舛添さんからのお手紙が届きました。
私にではなく、母の所にです。
それは、それは、事細かに、国民年金・厚生年金と加入していた時期が、
切れることなく、記載されてました。
住所・名前・生年月日・電話番号・記載事項に間違いなしと〇印をして、
返信するよう、母に伝えました。
母は、年金制度が実施された、昭和36年4月1日から平成元年まで、
(母が60歳になるまで)、きちんと年金を途切れることなく納めていました。
昭和初期の母のような年代の人は、任意の時代があったため、
空期間があるようですね。
正社員だったりパートだったりしては働いてたため、
きちんと当時の会社の総務の担当者が、年金のことを伝えてくれてたんでしょうね。
また、当時の社保庁の出先機関である市の年金担当者も、真面目にお仕事を遂行してくれたお陰でしょうか、懸念するようなことは無かったです。
各担当者が、自分の与えられた職務を、普通に遂行することが何故
出来なかったんでしょうね。
アナログからデジタルへの移行の時の入力ミスが多いとか・・・。
所詮、人がすることです。
間違いは、否めないとしても、あまりにも多すぎです。
こんな後手後手を目の当たりにすると、娘や息子も年金を払いたくないと、
口々に言います。
それを、将来のために払うようにと、力強く言えない親です。
舛添さん♪
きちんと説明できるようにマニュアル書、下さいよ~。
私にではなく、母の所にです。
それは、それは、事細かに、国民年金・厚生年金と加入していた時期が、
切れることなく、記載されてました。
住所・名前・生年月日・電話番号・記載事項に間違いなしと〇印をして、
返信するよう、母に伝えました。
母は、年金制度が実施された、昭和36年4月1日から平成元年まで、
(母が60歳になるまで)、きちんと年金を途切れることなく納めていました。
昭和初期の母のような年代の人は、任意の時代があったため、
空期間があるようですね。
正社員だったりパートだったりしては働いてたため、
きちんと当時の会社の総務の担当者が、年金のことを伝えてくれてたんでしょうね。
また、当時の社保庁の出先機関である市の年金担当者も、真面目にお仕事を遂行してくれたお陰でしょうか、懸念するようなことは無かったです。
各担当者が、自分の与えられた職務を、普通に遂行することが何故
出来なかったんでしょうね。
アナログからデジタルへの移行の時の入力ミスが多いとか・・・。
所詮、人がすることです。
間違いは、否めないとしても、あまりにも多すぎです。
こんな後手後手を目の当たりにすると、娘や息子も年金を払いたくないと、
口々に言います。
それを、将来のために払うようにと、力強く言えない親です。
舛添さん♪
きちんと説明できるようにマニュアル書、下さいよ~。
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