今回のメッセージの解釈はだいたい合っていると思います。
そして、僕が正しいのかもどうかも、
結局は僕が自殺するかどうか、に帰結するんじゃないかと思います。
ですが、少し補足しておくと、
(あるいは蛇足なのだろうか)
僕が僕自身の中で抱えている正しさ、というのは
100%の正しさではなく、僕を縛る記憶なのです。
すなわち、11歳の子供が考えた怒りのような葛藤のプライドなのです。
自殺というのは、他者に対する暴力です。
それゆえに、その観念に近づくほど、あなたは、
もしくはあなたでなくとも、ほとんど多くの人が、
僕から強制的な正しさを感じる事になるだろうと思います。
それはわかります。
ですが、僕は常に二つの視点を行き来します。
どちらもが主観には違いないのですが、
始まりと終わりからの目線、
そしてそれを統合する迷いの中心としての今、です。
過去も未来も、すべてを変えられるのは今です。
だからこそ、僕らは対話を続けるのでしょう。
まず、始まりから見ていく視点と、
終わりから見ていく視点、
つまり、僕の左手から見れば運命論のままに右手を見る自分、
僕の右手から見れば、終わりから始まり(左手)へ向けての、
走馬燈の逆再生のような自分、
そしてそれらを統合する曖昧な真ん中として迷っている、
今、このテキストを書いている最中の自分です。
この意味を、理解できない事には、
おそらく本質での対話は難しいんじゃないかと思います。
それはつまり、僕の「口」に関する問題だからです。
受け入れるか、受け入れないか。
強制はできない、というのは互いにそうです。
これは、僕らが相手に無理矢理強制をしようとしても、
できるものではありません。
どんなにヒドイ言葉で書き殴っても、理解できない感受性はあります。
それは主に、口が閉じている感受性です。
あるいは、肛門が閉じている感受性なのか。
相手を信じる事ができない問題は、
僕だけの問題ではなく、双方の問題のように感じます。
つまり、僕らの問題。
しかし、信じる事無く対等な対話ができないというのであれば、
それはもう一度信じるということは何か、
根本から哲学的に問い直すか、
あるいは君の言ったとおり、僕は最後の人につながるものを、
女性以外は認めない、ということなのかもしれません。
ひとつ言わせてもらうと、
「信じる」ということと、「愛する」ということは
密接な繋がりを持つ、別々のことのように思います。
つまり、女性を愛する事と、女性を信じる事は別です。
同じように、男性を愛することと、男性を信じることは違う。
これは全く重なりを持たない別々な観念だ、ということではありません。
区分けして考える事ができるはずでしょ?
という問いかけです。
客観イルカの言ったせりふですが、
3つめの問題以外は僕にとっても聞き慣れた言葉です。
僕もよく周りからそのように言われています。
3つめの問いについて、僕なりの考えをいいます。
僕は、本当に自分の心臓が同期する相手は、
世界に一人、居るか居ないか、だと思います。
そしてそれは、おそらく交わることによってしか、同期しない。
寂しいという感情は、同期にしてそうに見えて、わずかに非同期であることの、
悲しい微妙なズレです。
人を愛することができない故に、僕は本当の本物の孤独を知らない。
片思いの女性に対して苦しんでいる時の僕に、
存在の疑問を投げかけた女性は、
僕の弱さを前に、僕を諦めた。
あるいは、他の選択肢を選んだ。
でも、あの瞬間、あの大事な一瞬、
僕はなんだかまぶしい光を内側からみました。
それは今までの五官で全く感じたことの無い、
内側からの感覚だったんです。
それはとてもグレーな感覚で、
存在が100%に達しない代わりに、
僕に心の欠片をくれた。
僕が女性に対して感謝している神秘性は、
ここに繋がっていると思います。
「私と心で向き合って!」
という悲痛な叫びにも似た許し、
それは本物の私を見て、僕が僕に出会って!
ということにも繋がっています。
僕は女性について考える時にいつも思います。
男は外について知りすぎている、と。
女は中で感じます。
女性は、間違っていようが、それが正しかろうが、
一つの中心を持っています。
それが生を宿す、ひとつの資格であり、証明なのだと思います。
僕も、ずいぶんと知識に偏った人間です。
ですが僕は、それを脱皮して、心を知ることはできるんじゃないかと思います。
君は、そのヒントをくれるような気もする。
しかし、君はたぶん答えを持たない。
僕がすべての価値観を脱ぎ捨てる時、
それは僕が裸の心を手に入れる時、
存在をこの世界に残すとき。
それはたぶん、もう頭で考える事のできない領域なんじゃないかと思います。
心臓がわずかに記憶器官を持っている話と繋がっていくのかな?
よくわからないです。
君がなにがしかのヒントをくれたので、
僕は僕なりの判断でテキストをさらけ出し、
脱皮を試みます。
汚れを脱ぎ捨てるために、僕が書いているテキスト、
僕の排泄したテキストから、どんな汚れを読み取るのか、
僕には想像もつきません。
でもヒントになればいいな、と思います。
サブタイトルに、ずっと書いてあるのだしね。
言語化されてしまったという、嘘について。
そして、僕が正しいのかもどうかも、
結局は僕が自殺するかどうか、に帰結するんじゃないかと思います。
ですが、少し補足しておくと、
(あるいは蛇足なのだろうか)
僕が僕自身の中で抱えている正しさ、というのは
100%の正しさではなく、僕を縛る記憶なのです。
すなわち、11歳の子供が考えた怒りのような葛藤のプライドなのです。
自殺というのは、他者に対する暴力です。
それゆえに、その観念に近づくほど、あなたは、
もしくはあなたでなくとも、ほとんど多くの人が、
僕から強制的な正しさを感じる事になるだろうと思います。
それはわかります。
ですが、僕は常に二つの視点を行き来します。
どちらもが主観には違いないのですが、
始まりと終わりからの目線、
そしてそれを統合する迷いの中心としての今、です。
過去も未来も、すべてを変えられるのは今です。
だからこそ、僕らは対話を続けるのでしょう。
まず、始まりから見ていく視点と、
終わりから見ていく視点、
つまり、僕の左手から見れば運命論のままに右手を見る自分、
僕の右手から見れば、終わりから始まり(左手)へ向けての、
走馬燈の逆再生のような自分、
そしてそれらを統合する曖昧な真ん中として迷っている、
今、このテキストを書いている最中の自分です。
この意味を、理解できない事には、
おそらく本質での対話は難しいんじゃないかと思います。
それはつまり、僕の「口」に関する問題だからです。
受け入れるか、受け入れないか。
強制はできない、というのは互いにそうです。
これは、僕らが相手に無理矢理強制をしようとしても、
できるものではありません。
どんなにヒドイ言葉で書き殴っても、理解できない感受性はあります。
それは主に、口が閉じている感受性です。
あるいは、肛門が閉じている感受性なのか。
相手を信じる事ができない問題は、
僕だけの問題ではなく、双方の問題のように感じます。
つまり、僕らの問題。
しかし、信じる事無く対等な対話ができないというのであれば、
それはもう一度信じるということは何か、
根本から哲学的に問い直すか、
あるいは君の言ったとおり、僕は最後の人につながるものを、
女性以外は認めない、ということなのかもしれません。
ひとつ言わせてもらうと、
「信じる」ということと、「愛する」ということは
密接な繋がりを持つ、別々のことのように思います。
つまり、女性を愛する事と、女性を信じる事は別です。
同じように、男性を愛することと、男性を信じることは違う。
これは全く重なりを持たない別々な観念だ、ということではありません。
区分けして考える事ができるはずでしょ?
という問いかけです。
客観イルカの言ったせりふですが、
3つめの問題以外は僕にとっても聞き慣れた言葉です。
僕もよく周りからそのように言われています。
3つめの問いについて、僕なりの考えをいいます。
僕は、本当に自分の心臓が同期する相手は、
世界に一人、居るか居ないか、だと思います。
そしてそれは、おそらく交わることによってしか、同期しない。
寂しいという感情は、同期にしてそうに見えて、わずかに非同期であることの、
悲しい微妙なズレです。
人を愛することができない故に、僕は本当の本物の孤独を知らない。
片思いの女性に対して苦しんでいる時の僕に、
存在の疑問を投げかけた女性は、
僕の弱さを前に、僕を諦めた。
あるいは、他の選択肢を選んだ。
でも、あの瞬間、あの大事な一瞬、
僕はなんだかまぶしい光を内側からみました。
それは今までの五官で全く感じたことの無い、
内側からの感覚だったんです。
それはとてもグレーな感覚で、
存在が100%に達しない代わりに、
僕に心の欠片をくれた。
僕が女性に対して感謝している神秘性は、
ここに繋がっていると思います。
「私と心で向き合って!」
という悲痛な叫びにも似た許し、
それは本物の私を見て、僕が僕に出会って!
ということにも繋がっています。
僕は女性について考える時にいつも思います。
男は外について知りすぎている、と。
女は中で感じます。
女性は、間違っていようが、それが正しかろうが、
一つの中心を持っています。
それが生を宿す、ひとつの資格であり、証明なのだと思います。
僕も、ずいぶんと知識に偏った人間です。
ですが僕は、それを脱皮して、心を知ることはできるんじゃないかと思います。
君は、そのヒントをくれるような気もする。
しかし、君はたぶん答えを持たない。
僕がすべての価値観を脱ぎ捨てる時、
それは僕が裸の心を手に入れる時、
存在をこの世界に残すとき。
それはたぶん、もう頭で考える事のできない領域なんじゃないかと思います。
心臓がわずかに記憶器官を持っている話と繋がっていくのかな?
よくわからないです。
君がなにがしかのヒントをくれたので、
僕は僕なりの判断でテキストをさらけ出し、
脱皮を試みます。
汚れを脱ぎ捨てるために、僕が書いているテキスト、
僕の排泄したテキストから、どんな汚れを読み取るのか、
僕には想像もつきません。
でもヒントになればいいな、と思います。
サブタイトルに、ずっと書いてあるのだしね。
言語化されてしまったという、嘘について。