嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

時の祈りを奏でて

2008年02月02日 07時48分23秒 | 駄文(詩とは呼べない)
トーチカの朝はこんなにも静かなのに僕を囲いの中に閉じ込める
希望も絶望も、まだ生まれてはいない。
99%の絶望は、1%の希望という意味ではない。
それはそれがその中で100%の絶望に塗りつぶされる事によって
希望に生まれ変わるという朝だからだ。
僕はまた冷たく見て水を飲む。
こんなにも寒いあたたかな気候に包まれながら、
僕は表面張力によってしか、その繋がりを知らないから。
地獄のワイフが指をくわえて死体を待っているように、
僕を待つ夜は、その静けさによってしか、その雫のような時を、
光に包む事はできないのか。
始まる事と、終わる事が同時におきてゆく地平で、
僕は開かれる事もなく、閉じられることもないまま朝を迎えてしまうのか。
それとも、そこに夜の終わりを突きつけるのか。

どんな物事も、偏った僕の地平でしか覗かれる事のない、
メガネのような奇跡であるなら、
そこにある奇跡は、まったくもって閉じられており
もはや奇跡と呼べるようなしろものではない。

まだ僕は人類に希望など与えてやれない。
いまはまだ、君たちに見せられるのは僕の自殺によって行われる
ドライブレコーダーだけだ。

そのレコードが記録するものを、いったい何人の人が真実と思ってみるだろう。
誰が真実を事実にすり替えるだろう。
おそらく一人も奇跡など、信じてはいまい。
書いている僕自身が、なんの言葉も信じていないのと同じように。

だから僕たちは言葉に擦り寄る。
三日月型の月を見て、照らされている事よりも、
それが欠けている形である事にのみ、注目しようとするのが感情なら、
論理がそこに光を当てたとしても、
そのスポットライトのような衝動は、まだ月の引力を動かしたりはしまい。
どんなに円形の閉じられた力を持ってしても、
その重力崩壊はメカニズムとして開かれたままだ。

五次元の扉はすぐそこにあって、
僕はまだ始まりと終わりをなかなか超えられない。
あと一歩の勇気で、死と向き合えば、
そこに時を超えた永遠の何かは、
僕の心臓を、ふたたび揺すぶるのか?

同じ声の周波数で、君の歌をうたうのか?

全てが同時に起こる世界は、僕は誰の事も信じない。
なにものにも会う事がなければ、
そこから時は生まれない。
どんな閉塞的な閉じられた奇跡の時間さえも、
真実と向き合う事のできるものにしか、
その与えられた火を、僕たちに灯さない。

全てが神を殺せばいい。
自我なんてぐちゃぐちゃしたもの、言い出さなくったって、
みんながそれぞれに神を殺せばいい。

全ての開かれた宇宙と閉じられた宇宙が破壊される時、
僕の心臓は開かれて宇宙の外を刻み始める。
もはや何も知る必要は無い、
そんざいは、いつもそこで満たされるものへと変わるから。