嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

新しい風、新しい自分

2008年02月18日 18時03分04秒 | 駄文(詩とは呼べない)
最近STICKAMにどっぷり浸かっているんですが
何か新しい事が始まる現場に立ち会えるってのは
なかなか貴重な事なんだなぁ~、っと
ありがたさをしみじみ感じます。

というのも、僕はこれまでにwebのcgiチャットや、
IRC、邦楽のファンサイトや、アニメのファンサイト、
blog、ヤフーチャット、地下系掲示板、mixiなど
いくつかのコミュニティを点々としてきたんですが
どうしても僕はその場の空気に馴染む事ができず、
最終的にコミュニティを破壊して立ち去る事が多かったからです。

その中でももっともやっかいなのが
ネット絡みの恋愛やいざこざに関する事で
文芸出版のようなものに関わった時は製作のミステイクにおける問題で、
ヤフーチャットでは恋愛に関する問題で
僕が相手を批判し続け、不信感のような空気が蔓延して
かなり空中分解してしまいました。

一つには僕が相手を許せないという問題、
もうひとつは僕が後始末をきちんとしたり、
責任を全うする事ができない、という問題があります。
まぁ責任感に関しては、社会経験の中で
仕事を通してこれから育っていく部分だろうとは思うのですが。

人を許すという事はとても難しい問題です。
これはあるIT系企業の社長さんから直にお会いして諭された話なのですが
例えば経済を実際に引っ張って動かしている人、
(集団組織を実際に動かしている人)
は参加者全体の中で、5%未満に過ぎないというのです。

以前ひろゆき氏が2ちゃんねる系のラジオでしゃべっていた時、
掲示板に実際書き込みしてる人は、ROMを含めた参加者全体の、
10分の1程度しか居ないと言っていました。
そのようにして、コミュニティは成り立っていると。

これはなかなか難しい問題です。
気に入らない人間を排除していったら、
しまいには孤独な自分が部屋に一人取り残され、
それはつまり単なる引き籠もりの自分と
言葉という鏡を通して、えんえんと語り続ける事によって
行動としては黙秘し続ける道だからです。

村上春樹の小説に、行動が思想を変える、逆は不可
というくだりがあります。
部分的に引用しているので、意味はわかりづらいかもしれませんが。

ハードウェアがソフトウェアを変更する、
ソフトウェアがハードウェアを制御する、
と読み替える事もできます。
もちろん両者は渾然一体となっているものですが。

新しい事を始める、というのは
何かを変える、ということに繋がる道です。
なにも変わらないのであれば、それは新しさの予感でしか無い。

今、ぼくらの中にある新しい予感、
それは目の前で吹いている新しい風、
それと渾然一体となって、語られるものではないでしょうか?

僕らの中にある新しい選択、
それを選び取るきっかけは、
わずか5%未満の、弱い心の内側にあるのではないでしょうか。