北海道紋別郡湧別町栄町にあった湧別駅は、宗谷本線の名寄駅から石北本線の遠軽駅に至る本線(138.1km)と中湧別駅から湧別駅に至る支線(4.9km)の2つの線からなっていた名寄本線(143.0km)の駅で、もともとは湧別軽便線の一般駅である下湧別駅として1916(大正5)年11月21日に開業しました。
かつてはこの湧別駅から木材が多く搬出されたため、50mの単式ホーム1面1線の他に、30mの貨物ホームと複数の貨物側線も有していました。 しかし、貨物取扱い廃止後にそれらは撤去されてしまい、名寄本線廃止時には単式ホーム1面1線だけの簡易委託駅でした。
構内の北西側に開業時に建てられた木造駅舎が廃止時まで健在で、ホームとは通路で連絡していました。
ちなみに、湧別駅の属する湧別支線は、末期には列車の本数が朝と夕方の2往復だけしかなく、国鉄時代には清水港線(1往復/日=1984年4月1日に廃止)に次いで旅客列車の少ない区間として鉄道ファンに知られていました。
湧別駅が属していた名寄本線は、1896(明治29)年5月14日に公布された北海道鉄道敷設法の規定により、道央とオホーツク沿岸方面とを結ぶ幹線鉄道として建設され、全通後は札幌と北見・網走方面を結ぶメインルートとなりましたが、1932(昭和7)年10月1日に石北本線が開通すると、名寄本線は一転してローカル線に転落してしまい、以後はオホーツク沿岸の市町村を淡々と結ぶ生活路線に徹しました。
やがて名寄本線は、1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが143kmもある長大路線であったことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるなどの理由により一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現・国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。
そして、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年4月30日限りで廃止され、それに伴い湧別駅も廃駅となりました。
ちなみに、駅跡地には遠軽地区広域組合消防署湧別出張所及び湧別町文化センターさざ波が建設されており、消防署前の歩道には「湧別駅の跡」の記念碑が建立されています。
<湧別駅の年表>
・1916(大正5)年11月21日:旧国鉄湧別軽便線の一般駅である下湧別駅として開業
・1922(大正11)年9月2日:線路名が湧別線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
・1932(昭和7)年10月1日:湧別線が名寄本線に編入されたのに伴い、同線の駅となる
・1954(昭和29)年11月10日:駅名を湧別駅に改称する
・1978(昭和53)年12月1日:貨物取扱い廃止
・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
・1986(昭和61)年11月1日:駅の無人化(簡易委託)
・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
・1989(平成元)年5月1日:名寄本線の廃止に伴って廃駅となる
(駅 全 景)
(湧別駅駅舎)
(硬券乗車券)
撮影年月日:1989(平成元)年3月28日