脳の中に降り積もる、雑音じみた観念を、どれだけ遠く、いくばくか言葉に出来ても
そのつたないメロディーは、誰のこころにも届かない
同じ記号でひび割れて、不幸な何かを共有できたとしても、
その根底にある何かは、自覚できる限りにおいて、誰にも届かない。
もしも、この世界に言葉と呼ばれる錯覚の記号が無かったとしたら、
いくらかは、僕の気持ちも、僕のこころも、不安定で精神的な何かも、
つたわることがあったのだろうか
もしも、だれしもが、なにもかもを、いっさい思い込む事が無かったなら、
それは形という堅さを持たず、やわらかい長広舌のような、にげまどうにやにやした観念のままで
その糸はどこまでも広がっていくネットのようなものであっただろうか。
なにを間違う事で、誰が分断されたのだろうか。
神が60億に分かたれただけなのか。
苦しいほど絶望的な気持ちも、単に自分が許すだけで消えて無くなるものだろうか。
そうは思わない。
僕はそうは思わない。
きっとどれだけか言葉に出来ても、
きっといくらか許す事ができても、
それでも生まれた事による罪は消えない。
無痛症の気持ちを考える。
それはどんな絶望的な痛みなのだろうか
痛みが無いというのは、どんな痛みなのだろうか
うまれることのできなかった思いは、どこへ消えてゆくんだろうか
ぼくたちは、失う事でしか、もうこの世界に輪郭を遺せないのだろうか
自殺が伝わる事は怖い。
でも伝わらないことはもっと怖い。
いつまでも揺れていて消えない迷い
その迷いを、僕はいつまで、ここに遺すことができるのだろう
かわることのできないもの、
かえることのできないもの、
かわることのゆるされないもの、
かえることのゆるされないしばり、
その結び目を、両端を使わずに、中心から引っ張ってゆく。
誰にも届かない光を、僕は自分のために、吸い込んでゆく。
光より速く、自分の闇を見て、絶望的な宇宙を考える。
誰も居ない事の奇跡を考える。
誰にも伝わらない事の偶然を考える。
ひとしきりの雨が降って、
それが雪になっていく冷たさを考える。
本当は、なにも考えちゃいない。
だれもがただ、この世界をひとりで感じているだけだ。
そのつたないメロディーは、誰のこころにも届かない
同じ記号でひび割れて、不幸な何かを共有できたとしても、
その根底にある何かは、自覚できる限りにおいて、誰にも届かない。
もしも、この世界に言葉と呼ばれる錯覚の記号が無かったとしたら、
いくらかは、僕の気持ちも、僕のこころも、不安定で精神的な何かも、
つたわることがあったのだろうか
もしも、だれしもが、なにもかもを、いっさい思い込む事が無かったなら、
それは形という堅さを持たず、やわらかい長広舌のような、にげまどうにやにやした観念のままで
その糸はどこまでも広がっていくネットのようなものであっただろうか。
なにを間違う事で、誰が分断されたのだろうか。
神が60億に分かたれただけなのか。
苦しいほど絶望的な気持ちも、単に自分が許すだけで消えて無くなるものだろうか。
そうは思わない。
僕はそうは思わない。
きっとどれだけか言葉に出来ても、
きっといくらか許す事ができても、
それでも生まれた事による罪は消えない。
無痛症の気持ちを考える。
それはどんな絶望的な痛みなのだろうか
痛みが無いというのは、どんな痛みなのだろうか
うまれることのできなかった思いは、どこへ消えてゆくんだろうか
ぼくたちは、失う事でしか、もうこの世界に輪郭を遺せないのだろうか
自殺が伝わる事は怖い。
でも伝わらないことはもっと怖い。
いつまでも揺れていて消えない迷い
その迷いを、僕はいつまで、ここに遺すことができるのだろう
かわることのできないもの、
かえることのできないもの、
かわることのゆるされないもの、
かえることのゆるされないしばり、
その結び目を、両端を使わずに、中心から引っ張ってゆく。
誰にも届かない光を、僕は自分のために、吸い込んでゆく。
光より速く、自分の闇を見て、絶望的な宇宙を考える。
誰も居ない事の奇跡を考える。
誰にも伝わらない事の偶然を考える。
ひとしきりの雨が降って、
それが雪になっていく冷たさを考える。
本当は、なにも考えちゃいない。
だれもがただ、この世界をひとりで感じているだけだ。