嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

暴力性を持ったテキストは、存在しますか?

2008年03月11日 21時21分58秒 | 駄文(詩とは呼べない)
出生、というのは一つの暴力ですよね
自殺も、ある意味で暴力だと考える事はできる。
未来の時点で僕の意志に反した事を、過去で親がやってるから、
僕が生まれてきた、という解釈ができますよね。

自殺について同じように考えると、
葬式など、僕が死んだ後の未来の人が「死んで欲しくない」
という意志を仮に持っていたとして、
過去の僕は、未来の人の意志に反して、暴力をふるうわけですよね。

で、そうなると、生きてる事自体が、強制力を伴っておきる現象、
ってことになりますけど、
あなたは強制的に生きてるんですか?
それとも、自分の意志で生きてるんですか?

という話に繋がってきます。

死人に口無し、という言葉があるけど、
まずこれって前提として、未来の人の思いが、
過去の人に伝わっていないと無理ですし、
逆にそれが伝わるんだとしたら、
過去の時点で未来を予想して、
先に反論を書いておかないといけませんよね?

じゃぁ未来からの暴力に備えて、
あらかじめ自殺してもいいことになるんですが。

というわけで、問題となるのは、
「意志」がコントロールできるのか、
伝わるのか、という事が重要になってきます。

僕は伝わらないかもしれない
と思いながら書いているのに、
君は「伝わっていないのが不可解です」という態度なの?
まず、そこが意味わからん。

伝わるか伝わらないか、書くまでわからないじゃないですか。
書くことをやめてしまったら、僕の思いは
伝わらないじゃないですか。
現に、君は僕がどんな思いで絶望的にテキストが編まれていくのか、
うまく観察できずにいるように見える。

あるいは、これが僕の思い込みだとしたら、
やっぱり僕はその思い込みを、
ここに書き出してみないと、わからないまんまじゃないですか。

わからないことをわかりたいっていう思いと
知らないことを知りたいって思いは、
似ている、少し違う、同じ、全く違う、
どういう尺度なんでしょうか。

僕は、わからない事がわかるかどうかは、
どれくらい考えるか、という事を関係があると思っています。
知りたい事を知るかどうか、は、
どれくらい知りたいのか、という事と関係があると思います。
それって熱意みたいなものですよね?

僕が知りたいと思うことを、
君は察してくれ、言えない、という言葉で終わらす?
僕は、そういう態度で臨んでいますか?

そもそも、誰が僕を知りたいと思ってるんですか?
僕ですよね?
君ですか?
君が、僕を知りたいんですか?

君が僕を知りたいのであれば、
やっぱり君が僕と同じように、自分の言葉で、
なにがしかを、形にしていかないといけない。
それはダンスのようなものかもしれないし、
歌のような、声のような、響きを持って伝わるものかもしれない。

僕が何をしようとしているのか、
知りたいのであれば、質問してくれてもいいし、
blogを読んでくれてもいい。
でも、君が知りたいともしも思わないのであれば、
僕には一体何ができるんでしょうか。

僕にできる事は、僕が君を知りたいと思いながら、
僕を知らせていくことだ。
だからここに書いている。
そのことを、もう少し、切実に受け止めて欲しいと思います。
今以上に、気が狂いそうなほどに。

あさぎいろって何色ですか?

2008年03月11日 19時09分49秒 | 駄文(詩とは呼べない)
やは!

さっき晩飯食いながら祖母ちゃんの話聞いてたんですが
今まで何度も色々と知らない話を聞いて
ときおりふと、じつは祖母ちゃんの話は
他では聞けないような大事な話なんじゃないかと
耳を傾ける事もあるんですが、
さっぱり頭に入ってきませんw
で、熱心に自分の思い出話に酔いしれてる祖母ちゃんを見てると、
たぶん、長文を書いてる時(説明してる時)の僕は
周りから見て、こんな風に映ってるんだろうなぁ~
と思うと、おかしくて吹き出しそうになります。
まぁ、そういうわけで
話をしていてもなかなか耳に入ってこない事は色々ありますよね
ま、それはそれでいいんですが
僕が気になってるのは、グラデーションに関する色数の問題なんですよね。
虹の色が何色に見えるかってのを
過去にblogでも書いてるんですが
とりあえず僕が小学生の頃に習ったのは7色で
その頃も今も、あんまり見え方は変わってないような気がするんですよね
むしろこれ、天気によって色数が変わりますよね
幅が変わってるだけですけど。
目で見たときは、7つなんて区切れるんじゃなくて
もっとぼんやりなめらかに見えますよね。
古文などで使われている日本の色数の表現は
あさぎいろ、うすももいろ、などなど、かなり豊富にありますよね。
http://playmate.nobody.jp/color/japon.htm
でもそれに対して、現代の僕らが学校で習う色数の少なさは、
妙に少ない。下手すると、虹と一文字言えばまるで何かが通じたかのような
例えば三色で虹を見ている人に、7色を伝えたくても、
虹って言ってしまうと、三色しか伝わらないんですよね。

これがなんの比喩であるのかは、
前回までの僕のしつこいくらいの主張で、
なんとなくわかってもらえるのかな?
という気もしていますが、どうなんでしょうね。

まぁわかったらわかったでいいですし
わからなかったらわからなかったで
(ふーんそっか。)というくらいのものなんですが。(^○^)

さて、僕の方はというと、
今までよりも、振れ幅が大きくなってきているような気がします。
もしかすると、巻き込む人の数が、今後ますます増えていって
今まで以上に絶望的になったり、楽観視したりの
まるで躁鬱のような振幅が激しくなるのかもしれませんね。

でも僕、たぶんやめません。
少なくとも、ここしばらくの、ほんの短いうたたねのような
馬鹿馬鹿しい時を、とても楽しく、大切に見ている人も、
きっとどこかに、いるのでしょうから。

スタートラインから始まるバックヤード

2008年03月11日 13時00分35秒 | 駄文(詩とは呼べない)
超主観 主観 客観についての
0’01
について考えてたんだけど。

あれだな、僕が今の主観をもっと超えて、
さらなる中心を知ろうと内面に深く潜ろうとするのに対して
君はあんまり、そうした事に興味がないんだな。
たぶん、僕が勝手にはにゃとしてやっていく作業で
後からその反応を見て、自分に必要と思う部分を取り込んでいけばいいや、
くらいに思ってるのかな?

これに関する構え方の違いは、
今後、ますます言語観の違いとして、
言葉の齟齬として、混迷を極めていくと思うよ。

俺さ、こないだskypeで君と話して
>抽象性、比喩は、有害になるケースが多いと思ってる。
(有害は、語弊があるかもしれんが)
(遠回りになる。)

という話をわだかまりのまま聞いていたけど
これが、すこしだけわかったような気がして
ますます絶望的な気分になってきたわ。

つまり君は、僕が具体性を増やしているのを感じながらも、
自分は抽象性を避けて通ればそれで済むと思ってるのか?
だったらもう、俺は…

もさ、君は、
何故僕が、抽象性がわかりづらい事を知りながら、
それでも抽象的な言葉を使うのか、
それを、具体性で考えてしまっているのか?
それとも、この長文自体が、僕の主観の極みでしか無いのか?

君にもう一度、根本的な問いを立てるよ。
君は中心を知る事と、自分を知る事と、世界を知る事を、
どの程度、観察できているんだ?
僕は決して、バランスのいい生き方をしてきた人間じゃない。
たぶん、君が言ったような
>経験重視でなく理論先行型であることだ。
というような部分も存在し、そのような見方もできるだろう。

君は、自分の手が自分の思い通りに動いていると思ってしまっているのか?
指を動かせば、いつでもその指は自分の思い通りに動く人間なのか?
数行前に書いた、「もさ」という宛先は、
僕から見ても、単に具体性でもって、個人しか、示さないのか?
そんなことは無いだろう。
この手紙は、見ず知らずの何者かによって、百万回、
読まれる可能性だって、あるんだろ?
そして同じように、僕がもう、送らずに、ディスクから消してしまう可能性だって、
そういう可能性だって、書き終わるまで、わからないだろ?
それでも君は、過去の3通を、だいたいわかる。
予想通り、として取り扱うのか?

で、あれば。
もし、その程度の読み方しかできないのであれば、
君は、僕が文章中に一文字だけ誤字を書いたとしても、
それを誤字として見過ごして終わりか。
だったら俺は、誤字を減らす努力すらも、間違いを極力減らそうとする努力すらも、
どうせ相手が察してくれるから、別にいいや、って甘えてお終いだな。
プランク定数なんて関係無いよな。
不確定性原理なんておおざっぱに「一方を立てば、他方が立たず」って短く書いて
それでお終いだな。理解する必要もねえよな。

そんな自分と相手と社会だけを想定する、三元定理で測っておしまいなら、
世の中ずっと平和だな。
僕はもさとはにゃと社会だけを考えてれば、
ずっと安心して飯が食っていけるよな。
サラリーマンって最高だよな。

まぁ、こんな事書きながらも、
俺は君が手紙を読むだろうと思ってる。
もし、君が今まで全く僕の手紙を受け取れずにここまで来ていたとしても、
君はきっと手紙を読むだろうと思う。
その宛先が、自分ではなくて、個人ではなくて、
僕一人のざわめきに向けて書かれたものだとしても、
きっと君は読むだろうと思う。
期待なのかもしれない。もしくは、甘えなのかもしれない。
でもおれは、たぶんそれが未来って言葉と繋がってると思う。
だから僕は、何度でも自殺の原点に立ち戻るのだと思う。
迷うたびに、僕はスタート地点に迷い戻って、また迷いながら進んでいく。

何度でも考え直して、何度でも死のうとする。
それが間違いに過ぎない、つまんない逆説的な背理法だとしても、
僕はそうやって突き進んでいく、バックヤードなのだと思う。

アポトーシス、綺麗な言葉なのか、汚い言葉なのか…

もっとね、運動すればいいって考えもあるんだよ。
速度なんかに怯えずに、アクセルを踏み続ければいいって考えも。
腹筋や背筋や腕立て伏せを毎日してる頃もあった。
そういえば、タクシードライバーって映画もあったね。
俺が生まれる前の映画なんだけどな…

誠道会拳法ってのを習ってる時期もあった。
数年しか、やらなかったけどな。

なんだろうね、君に伝えようとすればするほど、
上滑りしていくのが僕の言葉なんだ。
それは十分分かってる。読者が一人だけになっても、
たぶん僕は書くんだと思う。
それはかなり、苦しい作業でもあるんだけど、
いや、苦しいって単語の意味に逃げる必要はないんだけどさ。
そんなありきたりな言葉で書いたって、
どうせ相手は自らの痛みの比喩か、辞書の意味か、聞き言葉、
囓り言葉として「知っている意味と同じ」という誤解で読むだろう前提はわかる。
だけどそれはあくまでもスタートラインなんだ。
誤解されるくらいなら書かないって選択肢だって、もちろん僕にだってあるんだよ。
でも僕はやめない。やめられないんだ。
ずっと多くの人を傷つけてきたし、それでも僕はやめようとしなかった。
それに、本当に傷ついたかどうかだって、
相手が僕にそれを隠してしまえば、簡単に、わからなくなってしまうもんなんだ。
君はそんなことない、察してやれば、気付く事だって、
思うかもしれないけど…
だけど人には能力の限界がある。
そう思えば、相手が僕をわからなくても、僕が相手をわからなくても、
それで許せてしまうのか?
そうじゃないだろう。
たとえわけわかんない記号の羅列だったとしても、
やっぱり僕らは、そこに何か情動を投影して、
イメージを揮発させるだろう。
ゆらゆらただよう陽炎のような物理輪郭の中で、
ちっぽけな現実感で象徴の事を考えてしまうだろう。
第一印象が、ほとんど決めつけてしまうような、風潮だってあるのだから。

だから僕は、人前では冗談ばっかり言ってるのかな。
不真面目な生き方を前面に押し出して、
僕を見て!って叫んでるのかな。
いや、それだけじゃない。
僕はいつも、誰かに何かを伝えたくて、伝わらないはがゆさを抱えてる。
僕が言っている事を、いつも真剣に向き合って読んでくれる人がわずかばかり居るって
それを知っていても、
それでも僕は書かずにはいられない。
なにかを漂白せずには居られない、根源的な汚れを背負ってるんだよ。
僕は僕を、まったく緩そうとはしないんだ。
緩慢な死を、やわらかく迎えてゆっくりひなたぼっこなんか、
していられないんだよ!!!!!!

まぁ、そうは言っても、
>お返事はきちんと練ってからにしたいので後日改めますが。
という意味を、平文でしか受け止められない
つまんない僕が居るのも、それはそれでいいことなのかもしれないけど。

熱が伝わる中で、僕は擾乱(じょうらん)って言葉の意味を考えた。
そしてまた、どうやって、地球を反対に回したらいいか、考えた。
大河の一滴が、川の流れに押し流される事無く、水のままであり続ける方法についても、考えた。
アイディアは、ある。
引力に対して、斥力があるように、力の四要素に
「重力」「電磁力」「大きい力」「小さい力」があるように
この世界で起こる、根本的な出来事に、もう一度立ち戻る必要性について考えた。
つまり僕らは、なんで重力に勝てないのか、ってことだよ。
勝てるんだよ。勝機はある。
ライト兄弟の事じゃないよ。もちろん彼らにだって、熱い魂があったとか、
その人間性から美徳を見習うとどうたらこうたら、
いくらでも、小説のようなものは書けるだろう。
だけど僕が言いたいのはそういうことじゃないんだ。
もちろんそこを進路として取らずに、適当に言い含めてしまっているのはすまないと思うけど。
戦う人間主義がどうとかいう、あやしいふれこみに沿って説明する事だって、
たぶんできるんだろう。僕はそういう事だけが、人を動かすものだとは、思わないけれど。
つまり僕たちは、すでにニュートン力学を超えるような出来事に、
いつだって遭遇してるのに、むざむざとそれを見過ごしてきたんだ。
幽霊と出会っても、科学で否定する方が楽なんだよ。
不安からじっと目をそらして、現実の中だけで生きてれば、
それはずっと客観的で楽な事なんだよ。
だけど違うんだ、それではもう、僕は僕の心を救えない。
みつけられないんだ。
だから僕はどうしても、時々デカルトの話をしてしまう。
比喩として、安直に頼ってしまう。
だけど違う。
この先は、左巻き式宇宙と、右巻き式宇宙について話して行こうと思う。
それがいかに小汚い、宇宙の受精卵について書かれた死んだテキストであるかを、
示していきたいと思う。
壊れた殻の中で、僕は妖精のように閉じこもった。
タナトスが吹き荒れるちっぽけな卵の中で、
いつまでも、つまらない現実を見つめていた。