素堂が俳諧書にその参加が認められる以前の俳諧の流れについて確認しておきたい。
資料は、『俳文学大辞典』角川書店による。
書は刊行された俳諧書 参は参考資料一部加筆 部分は筆写挿入
寛永十九年(一六四二)素堂生まれる。
七月、西武『鷹筑波集』刊、貞徳直門撰集の嚆矢。
季吟、一九歳で貞徳に入門か。
寛永二十年(一六四三)
一月、貞徳『新増犬筑波集』刊、貞門俳諧の範を示す。
書『新撰対類』『誹諧独吟千句』歿望一五十八才
参九月、幕府編『寛永諸家系図伝』成。
正保 元年(一六四四)芭蕉生まれる。
一月、重頼、東下し江戸俳壇と交流。
一〇月、貞徳、『天水抄』を令徳に伝授、俳諧伝の基礎となる。
書『寛永廿一年俳諧千句』参一二月一六日改元。
参幕府、諸国大名に国絵図作成を命じる。
正保 二年(一六四五)
二月、重頼『毛吹草』刊。
書『厳島大明神法楽連歌三百韻』『十一韻』
正保 三年(一六四六)
春、正式『郡山』、正章『氷室守』の両書、『毛吹草』を攻撃。
書『切紙秘伝良薬抄』『底抜磨』
正保 四年(一六四七)
貞徳、新年を新宅柿園で迎える。
九月、宗因、里村家の推挙で大阪天満宮連歌所宗匠となる。
書『云成俳諧独吟千句』『追福千句』『誹諧集三千句』
『誹諧集二千句』(『長崎独吟』『徳元俳諧紗』)
歿二月、小堀遠州六十九才。歿徳元八十九才。
八月、中江藤樹『鑑草』刊。
慶安 元年(一六四八)
一月、季吟『山の井』刊、季蓮に例句を添えた季寄せの囁矢。
九月、『正章千句』刊。正章、俳壇における地位を確立。
書『西行谷法楽千句』 二月一五日改元。
慶安 二年(一六四九)
一月、宗因、大阪天満宮月次連歌再興。
書『花月千句』『師走の月夜笥そらつぶて』『風庵懐旧千句』
『望一千句』
参二月、農民の心得を記す慶安御触書発布。
四月、未得『吾吟我集』成、個人狂歌集の嚆矢。
慶安 三年(一六五〇)
一〇月、『嘉多言』刊(成)。書『伊勢山田俳諧集』『くるる』『誹諧抜書』『歩荒神追加』『野狩集』
参翌年にかけ、伊勢参り流行。
慶安 四年(一六五一)
四月、立圃、備後国福山藩に仕える。
七月、貞徳、『俳諧御傘』に式目をまとめ俳言を説く。
一〇月、令徳『遠山集』刊、貞門俳詰最大の撰集。
参七月、由比正雪事件。八月、家綱、将軍宣下。
承応 元年(一六五二)
一月、柳営連歌、一一日に式目を変更。
以後、幕府瓦解まで続く。
二月、宗因、菅家神退七五〇年忌万句を興行。
三月、『尾陽発句帳』刊、尾張俳壇俳書の囁矢。
一二月、『若狐』刊、井筒屋(表紙屋)庄兵衛刊行俳書の囁矢。
書『十寸鏡』園定
参六月、若衆歌舞伎禁止。九月一八日改元。
承応 二年(一六五三)
一一月、貞徳八十三才没、生前、『貞徳独吟』を遺す。
西武・正章(貞室)ら、後継を争う。
卜養、将軍に見参を許され、江戸に居宅を賜る。
この年、任ロ、西岸寺住職となる。
書薗『貞徳終焉記』『美作道日記』
参一月、玉川上水の工事着工、翌年完成。
承応 三年(一六五四)
一月、正章、貞徳後継を意識し貞室と改号。
一〇月、宗因、重頼らと百韻興行。
書『承応三年平野熊野権現千句』『伏見千句』
参三月、土佐光起、絵所預となり土佐派を再興。
七月、明憎隠元、長崎に来航。
明暦 元年(一六五五)
書『紅梅千句』『信親千句』『毎延俳諧集』『夜のにしき』
参四月一三日改元。
この年、山崎闇斎、京都で講義を始める。
明暦 二年(一六五六)
一月、長式『馬鹿集』刊、令徳・貞室を批判。俳壇にわかに活
発化。
同月、休安『ゆめみ草』刊(奥)、守武流を標榜し、反貞門勢力
の大阪・堺・伊勢俳壇が結集。宗国風流行の素地となる。
三月、季吟、祇園社頭で俳諧合を催し宗匠として独立、貞室を
攻撃。『いなご』刊(序)、絵俳書の嚆矢。
九月、宗因、天満碁盤屋町向栄庵に入り俳諧月次会を主催。
書『祇園奉納誹諧連歌合』『玉海集』『口真似草』
『崖山土塵集』『拾花集』『せわ焼草』『有芳庵記』
『吉深独吟千句注』
参汀松平直矩『大和守日記』執筆始まる(元禄八年まで)。
明暦 三年(一六五七)
一一月、蝶々子『物忘草』刊、江戸俳家による撰集の嚆矢。
この年、『嘲哢集』刊、『守武千句』を基準とする伊勢俳壇の式
目書。
書『牛飼』『沙金袋』『春雨抄』
参一月、江戸大火。遊廓新吉原に移る。
二月、徳川光圀、『大日本史』編纂に着手。
万治 元年(一六五八)
書『鸚鵡集』『尾張八百韻』『拾玉集』『俳諧進正集』
参七月二十三日改元。
七月、中川暮雲『京童』刊。
万治 二年(一六五九)
九月、胤及『飽屑集』刊(跋)、中国地方俳書の嚆矢。
この年、風虎、発句初見。江戸において諸流に門戸を開き文学
サロンを形成。
書『伊勢俳諧新発句帳』『捨子集』『貞徳百韻独吟自註』
『満目集』
万治 三年(一六六〇)
七月、『境海草』刊、堺俳壇撰集の嚆矢。
重頼『懐子』で、本歌本説取りの新風を掲げ、宗因の謡曲調を
紹介。
一二月、宗賢ら『源氏鬢鏡』成、俳家系図の嚆欠。
万治年間、河内国の重興、雑俳の起源となる六句付創案。
書『歌林鋸屑集』『木間ざらひ』『新続犬筑波集』
『誹諧画空言』『俳仙三十六人』『百人一句(重以編)』
『慕綮集』『和歌竹』
参一九月、内海宗恵『松葉名所和歌集』刊。
一二月、大蔵虎明『わらんべ草』成、能と狂言を連歌・俳諧の
関係に譬える。
このころ、浅井了意『東海道名所記』成。
寛文 一年(一六六一)
この年、在色、江戸へ下向、忠知に俳諧を学ぶ。
書『烏帽子箱』『思出草』『天神奉納集』『へちま草』
『弁説集』『水車軏・水車集』
参四月二五日改元。
寛文 二年(一六六二)
この年、西鶴、俳諧点者となる。
書『伊勢正直集』『雀子集』『旅枕』『俳諧小式』『初本結』『花の露』『鄙諺集』『身楽千句』
参二月、伊藤仁斎、京に古義堂開設。
寛文 三年(一六六三)
八月、一雪、『俳諧茶杓竹・追加幅紗物』刊、『正章千句』を攻
撃。貞室側は翌年六月刊『蝿打』で反撃する。
書『埋草』『尾蝿集』『木玉葉』『早梅集』『貞徳誹諧記』
『誹諧忍草』『俳集良材』『破枕集』
参五月、「武家諸法度」に殉死禁止を加える。
寛文 四年(一六六四)
九月、重頼『佐夜中山集』成、芭蕉初入集。
書『東下り富士一見記』『阿波京葉』『落穂集』『三湖抄』
『俳諧名所付合』『誹諧両吟集』『はなひ草大全』『神子舞』
参この年、歌舞伎、続いて狂言が創演。
寛文 五年(一六六五)
三月、似船、『蘆花集』を刊行し、以後京俳壇で活躍。
一一月、『雪千句』刊、宗因を大阪俳壇の盟主に据える。
芭蕉、蝉吟主催貞徳翁一三回忌追善百韻に一座。
書『書初集』『小倉千句』『小町躍』『西国道日記』
『四十番俳諧合』『天神の法楽』『俳諧談』『都草』
『連歌新式増抄』
参七月、諸大名の人廃止。この年、山鹿素行『山鹿語類』成。
寛文 六年(一六六六)
三月、西鶴、可玖『遠近集』に初入集。
九月、重徳『誹諧独吟集』刊。
重徳は、以後俳諧出版書肆として新風を援助。
書『東帰稿』『正友千句』『名所方角抄』『夜の錦』
歿蝉吟二十五才。
参三月、了意『伽婢子』刊、怪異小説流行を招来。
寛文 七年(一六六七)
一月、『誹諧小相撲』刊。諸国点者の批点を比較する俳書の嚆矢。
季吟『増山井』刊、以後の季寄せの範となる。
書『貝殻集』『玉海集追加』『続山井』『八嶋紀行』
『やつこはいかい』