見。江戸において諸流に門戸を開き文学

サロンを形成。

書『伊勢俳諧新発句帳』『捨子集』『貞徳百韻独吟自註』

『満目集』

 

万治 三年(一六六〇)

七月、『境海草』刊、堺俳壇撰集の嚆矢。

重頼『懐子』で、本歌本説取りの新風を掲げ、宗因の謡曲調を

紹介。

一二月、宗賢ら『源氏鬢鏡』成、俳家系図の嚆欠。

万治年間、河内国の重興、雑俳の起源となる六句付創案。

書『歌林鋸屑集』『木間ざらひ』『新続犬筑波集』

『誹諧画空言』『俳仙三十六人』『百人一句(重以編)』

『慕綮集』『和歌竹』

参一九月、内海宗恵『松葉名所和歌集』刊。

一二月、大蔵虎明『わらんべ草』成、能と狂言を連歌・俳諧の

関係に譬える。

このころ、浅井了意『東海道名所記』成。

 

寛文 一年(一六六一)

この年、在色、江戸へ下向、忠知に俳諧を学ぶ。

書『烏帽子箱』『思出草』『天神奉納集』『へちま草』

『弁説集』『水車軏・水車集』

参四月二五日改元。

寛文 二年(一六六二)

この年、西鶴、俳諧点者となる。

書『伊勢正直集』『雀子集』『旅枕』『俳諧小式』『初本結』『花の露』『鄙諺集』『身楽千句』

参二月、伊藤仁斎、京に古義堂開設。

 

寛文 三年(一六六三)

八月、一雪、『俳諧茶杓竹・追加幅紗物』刊、『正章千句』を攻

撃。貞室側は翌年六月刊『蝿打』で反撃する。

書『埋草』『尾蝿集』『木玉葉』『早梅集』『貞徳誹諧記』

『誹諧忍草』『俳集良材』『破枕集』

参五月、「武家諸法度」に殉死禁止を加える。

 

寛文 四年(一六六四)

九月、重頼『佐夜中山集』成、芭蕉初入集。

書『東下り富士一見記』『阿波京葉』『落穂集』『三湖抄』

『俳諧名所付合』『誹諧両吟集』『はなひ草大全』『神子舞』

参この年、歌舞伎、続いて狂言が創演。

 

寛文 五年(一六六五)

三月、似船、『蘆花集』を刊行し、以後京俳壇で活躍。

一一月、『雪千句』刊、宗因を大阪俳壇の盟主に据える。

芭蕉、蝉吟主催貞徳翁一三回忌追善百韻に一座。

書『書初集』『小倉千句』『小町躍』『西国道日記』

『四十番俳諧合』『天神の法楽』『俳諧談』『都草』

『連歌新式増抄』

参七月、諸大名の人廃止。この年、山鹿素行『山鹿語類』成。

 

寛文 六年(一六六六)

三月、西鶴、可玖『遠近集』に初入集。

九月、重徳『誹諧独吟集』刊。

重徳は、以後俳諧出版書肆として新風を援助。

書『東帰稿』『正友千句』『名所方角抄』『夜の錦』

歿蝉吟二十五才。

参三月、了意『伽婢子』刊、怪異小説流行を招来。

 

寛文 七年(一六六七)

一月、『誹諧小相撲』刊。諸国点者の批点を比較する俳書の嚆矢。

季吟『増山井』刊、以後の季寄せの範となる。

書『貝殻集』『玉海集追加』『続山井』『八嶋紀行』

『やつこはいかい』

 

 

 


素堂俳諧事蹟年譜 **

2024年06月09日 09時41分54秒 | 山梨県歴史文学林政新聞

 素堂俳諧事蹟年譜 **

 ここで素堂の俳諧に於ける年譜を作成した。句集など多少の年移動があり、また未見資料もある。

 

▽寛永十九年 1642    

誕生、一月四日(『連俳睦百韻』)

▽寛文 五年 1665 23 

三輪神社参詣  荻野清氏の説、「山口素堂の研究」

▽寛文 七年 1668 26 

伊勢踊 伊勢、加友編。信章、発句五。

▽寛文 九年 1670 28 

一本草 未琢編。発句一。

▽寛文十一年 1672 30 

蛙井集 山口清勝編。信章、発句一。

▽延宝 二年 1674 33 

信章歓迎百韻 

十一月二十三日、上洛して北村季吟や湖春ら以下の歓迎百韻の

席にのぞむ。

信章、付句十一。

▽延宝 三年 1675 34 

宗因と百韻興行 江戸下向中の宗因を中心に、桃青(芭蕉)等と共に百韻興行。

信章、付句九。

俳諧繪合 高政編。信章、発句二。

▽延宝 四年 1676 35

  俳諧当世男   蝶々子編。発句一。

到来集 胡兮編。発句二。

草枕 旨恕編。旨恕・信章百韻一巻。

▽延宝 五年 1677 36

  六百番俳諧発句合 岩城平城主、内藤風虎編。発句二十。

江戸三吟 冬、伊藤信徳・桃青と共に三吟三百韻興行。

▽延宝 六年 1678 37

江戸三吟 春、前年に続き三吟三百韻興行。

江戸八百韻   幽山編。発句一。付句七。

新附合物種集 井原西鶴編。付句五。

江戸新道 言水編。発句六。

江戸廣小路   不卜編。発句七。

鱗形 雪柴編。発句一。

☆夏の頃、江戸を出立して長崎に向かう。

▽延宝 七年 1679 38                   

☆肥前唐津にて新春を迎える。清水茂夫氏(故)は

「二万の里唐津と申せ君が春」は、仕官していた唐津の主君の

新春を祝っているのでないかという。

☆暮春頃、江戸に帰着する。

☆致任して、不忍池畔に退隠する(?)

玉手筥 蝶々子編。発句一。

富士石 岸本調和編。発句二。

江戸蛇之鮓   言水編。発句一。号来雪。

二葉集 西治編。付合四章。

▽延宝 八年 1680 39     

誹枕 ◇始めて序文を著す。幽山編。

始めて素堂と号す(正式な名称も山口素堂)

発句十七、幽山・素堂両吟半歌仙一巻。

大矢数 ☆五月、井原西鶴が難波本覚寺で興行する。

号、信章で付句一。

江戸辧慶 言水編。発句二。

向之岡  不卜編。発句三。

▽天和 元年 1681 40

東日記  言水編。発句二。

三物  ☆芭蕉・木因・素堂。

▽天和 二年 1682 41

月見の記 

高山麋塒(伝右衛門。老中、秋元但馬守の家老)主催の宴。

武蔵曲 千春編。付句十、発句四。

芭蕉庵再興勧化文 

前年冬の焼失した芭蕉庵を再建する為有志を募る。

▽天和 三年 1683 42     

虚栗 荷興十唱他二句。

空林風葉 自悦編。発句二。

▽貞享 元年 1684 43

孤松 尚白編。発句二。

▽貞享 二年 1685 44

稲筵 清風編。発句一。

一楼賦 風瀑編。発句三。◇跋文(漢文)

古式百韻 ☆芭蕉等と古式の百韻興行。付句十三。

白根嶽 調実(甲斐市川の人)編。発句一。

▽貞享 三年 1686 45     

蛙合 仙化編。発句一。

芭蕉の瓢に「四山」の銘を与える。

▽貞享 四年 1687 46                   

春、上京する。

蓑虫説 ☆蓑虫に関する芭蕉との遣り取り。

句餞別 ☆十月、長崎旅行の折に求めた頭巾を芭蕉に贈る。

発句一、詩三絶。

続虚栗 ◇序文、(芭蕉に先がけ「不易流行」を説く)

其角編。発句五。

続の原 不卜編。芭蕉・調和・湖春と共に四季句合春の判者。

▽元禄 元年 1688 47     

素堂亭残菊宴             発句二。

芭蕉庵十三夜             発句一。

追善興行 大通庵道円居士の追善興行に芭蕉・曾良等と参加。

付句三。

▽元禄 二年 1689 48     

送別賦 芭蕉「奥の細道」行脚に出立。素堂「松島の詩」

其袋 名月を賞して、十三唱。

曠野 荷兮編。発句六。

▽元禄 三年 169049        

其袋 服部嵐雪、素堂の助力で『其袋』の撰を成就。

酒折宮奉納漢和 序文。漢和。

甲斐酒折宮奉納の漢和俳諧八句の序文を草

す。(漢和の部分は前年)

忘年会 冬至の前の亡年会。

松の奥 梅の奥 俳諧作法書。一部では偽書とされる。

いつを昔 其角編。発句五。

吐綬鶏 秋風編。発句一。

秋津嶋 団水編。発句一。

後の塵 其詞編。発句一。

▽元禄 四年 1691 50

誹諧六歌仙   鋤立編。序文。

俳諧勧進牒   路通編。発句五。

雑談集 角編。発句一。

元禄百人一句 江水編。発句一。

色杉原 友琴編。発句一。

餞別五百韻   立吟編。発句一。

西の雲 ノ松編。発句一。

▽元禄 五年 1692 51

母喜寿の賀   ☆連衆、芭蕉・嵐蘭・沾徳・曾良・杉風・其角。

発句一。

和漢連句 芭蕉・素堂両吟の和漢連句(別項参照) 序文。

俳諧深川集   芭蕉・嵐蘭・曾良・洒堂等を招き、年忘れの会。

発句一。付句一。

俳林一字幽蘭集 沾徳編。序文。発句四。

己が光 之道編。発句一。

旅館日記 許六編。発句三。

▽元禄 六年 1693 52     

杉風書簡 宗匠にて無レ之者のも名高きは素堂と申者にて御座

候。

残菊の宴 芭蕉・其角・桃隣・沾圃・曾良・馬等出座。

☆幕府儒官、人見竹洞、素堂に素琴を贈る。

☆竹洞、素堂宅を二三人で訪れる。

☆本所深川に四百二十九坪の土地を買い求める。

流川集 露川編。発句一。

桃の實 兀峰編。発句一。

▽元禄 七年 1694 53     

蘆分船 不角編。序文。発句一。

隠家百首 戸田茂水編。和歌一首入集。号・信章素堂。

《芭蕉没》  

枯尾花 芭蕉追善歌仙に参加。

妻の死 ◆十二月素堂は曾良宛書簡で「妻の死」を伝える。

炭俵 野は唐変。発句二。

句兄弟 其角編。発句一。

名月集 心桂編。発句一。

芳里袋 友鴎編。発句二。

☆芭蕉没に際して竹洞から贈られた素琴の弦を切る。

▽元禄 八年 1695 54     

歳旦詩 乙亥歳旦詩一篇。

甲山記行 夏、母が急逝する。母の生前の願い「身延詣」の旅

に出る。宿を外舅野田氏宅。

花かつみ 文車編。発句一。

住吉物語 青流編。発句一。

笈日記 支考編。発句四。

▽元禄 九年 1696 55

裸麥 芭蕉三回忌追善の句。

翁艸 里圃編。発句十二。一座の歌仙二巻及び文章一篇。

▽元禄 十年 1697 56

陸奥鵆 桃隣編。跋文。発句五。付句一。

俳諧錦繍緞 其角編。発句四。

署名、江上隠士山松子(山口松兵衛か)、序文。

韻塞 許六編。序文・跋文。発句一。

真木柱 擧堂編。発句十二。

末若葉 其角編。発句一。

柱暦 鶴声編。発句一。

▽元禄十一年 1698 57     

歳旦詩 歳旦、六言六句の詩一篇。(『素堂家集』)

★夏から秋にかけて京都に留まる。芭蕉の塚に詣でる。

鳴滝で茸狩り、多くの詩歌発句あり。

続有磯海 浪化編。発句二。

続猿簔 芭蕉遺編。発句一。

泊船集 風国編。発句一。

寄生 桂聚亭編。発句二。

去来抄 ☆素堂、去来に新風興行を持ちかける。

▽元禄十二年 1699 58     

海道東行 良因編。序文。

俳諧伊達衣   等窮編。発句一。

皮籠摺 涼菟編。発句一。

簔笠 舎羅編。発句一。

▽元禄十三年 1700 59     

冬かつら 芭蕉七回忌追善吟七。

六玉川 百丸編。跋文。

暁山集 方山編。発句一。

続古今誹諧手鑑 笑種編。発句一。

▽元禄十四年 1701 60     

宗長庵記 素堂、春上洛。島田宿で『宗長庵記』を草す。

秋にも上洛し、『長休庵記』と改作する。発句二。

そこの花 支考編。発句一。

きれぎれ 白雪編。発句三、一座の表六句一連入集。

追鳥狩 露堂編。発句一。

杜撰集 嵐雪編。発句一。

続別座敷 杉風編。発句一。

荒小田 舎羅編。発句一。

裸麥 曾米編。発句一。

▽元禄十五年 1702 61     

知足亭逗留   京都より下る途中、鳴海知足亭に逗留。

花見車 素堂評あり。

三河小町 白雪編。発句一。

利休茶道具図 茶人、山田宗偏の『利休茶道具図』に序文。

▽元禄十六年 1703 62     

歌林尾花末   梅柳軒水編。和歌一首入集。

行脚戻 五桐編。発句一。

分外 艶士編。発句一。

▽宝永 元年 1704 63     

山中集 涼菟編。素堂、木因併せて芭蕉の二友と称せられる。

☆四月江戸出立、七日から十二日まで逗留。発句、連句あり。

千句塚 除風編。文章一篇、発句一。

渡鳥集 卯七・去来編。発句二。

誹諧番橙集   除風編。発句一。

五十四郡 沾竹・沾荷編。発句一。

濱萩 柳舟編。発句一。

たみの草 湖白編。発句一。

文章一、発句二。

▽宝永 二年 1705 64     

歳旦漢詩 歳旦所懐漢詩二編。

寸濃字 支考・座神編。序文。

☆蝶羽亭逗留 閏四月九日、鳴海の蝶羽亭に至り、

五月五日まで滞在。

五日鳴海を発って江戸に向かう。

知足斎日々記 発句三。

誰身の秋 吾仲編。発句一。

夢の名残 海棠編。発句一。

木曾の谷 楚舟・野坡編。発句一。

やどりの松   助給編。発句一。

賀之満多知   発句一。

▽宝永 三年 1706 65     

東山萬句 支考編。序文。発句一。

猫筑波 梅員編。発句一。

▽宝永 四年 1707 66     

東海道記行 春、上洛。東海道記行を草す。和歌・漢詩・発句

風の上 嵐雪追善集。追悼文。

菊の塵 園女編。序文。

かくれさと 片海編。発句一。

▽宝永 五年 1708 67     

とをのく集   百里編。嵐雪一周忌。

梅の時 少長(歌舞伎俳優 中村七三郎)追善集。序文。

▽宝永 六年 1709 68     

星會集 輪雪編。発句一。

既望集 吟墨編。発句一。

根無草 艸士編 発句一。

素堂主人書簡 曾良宛。発句二。

▽宝永 七年 1710 69     

歳旦漢詩 一篇。

三山雅集 呂茄編。発句一。

★素堂病に臥す。☆瘧(おこり)にかかる。

葛飾 芭蕉十七回忌追善集。序文。

▽正徳 元年 1711 70     

誰袖 蘭臺編。発句一。

とくとくの句合 自著、この年頃成立か。

鉢扣 伊丹、蟻道追悼集。序文。発句一。

▽正徳 二年 1712 71     

歳旦漢詩 京都にて歳旦の臨み、漢詩を吟ずる。

千鳥掛 蝶羽編。序文。発句六。

素堂書簡 京都にて伊丹の億麿に鉢扣贈呈の礼状。

花の市 寸木編。発句一。

▽正徳 三年 1713 72     

鏡   舎羅編。発句一。

★火災遭遇 師走、火災に遭う。

▽正徳 四年 1714 73     

歳旦漢詩 漢詩一篇。

▽正徳 五年 1715 74     

みかへり松   祇空編。発句一。

昔の水 古梅園編。発句一。

▽享保 元年 1616 75     

この馬 法竹編。発句一。

鵲尾冠 発句一入集。越人編。(刊は、翌年)

▽享保 元年

素堂、八月十五日    逝去。


間違い でたらめ 素道 『甲斐国志』巻之百二 士庶の部

2024年06月09日 09時14分19秒 | 山梨県歴史文学林政新聞

素道 『甲斐国志』巻之百二 士庶の部

素道 山口官兵衛ト云。姓ハ源名ハ信章、字ハ子晋、一云公商。其先ハ州ノ教来石村山口ニ家ス。因為氏後移居府中魚町、家頗ル富ミ、時人山口殿ト称ス。信章ハ寛永十九年壬午五月五日生ル。故ニ重五郎ヲ童名トス、長シテ市右衛門と更ム、蓋シ家名ナリ。自少小四方ノ志アリ。屡々江戸ニ往還シテ、受章句於林春斎、亦遊‐歴京都学、書於持明院家、和歌於清水谷家、連歌ハ再昌法印北村季吟ヲ師トス。松尾宗房ト同門ナリ。茶ハ今日庵宗旦ノ門人ナリ。俳諧ヲ好ミテ宗因 号梅翁大阪人 信徳 伊藤氏京都人 等ヲ友トシ仮ニ来雪ト號ㇲ。亦號今日庵蓋宗丹所授カ。遂ニ弟ニ家産ヲ譲リ、使襲称市右衛門自改名官兵衛、時ニ甲府殿ノ御代官櫻井孫兵衛政能ト云者能ク其能ヲ知リ、頻ニ招キ為寮属居ルコト数年、致仕シテ寓東叡山下専ラ以儒售ル、人見友元竹洞ヲ学友トシ、諸藩ニ講ジ詩歌ヲ事トス、傍ラ茶・香・聯俳・演劇・平家等ニ及ベリ。一旦世外ノ思ヲ発シ、家ヲ葛飾阿武ニ遷ス、是芭蕉庵桃青、伊賀人松尾甚七郎、初風羅坊、元禄中歿年五十三 ノ隣壁ナリ、二人ノ者、志シ同ジク、先師季吟ノ教ヲ奉シテ諸藩ニ講シテ、正風体ノ俳諧ヲ世ニ行ハントシ、更ニ名素堂 堂又作道同 実ニ天和年間ノ事ナリ。

元禄八乙亥歳 素堂年五十四帰郷シテ拜父母墓旦謁櫻井政能 前年甲戊政能擢為代官触頭在府中 政能見素堂喜ヒ抑留シテ語及濁河事 嘆息シテ云、濁河ハ府下汚流ノ所聚頻年笛吹河瀬高ニナリ、下水道壅カル故ヲ以テ濁河ノ水、山梨中郡ニ濡滞シテ不行、本州諸河漂‐流砂石其瀬年々高シ 民苦溢决至今尚爾為国ノ病實ニ甚シ、山川部ニ委シ、被水禍者十村就中、蓬澤、西高橋二村最曵地ニシテ田畠多ク沼淵トナリ。當此時村人捕魚鬻四方換食、蓬澤ノ鮒魚名于州ト云。雨降レハ釣釜重床田苗腐敗シテ収穫毎ニ十之二三ニ不及、前ニ歿居者数十戸、既ニ新善光寺ノ山下ニ移レリ。餘民今猶堪ヘザラントス。政能屢々之ヲ上ニ聞スレドモ、言未ダ聴カレズ、夫為郡観民患乃救之コト不能ヤ、吾辨テ去ント欲ス。然ドモ一謁閣下自陳事由决可否ヘシ、望ミ請フ、足下姑ク此ニ絆サレテ補助アランコトヲ。素堂答テ云、人者コレ天地ノ役物ナリ観可則進ム、素ヨリ其分ノミ、況ヤ復父母ノ国ナリ、友人桃青モ前ニ小石川水道の為メニ盡力セシ事アリキ、僕謹テ承諾セリ、令公宜専旃ト政能大ニ喜テ晨ニ命駕十村ノ民庶啼泣シテ送其行、政能顧謂之云、吾所思アリ、到江戸直訴ントス、事不就トキハ見汝輩コト今日ニ限ルヘシ、構ヘテ官兵衛ガ指揮ニ従ヒ相乘乖クコトナカレ云々。素堂ハ薙髪ノマゝ挟双刀、再称山口官兵衛、幾程ナク政能帯許状江戸ヨリ還ル。村民の歓知ヌベシ、官兵衛又計算ニ精シケレハ、自是夙ニ勤役夫濁河ヲ濬治ス、自高橋至落合築堤二千百有餘間導キテ笛吹河ノ下流ニ會セ注ク、明歳丙子月日落成ス、悪水忽チ流通シ沼淵涸レ稼穡蕃茂シテ民窮患ヲ免ル、以前奔他者皆奮居ニ復シ修祖考墓コトヲ得タリ。於是生祠ヲ蓬澤村南庄塚ト云所ニ建テ、称櫻井明神併山口霊神、歳時ノ祭祀至今無怠聊報洪恩ト云、素堂其事畢リ蚤ク葛飾ノ草庵ニ還去リ、亦述ニ宿志遂ニ桃青ト共ニ俳諧専門ノ名ヲ為セリ。享保元年丙申八月十五日逝ス、歳七十五、葬谷中感應寺、甲府尊體寺ニモ碑アリ、法諱、眞誉桂完居士。政能ハ同十六年辛亥年二月十四日逝ス歳八十二 素堂ヨリ少ナキコト八歳、元文三戊牛七月、政能ノ姪斎藤六左衛門正辰ト云者、奉役テ本州ニ来リ。御勘定方ナリ、毛見ノ観察ヲ奉ハル、先是享保十八年丑年ニモ来タリ。祠前ニ樹石記其事倭漢二章全文附録ニアリ。