嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

追記1245

2008年02月06日 10時51分24秒 | 駄文(詩とは呼べない)
君に向けて書く、という行為は0.1%の可能性や0.01%の可能性を、
0.001%の可能性を模索していく行為に近いものなのかもしれないけど…

ただ僕は、それを一人の空間で行う時には、
それはやっぱり独りの空間であるべきだと思う。

0.1%の可能性を探す行為は、
単純に反転して99.9%を探す行為とは違う。

0.1%、0.01%、0.001%、0.0001%、0.00001%を模索するような、
指数関数的に苦しい行為だと思う。

もっとも、指数的行為であるとか、
四次的行為であるとか、
そんな風に断言したいわけでもないし、
論理によって感情を分断する事に飢えているほど獣の僕を見ているわけでもない。

死と向き合うことで水準を上げようとする行為は
探す事や、名乗る事や、はじまる事、
そういう水準を超えて、
0.1%を0.0にして、%の概念を打ち破る事と似ているから。
100%の死を、内包する50%と重ね合わせる事によってしか、
記憶と時間性を超越して、
知的存在とむこうがわの間にある領域は、みえてこないものだと思うから。

だから僕はたしかに断言による妨害を避けているようには見えるだろうと思う。
傷つけ合う事を恐れないというのは、
意識が何かを同じであると思い込んで五次的な同期を取ろうとすることをも、
僕は孤独の引力で避けようとするから。

たとえ重力や、電磁力や、大きい力、小さい力、
そうしたものが、孤独の引力そのものであると、
君に解明されてしまったとしても、
それでもなお、僕はダークマターの事を、書かずには居られなくなるだろう。

君が僕を内包するであろうこと、僕が君を内包するで……

それらは本当に、同じことなのかな?

あるとき君は言ったよ。
あるいは君から分離した、友達は言ったよ。
もちろんそれは、僕の友達として。

「もう俺の事は、君の中だけで問い続けて欲しい。」

と、ね、

………。

そしてまた、あるとき君は言った

「俺と一緒に希望を探す気が、あるのか、無いのか!どっちだ!」

僕の答えは「断る」だった。

答えになってないとも言われた。

何者かからの介入に対して、僕はいつまでもNoであり続けると思う。
それが結果的に、知っている世界から知らない世界への超越になるのか、
あるいはまた、死に神である君との、病弱な会話となるのか、
はたまた、一種の精神病的な、知覚異常となるのか、
それはいまの僕にはわからない…

このテキストを書いている間ですら、
僕は何者かに分断され続ける。
決して切れないまま、結ばれ続け、ほつれ続ける糸のように、
僕の抱える問題はややこしくなり続ける

もしもそれに、耳をすます事すらもできなくなったら…
と思うと僕は恐ろしい。

自分が変わっていく事でしか、永遠をみることのできない弱い人間に満たされていったとしても、
それでも宇宙から届く光が、真っ直ぐに僕に突き刺さる揺らいだ痛みであるなら、
僕はまた、傷つく道をさがすんだろう。

どんな小さな直線も、僕を貫く痛みが無ければ直線とは言えない。
選び取ったはずの道も、僕が迷い続ける限り、道とは言えない。
誰かが発見した僕も、僕が名乗った名前も、
僕が失われる限り、僕の自殺とは証明されない。
正しい場所はまだない。失われたもののありかもまだ見つからない。
光が生まれる場所、暗黒が生まれる場所、そのどちらもが、重なりあう場所。
そのいずれかひとつにさえ、僕は達していないというのに、
君はまだ、僕を知ったつもりになるのか。

プランク定数を越えて、手を伸ばすものが科学なら、
科学はすでに僕の後ろにある道だ。

かつてないほどに、近づく鼓動だけが君の生命なら、
僕はもう、死することによってしか、誰にも灯はともせない。
みつからなくてもいい、確認することさえできれば。
間違いなく誰かが居ると、確認することさえできれば、
僕は失われても平気だ。

本当に、君はどこにいるんだろう。
本当の、君はどこにいるんだろう。