嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

人間の生きる目的について、考えたこと。

2007年02月09日 13時07分18秒 | 駄文(詩とは呼べない)
中学の時、いじめられていた。
小学の時、逆にいじめていた。
その時は、その事がとてもつらかったけれど、
それが特別僕を殺そうとはしなかったし、別にそのことで死のうともしなかった。
友達は居なかった
でも、特別寂しくもなかった
さびしいなんてこと、わからなくとも僕には僕の誇りがあったし
僕は望まれてこの世界に居るって、はっきりわかっていたから。

中学二年の時、作文を書いた。「人間の生きる目的」
中学三年の時、文章を書いた。「人間は生きるべきか死ぬべきか。」

人間の生きる目的は、風呂に入っているとき、急に思いついて
それ以来、気になって気になって仕方なかった。

それからしばらくして、読んだ漫画の中に
「決着をつけようじゃないか、人間は生きるべきか死ぬべきか」
そんな問いが書かれていた。

記憶は薄らいでいて、言葉はとてもあやふやな輪郭をたどるけれど、
それでも、一度として、その問いに答えられた人は居なかった。
そしてまた、僕も同じように、答えを濁したまま今を過ごしている

子供の頃、自分で考えて書いたことのなかには、
「人間の生きる目的が、わかっているなら行動すれば良い。
もしわからないのなら、とりあえず生きてみればいい、
いつかわかるかもしれないから。」
そのような事を書いた記憶がある。

多くの人が、問いに答える事よりも、
今をとりあえず生活する事を選んでいると思う。
生きることにも、死ぬことにも、問いに答えることにも、
曖昧に判断を濁したまま、それでもなんとかかんとか、やっていけるから。
だけど、必ず許されない時は来る。

僕は、身近なモノが、記憶が、人間が、人の形をした記憶が、刻まれた心が、
どうしようもない記憶が、掴み取ったと錯覚したモノが、あるはずだと信じたはずのものが、
全て消えていく世界の中で、
決して、生を、死を、自分を、世界を、全てを、許すことは出来ないと思った。
どんな他者の存在も、どんな美しい記憶も、光り輝く景色でさえも、
いつかは必ず消えてしまうこの世界を、僕はいちいち、許したりはしたくないと思った。

だから僕は、自分が生きる範囲を決めた。
自分が行動する範囲も、自分を許す範囲も、人を殺す範囲も、人を殺せない範囲でさえも。
きっとそれが、僕の世界の圧力であり、僕の閉じ込められている牢獄なのだと思う。
だけど、罪を決めたのも、僕を罰したのも僕自身なのだから、
僕は最後まで罪をあがなって生きると思う。
あとほんのわずかの時間の中で、30の大人にならないように、
失われた決意を無くさないように、ずっと僕は僕だけの自分を憶えていると思う。

例えそれが、呪われたよわっちい消し炭のような言い訳に似ていても、
僕は自分がやりたいことさえできれば、僕を許していけると思う。
そしてもし、僕が僕の問いに答えられないのなら、
僕は決して僕を許さないだろう。

死ねばいい。
最後には
人は、必ず、最後に死ねばいい。
自力で。なんとかして、無茶も不可能もぜんぶがむしゃらに押さえ込んで、
自分の力で死ねばいい。

どんなに強い暴力でさえも、それが外に向いている限り、全ては生の絶え間ない広がりにしかならない。
僕は超越する。
生も死も、全てを飲み込んで、全てを粉々に破壊する。

明日が来たっていい。
僕はもう、とうに永く生きすぎた。