嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

数字に謝って、うんざりするほどに。

2006年05月20日 21時36分12秒 | 駄文(詩とは呼べない)
僕は数字に従ってばかりいる


だからいつまでたっても時間は過去から未来へ流れるんだろうな。
数字が僕に従う時代は、いったいいつ来るのやら。

まぁいいけど。

それにしても、言葉はひじょうに不便だ。
言葉のために僕がいるのか、
僕がいるから言葉があるのか、
それのどっちでもないのか、
そんなことはもはやとっくに終わったような話だが

一人の人間が一つの言語を自由に使用出来る時代がこない限り
僕らはいつまで経っても本物の自由を手に出来ないし
宇由が自由と重なる事もないんだろうな。

みんなが自分のリズムで全く異なる言葉を特殊な声で発したらいいし
いちいち量子化された言語の法則に従ってノイズに苦しめられる必要は無いと思う。

雑音だらけの世界で自分の耳を疑うよりも、
美しい世界で君の声だけを聴いて死んでいきたいよ。

僕はいったいいつまで物理学者のたわごとに従って
物理現実を生きなくちゃいけないのか、
いい加減ザクっと決めて欲しいもんだが、
自分の死ぬ時を自分で決められるだけ
この世界はちったぁマシな方なのかもしれない。

一つ質問があるんだけど。

光は、三つの状態変化に束縛されたりしないのかい?
ただ真っ直ぐに、僕をめがけてやってきて、
僕を殺して過ぎ去ってゆくのかい?

そうであればいいな、と思う。
まっすぐに美しい丸さが、
歪んだ直線をからめとって
違う世界を開けばいいと思う。

そうあることが、美しさを説得しないで済む、ひとつの方法でもあるのだし。

僕は君と会って変わったかな
君はたぶん、僕と会っても変わらなかったと思う。
あるいは君が変わったと思えることの全てが、
もともと君に備わっていた本質的な喜びであったように思う。

僕はもうしばらくの間、
元気でいられると思う

「さようなら」
それを言い忘れて
僕はずっと、夢の中で謝ってばかりいる。

明日に殺され続ける世界の檻で。

2006年05月20日 21時20分00秒 | 駄文(詩とは呼べない)
明日に殺され続ける世界の檻で。


絶望的な、夢を見ている。

大きさが、小ささが、四次元的な方向性を持つことを心配している
むしろ最近は量子化の方が深刻で
ある種の始まりから終わりへ向けて始まっていないことや
断片的な記憶が僕をバラバラにしていく

ゼロ次元的な話で言えば
僕らはいつも毎秒毎秒が別人で
常に自分という他者に出会い続けなければならない
そのような義務を、ゼロ次元はいつも背負う。
いつも繋がっているという「いつも」を失うことによって
断片化は深刻なレベルに到達する。

存在の否定と、存在の肯定が、交互にやってくる世界で、
虚構と現実が、複雑に入り混じったカオスを演じる。

しかし問題はそちらの話ではなくて
むしろ指数関数的な方向が特定数値の四次元と同質化してしまっている事にある。
確かに乗数を増やしていく事は、無限大の観念に
かなりの速度で近づく事が出来る。

が、

少なくともX^nが現時点で=∞となる事は無いし、
世界はそれほどには静止していない。

永遠の世界では
-無限大と無限大は同質であるし
無限大を超えた時点でようやく1へと循環する性質も含んでいる

特殊な状態を定義するのであれば
循環無限大と静止無限大は別の観念であると言うことも出来る。
閉じられた宇宙では無限大はただの1でしか無い。
循環無限大では1=3になったり1=7になったりする可能性がある。

別な言い方をすれば
有限永遠と無限静止はよく似ているが別の観念である

有限永遠の世界では伝達が存在する
物理法則のひとつとして、伝わるという事が当然の世界である
だが、無限静止の世界では 物体が物体と出会うことは無い。
そこには状態変化が存在していない
存立の起源を確かめようとしても、世界はただ永遠であるというその事しかない。

同じようにして考えると
無限静止状態では自由と宇由が同質の意味を持ち、
その違いを判別することは不可能なのだが
有限永遠の世界では自由には責任が伴うし、
物体が三つの状態変化を打ち破らねば
宇由な意識が宇宙生命体の核となって
自分の大きさが宇宙の大きさと体感で重なることは無い。

有限である社会へと人間が還元されていくのは
人がエネルギーの約束を決して破らないからだし
伝達を伝達として当然のように受け止めているからだ

エネルギーの糸を切断せぬかぎり、
また、重なるようにして
社会での認知を破壊せぬ限り
3という数字はなかなか安定から抜け出す事は出来ない。
世界が三次元である方が、三次元人たちにとっては有利であるし
馬鹿な自分に酔っていられるからだ。

そしてまた僕は、平面幾何学的なのっぺりした空間に時間が足された三次元に拘束され、
決して人間の厚みを理解する事はない。
僕は物体の高さと奥行きが同じレベルで存在しているように見えるし、
また、いつもそれらを眺めているだけでしかない。

なぜなら。

星には触れられない。

それが経験上の事実で、
毎日星を眺めるようなロマンチストでもないし
毎日人を踏み潰して喜んでいられるほど現実主義者でもない。

僕は駄目だ。
明日へ向けて、手紙ばかり書いている
行動が自分を誤魔化すための幸せに繋がっていると知っていても
明日の君がいる場所へ手紙を書くことをやめられない。

僕は光ばかり欲している
ブラックホールには重力しか無いんだろうか。

明日が無くなってしまうほどに、
世界を吸い込み続けていればいい。

さようならを呑み込んで、僕たちの言葉に変える。