嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

形式的な透明さで造れないよごれ。

2008年03月12日 19時42分05秒 | 駄文(詩とは呼べない)
胸の奥に、なんだか暖かくてざわざわしたものを感じている
寂しさや孤独と似て非なる感情、どちらかと言えばプラスの感情なんだと思う
誰かに何かをしてあげたいような、助けてあげたいような気持ちに似ている
寂寥感に似ていて、何かが多すぎるような、胸焼けのような感情
恋心に似ていて、相手が不透明であるような緩衝の感情
いや、そもそも感情なんだろうか。
恋をした時の、胸をわしづかみにされたような感覚とは違う
もっと湧き上がってるような、不自然な気持ち
なんだろう、何かを壊してしまった時の、罪悪感や良心の呵責にも似ているけれど、
ちょっとそれとは種類が違う。
あるがなしいとも違う。
死にたさとも違う。
いてもたってもいられない落ち着かなさの親戚のような…

そういえば、虫の知らせとはどんな感情で、どんな感覚だろう
それは、大切なものが出来て、それが失われた時にしか、
きっと発動しない痛みの振動なんだと思うけど。

熱っぽい曖昧な後悔に似ていて、
それとはまた全く異なるベクトルをもった感情

これはいったいなんだろう。

宛先の不明な手紙を、君に出そうとした時の、
あの、どうしようもない救われない絶望感と、
少しバランスが取れるような、気持ちなんだろうか。

僕から何かが、崩れ落ちようとしてるんだろうか

人を知りたい、
何かを、泣きたい。

そう思ったけれど、熱の濁ったような気持ちで冷たい水を飲んで、
僕は自分を潤した。

怖がらなくていい。

誰かが、そう言ったような気がして

僕は、目を閉じて甘えた。

君を巻き込んで起こる僕という運動

2008年03月12日 10時44分29秒 | Weblog
僕は自分でかなり偏った考え方の持ち主であると自覚しているし
それが欠点だとは思っていません。
自分の弱さも、情けなさも、すでに認めて開き直ってしまっているし
それを幾度となく、指摘し、僕を変えようとしてくれた人たちも居ました。
そのたびに、僕は自分を考え直しながら、
相手を批判してそれは今でも僕の中で複雑な葛藤の運動を繰り返して
迷いを生じさせているんだと思います。

ただ、僕は君の客観的な分析力は、
今後の僕自身に必要なものになるのではないかと考え、
それを取り入れようと今でも四苦八苦して
再考を続けています。

君から僕へは、ある種の尊敬の念に似た好意を感じるし、
それは今でも感じている。
そういう人に出会えた事は、僕にとってとても貴重な体験だし、
僕は理論専攻型の人間も、全然嫌いじゃない。
大事にして欲しい個性だと思います。

君と真剣な対話を続けられた事は
自分にとって誇らしい事だと思うし、
たとえ時々は弱さで暴走する事があっても
それも含めて正直なやりとりだったのではないかと思います。

少なくとも、その大半が嘘になってしまうような
いい加減なものではなかった。
でっちあげでも妄想でもなく、
僕らは自分と対話していたんだと思います。

僕が似たような対話を通して、自分の負けを感じた時、
僕は相手を呪いそうな弱さに打ちのめされました。
相手のために良かれと思ってやったことは、
結局単なる押しつけだったんじゃないかと、
今でも不安になる事はあります。

でも、僕は彼女の幸せそうな電話の声を聞いて
単純にそれを言い捨ててしまえるようなだけのものではないと思う。
たぶん、すべての過去は今に繋がっていて、
自分の過去を肯定できるような強さを身につける事が
誰かの言っていた自己愛に繋がるんだろうな、とぼんやり夢想します。

>言い捨ててしまえるようなだけのもの
ってずいぶん変な言い方のようにも感じるけど、
これも個性(笑)

テキストと向き合える事は楽しい。
でもやっぱりその楽しさは苦しさにも繋がっている。
僕はテクストの快楽がなんであるか、
そんなにハッキリと感じ取る事はできないけれど
快楽の知的媒体であるというバルトの主張も、
なんだか少し面白いな、と思います。
それは、自分と向き合う、心を追い求めて必死に感情をぶつけ合うような
特別な行為であったとしても、
一人の孤独な構造をも包含してしまうという両義性。
誰と向き合うのか、何と向き合っているのか、
その宛先がぐるぐる回転したとしても、
やっぱり僕らはテキストを楽しむ事ができるじゃないか。
という囁きにも似た、声を感じるからです。

わかりづらいかな。
でも、感じてもらえるといいな、と願ったりします。
いやもちろん、吐き気を感じた時は、
それは自己への押しつけにも近いんだと思うけどさ。
でも、テキストは自分の思い込んだ力でしか、自分を傷つけない。
だからとても優しい性質を含んでいると思うよ。

自殺に関しては、もともとが自分の問題であるし、
それを君に考えさせたのは、ちと、多少申し訳ないかな?
という気もする。でも、少なくとも僕はすべての悩みを
自分の力で悩み抜いて、答えを探し続けて今に繋いでいる。
答えがないと迷い続ける僕たちのために、僕は、
未来に答えを用意している。
それに期待してくれる人が居るというのは、
とても面白い孤独な構造だと思うのです。
だって僕らはもう、ずいぶんと小さい頃から、自殺という単語を聞かされて育った。
そんなもの、どこ吹く風で、未来に対して期待いっぱいで、
いつも明日を夢見てた。
人の死を理解しないままで、ぼんやりと中空に留め置きながら、
毎日幽霊とも、夢とも、科学とも会話していられたんだ。
それは、とてもステキに楽しい歪みじゃないかい?
ずっとすべてが孤独な妄想に過ぎないとしても、
それがなにがしかの未来の答えに繋がってるって事は、
自分にとって、ずいぶんと楽しいことじゃないかい?
僕は、そんな気がして、今を大事にしたいんだよ。
悩んで落ち込んで凹んでいる、今でさえ、
突然の来訪者にドキっとする、心でさえ、
全部ぜんぶ、巨大な自分という、マクロの運動に繋がっている、
そう思うことが、新しい選択肢を、呼び込んでくるから。

現実が、僕を呼び込んでくる。
少し、挨拶してくるよ。

なけなしの、ほんのちょこっとの空元気で、
また一つ、僕らは踏み出したんだ、
それを忘れないように、僕たちの心に、留め置きたいと思う。

また!