バレンタイン、チョコはもらってねぇっす。
いや、そういや親がくれた。
まぁそういうのはもちろん数に含めないわけだが。
けどまぁ、チョコが形だとすると、
受け取るのは気持ちの方だから、
なにかは受け取ったのかもしんねぇな、と
少し思ったよ。
ありがと。
僕の言う事がわかってきた…
そうか。それはよかった、のかな?
でも全部わかったら、君は死ぬよ。
けどまぁ、少しわかった程度では大丈夫かもわからんねw
なんか、不思議なんだよね。
奇妙なんだよ、と話しかけることもできるけど……
僕のblogを読んで、詩だとか、詩じゃないとか、
そういうこともそうなんだけど、
めちゃくちゃ決めつけて読んでくる人もいれば、
憧ればっかりで接してくる人もいる。
そうかと思えば、君のように、少しずつ囓っていこうとする口もある。
ほとんどの人にとって、鏡にしかなっていないと思う。
たぶん、僕にとってもそう。
その鏡でしかない言葉を通して、どうして人は人間の方を決めつけたり、
人の方を決めつけたり、相手を決めつけたり、自分を決めつけたりしなくちゃいけないんだろう。
そんなにも、硬い世界なんだろうか?
僕はこの世界の事をあんまり信用してない。
ある人に言わせると、僕の言葉は外部を信用してる事の告白なんだそうだ。
もし、この世界にある全てが繋がっていて、その温かみから、
必死で熱を奪って逃げてるのが僕なら、
あるいはその比喩は、その言葉が語りかけるしぐさは僕に近いのかもしれない。
死って、熱のない領域から吹いてくる恐怖の息吹みたいなもんで、
僕が鼓動を重ねるたびに、どっと流れ込んできて、
僕の形をかえていくから。
だから、熱さから遠ざかっている時には冷たく感じるし、
冷たさから逃げている時には、熱く感じて涙が出たりするんだと思う。
きみは、ふりつもっていく手紙をどう読んでるだろう。
時々心配になることはある。
僕が感じてる死の予感とか、ほんとは誰にも伝わってなくて、
あるひ偶然うっかり忘れられちゃうんじゃないかって。
でも、君は「見てるよ。」って言うね。
かすかな小声で。
それぐらいが、僕にはちょうどいいのかもしれない。
あんまり強く誰かを願ったり、何かを願ったりすることなく、
黙々と日常をこなしていくことの方が多くて、
ともすれば僕は不安になるから。
でも、叫んでる時はその瞬間だけは切実なんだと思う。
なにが僕をそうさせるのか、僕にもさっぱりわからないけれど。
痛いときに、誰かが痛みを感じてくれるだけで、
人は掬われるのかな?
僕はそう思わない。
痛い時に痛みを癒すのが、人の気持ちだけだとは思わない。
それでも、痛い時、誰にもわかってもらえない痛みを、
「誰にもわかってもらえない」と思い込む痛みを、
僕は知ってるつもりになる。
この苦しみも、痛みも、つらさも、呼吸も、消えそうな自分も、
誰にも届かないんだと、すべてを諦めそうになるこの一瞬を、
誰かに伝えたいと、思わずにいられないほど、
人は弱いんだと思う。
僕はその弱さを、恥ずかしいとは思わない。
立派だとも思わない。
なすがまま、あるがまま、人は弱さとともにここにあるんだと思う。
そういうのは、奇蹟とか、神様のせいにしても、
全然癒されない。解決にならない。
だから自分で書こうとするんだと思う。
いつも形はグニャグニャするね。
手が届かないままの君でいて下さい。
手紙を、できるだけたくさん書くから。
いや、そういや親がくれた。
まぁそういうのはもちろん数に含めないわけだが。
けどまぁ、チョコが形だとすると、
受け取るのは気持ちの方だから、
なにかは受け取ったのかもしんねぇな、と
少し思ったよ。
ありがと。
僕の言う事がわかってきた…
そうか。それはよかった、のかな?
でも全部わかったら、君は死ぬよ。
けどまぁ、少しわかった程度では大丈夫かもわからんねw
なんか、不思議なんだよね。
奇妙なんだよ、と話しかけることもできるけど……
僕のblogを読んで、詩だとか、詩じゃないとか、
そういうこともそうなんだけど、
めちゃくちゃ決めつけて読んでくる人もいれば、
憧ればっかりで接してくる人もいる。
そうかと思えば、君のように、少しずつ囓っていこうとする口もある。
ほとんどの人にとって、鏡にしかなっていないと思う。
たぶん、僕にとってもそう。
その鏡でしかない言葉を通して、どうして人は人間の方を決めつけたり、
人の方を決めつけたり、相手を決めつけたり、自分を決めつけたりしなくちゃいけないんだろう。
そんなにも、硬い世界なんだろうか?
僕はこの世界の事をあんまり信用してない。
ある人に言わせると、僕の言葉は外部を信用してる事の告白なんだそうだ。
もし、この世界にある全てが繋がっていて、その温かみから、
必死で熱を奪って逃げてるのが僕なら、
あるいはその比喩は、その言葉が語りかけるしぐさは僕に近いのかもしれない。
死って、熱のない領域から吹いてくる恐怖の息吹みたいなもんで、
僕が鼓動を重ねるたびに、どっと流れ込んできて、
僕の形をかえていくから。
だから、熱さから遠ざかっている時には冷たく感じるし、
冷たさから逃げている時には、熱く感じて涙が出たりするんだと思う。
きみは、ふりつもっていく手紙をどう読んでるだろう。
時々心配になることはある。
僕が感じてる死の予感とか、ほんとは誰にも伝わってなくて、
あるひ偶然うっかり忘れられちゃうんじゃないかって。
でも、君は「見てるよ。」って言うね。
かすかな小声で。
それぐらいが、僕にはちょうどいいのかもしれない。
あんまり強く誰かを願ったり、何かを願ったりすることなく、
黙々と日常をこなしていくことの方が多くて、
ともすれば僕は不安になるから。
でも、叫んでる時はその瞬間だけは切実なんだと思う。
なにが僕をそうさせるのか、僕にもさっぱりわからないけれど。
痛いときに、誰かが痛みを感じてくれるだけで、
人は掬われるのかな?
僕はそう思わない。
痛い時に痛みを癒すのが、人の気持ちだけだとは思わない。
それでも、痛い時、誰にもわかってもらえない痛みを、
「誰にもわかってもらえない」と思い込む痛みを、
僕は知ってるつもりになる。
この苦しみも、痛みも、つらさも、呼吸も、消えそうな自分も、
誰にも届かないんだと、すべてを諦めそうになるこの一瞬を、
誰かに伝えたいと、思わずにいられないほど、
人は弱いんだと思う。
僕はその弱さを、恥ずかしいとは思わない。
立派だとも思わない。
なすがまま、あるがまま、人は弱さとともにここにあるんだと思う。
そういうのは、奇蹟とか、神様のせいにしても、
全然癒されない。解決にならない。
だから自分で書こうとするんだと思う。
いつも形はグニャグニャするね。
手が届かないままの君でいて下さい。
手紙を、できるだけたくさん書くから。