嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

向こう側の景色-夢をみる

2006年05月12日 23時54分46秒 | 詩に近いもの
せまったるい白さの中で
ただやみくもに透明だけをむしろぅ

ありふれた切なさの中で
ただ僕だけが自分の透明を追いかける

逃げてゆく君の手の中で
掴み取れない色だけを見る

大きな妄想のたまごの中で
小さな現実だけを見ている君が居る

まどろむ景色のねむたい君のために
僕はぼくの世界に広がる歌をうたう

ブランコの上でハンモックを夢見る君だから
僕は背中を押すのも忘れて
ただ君の世界をさまよう

腕を忘れた職人のように
透明な手で、君に触れるために
僕は透明な自分を、ただいつも死の世界から取り出そうと
現実と名付けられた君の世界に苦悩する。

「現実?」それは君のことだろう
君が目覚めずにいつまでも眠っている
その碧い虫カゴのことだろう

「透明?」それはいつも陽の光に照らされて
いつまでも焼けただれている
僕の影のことだろう

やみくもに、やみくもに、その厚みの向こうにある、
透明な白さだけを追う
痛みの中にだけ、存在を隠す君がいるように

まっすぐに、君の瞳の向こう側を見る

よく見える景色だけを、君がぬりたくるように。

2006年05月12日 23時18分41秒 | 駄文(詩とは呼べない)
本当の事を言うのがつらいなら
嘘を言えばそれで楽になれる

そんな簡単にはいかない

自分はいつもいつももう一人の自分に騙されていて
いつも僕だけを選んで騙そうとする僕がいて
僕はその事に気付くたびにショックをうけたり
おだやかに微笑んで気付かないフリをしたりする

そうやって、
僕らの言葉は僕たちを決められた空間へ誘ってゆく
だけど、その時こそが本当に嘘が立脚する瞬間で
元々は想定しない限り本当も嘘も存在していない

誰も何も思い出していないのなら
僕の根拠は既に無かったことと同じくらい失われている

記憶に対する信頼性はエラー訂正を行う僕自身に委ねられている

けど。

形から何かを思い出そうとする限り
僕らの記憶は予感と同じ速度で僕らを運んでいく

そこにもし、一本の流れがあるのなら
僕の歴史は、真っ直ぐな歪みの中でうねりを呼んでいる

誰も見ていないものだけをみる
誰も感じない事だけを感じる
誰も知らないことだけを知る

誰にも会わず
誰も要らない世界で
誰一人として

誰も僕を知らない

それだけが
僕に許された孤独

明日から、僕の事を忘れて欲しいのであれば
誰にも気付かれないように
背景のような普通を演じよう

透明な靴を履くことはやめて
肌色の、灰色の、真っ黒の、あの革靴を履いて
街の音の中を歩く

ひとたび歩き出してしまえば
止めることは難しくとも
歩くことはさほど難しくはない

だから僕は毛皮の衣をぴちっと着て
君に にゃーおと呼びかける

水色の空に白い雲が流れて
透明な世界は向こう側へかき消されてゆく

寂しさが獣にばれないように
背中を撫でて静電気の音を聞く

君たちの背景の中で、
君に声が届く時、
いつも僕はそこにいる

会えない扉の前で、警報器のようなノックをし続けるたび
僕は君の後ろに立っている
それを僕は「前」と呼ぶ

ただ、君の前に立つ時の中に
ただ、そこで君の背景に溶け込むために
僕の靴音は、足音の中に忍び込んでゆく

猫がもう一度、君を見てあくびをする。

背中の電気が、ぱちぱち眠る

僕は足音をジリリと指さして
君の前から立ち去る

それが僕たちの合図で、君に秘められた僕の景色。

本当のことは必要ない。

ただ君が見ている真実があればいい

そういう風が吹いて、僕は君の日常を思い出してゆく。

ゆっくりと濁る白い壁の向こうで

2006年05月12日 03時34分37秒 | 駄文(詩とは呼べない)
真っ白い壁と向き合っている
むしろ「 」と書くか

まっしろいかべと向き合っている

と書くか

あるいは

マッシロイカベトムキアッテイル

と書かなければいけないのかもしれない、と思う。

みつめればそこに白さなどというものは量子的には存在していない
ぼんやりと見つめるからこそ白いのであって
厳密に白いものなどこの世界には存在していないと思う。

ただ、この考えもかなり横暴なもので
それは白いものをぼんやり見つめている最中にも
激しく小刻みに動く何かを
意識が無意識のように観察してしまうからであって
超現実的に考えればそこには何も存在していない。

けど、僕はこの白さを、白くもない世界の中で
まるで透明な何かに触れるように
白さとして思い出すことに成功している。

その事を、時々不思議に思う

原色が、小刻みに振動する世界で
僕は震えながら色を見つめる。

あるいは、そのように見ている者は
そこにはレキとして存在はせず。
あるいは礫としてのみそこにあるかのように
色が小刻みに変化することで振動を伝えているか、
あるいは僕自身が振動によって無色透明を色の変化だと思い込んでいるか。

痛みによって知覚するのであれば、
僕はむしろ隣に黒い物を置かねばならない。

しかし取り出している記憶と
触れている記憶は何かが違う。

違うということ自体が錯覚で
物事は常に形の喪失の中で
形という幻想が消失する世界でのみ
存在は痛みとして知覚されるという運動性かもしれないが、

僕の中では世界はぼんやりと白く濁っている

透明な、誰も触れることの出来ない世界に憧れる。

そこに万が一、僕だけが触れることがあったとしても、
気付けば僕は死んでいるということでしかないだろう。
そしてまた、それをここに書き記す事は不可能に近い
絶望的な困難だろう。

けれど、僕はもう
ここに伝える必要性をほとんど感じていない。
あるいは死を、独占的に受け入れる事に成功しかけているのかもしれない。

だから僕は、君が読むたびにその事を思い出して
ここに生が降り注ぐ残酷であるように
まるで物語を書き記す意識として、
ここに嘘吐きの証明の断片を、
君と共に記す。

白い壁が存在している

今、ここに。

僕と君を隔てる、小さくて大きい、素晴らしく切実なやわらかい壁が。
誰も超えることの無い、暖かで堅苦しい白い壁が。

僕は今、その白い壁を透明な意識から思い出している。