源氏物語と共に

源氏物語関連

琴(こと)について(2)  きん(琴)

2008-01-16 09:50:48 | 音楽
源氏物語は紫式部が生きた時代よりも、100年前の時代を理想として描いているようだとどこかで聞いた事があるが、琴(こと)についても同様である。


琴(こと)には、7弦の琴(きん)、6弦の和琴、13弦の筝、そして琵琶があるが、
琴(きん)の琴(こと)については、
紫式部の生きた一条天皇の時代にはすでにすたれていたようだ。


和琴が日本のものであるのに対して、きん(琴)のことは大陸から伝わったものである。


楽の統であり、君子の側においた。
『琴者楽之統也。君子所常御不離於身(風俗通)』山田孝雄(源氏物語の音楽)
しかし、この物語では源氏を琴(きん)の第一人者として扱っている。


光源氏の才能を言い表す文がある。
『文才をさるものにて言わず。さらぬ事の中にはきん(琴)弾かせ給ことなむ一の才にて、
つぎには、横笛、琵琶、筝の琴(こと)なむつぎつぎに習ひ給へる 』(絵合)
きん(琴)が1番の才という。


その格調高い琴(きん)を弾いた人は、源氏物語では
光源氏の他に末摘花(末摘花)女三宮(若菜下)、
明石入道(若菜上)、明石の上(松風)、蛍兵部宮(若菜上)、
宇治八の宮(橋姫)、薫(東屋)、尼君(手習)である。


若菜下にあるきん(琴)論によると、
きん(琴)の奏法を得る事は大変難しいとある。
きん(琴)の音は天地をなびかし、鬼神の心を和らげ、悲しみを喜びに変え、いやしくも貧しき人も高き世にあらたまり、宝に預かる。


しかし、日本に伝わったはじめの頃の
宇津保物語の俊蔭のように、きん(琴)を弾くものは
長い間流浪したり学びとるために大変苦労する。
親子別れ(俊蔭・仲忠親子)をしたり、不幸になったりするという難をつけて、
今は伝わる人もいないと嘆いている。


そこで、夕霧は自分に伝わらなかった事を残念に思うのであった。


しかし、実際に伝わっていたら夕霧は不幸にはなっていたかもしれない。
女三宮が弾いた事はその後を思うに、何か意味深ではないかと講座の先生の解説にあった。


きん(琴)に関する注釈で私が学ぶ講座の村井利彦先生によると、
きん(琴)を大陸文化の象徴とし、何かの政変で今は失権した
その時代に権勢を誇っていた人達を表すという点は非常に面白く感じる。
私は末摘花をはじめ、単に皇統出身には格調高いきん(琴)だと思っていたからだ。


常々源氏物語は政治物語といわれている先生だが、
きん(琴)は、失権した明石一族の時代の象徴なのかもしれない。
だからこそ、明石女御の御子にその才能があれば伝えたい、三宮は才能がありそうだといった言葉に明石の上が涙ぐむと。


面白い事に同じ巻のその文章は写本の違いによって、2通りの考え方があるのに出くわした。


新潮古典集成では<三宮>とあり、
玉上琢彌氏の角川文庫「源氏物語」では<二宮>とある。


この御子たちの御なかに、思うやうに生ひ出でたまふものしたまはば、
その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りも、
とどめたてまつるべき。三宮「二宮」、今よりもけしきありて見えたまふを (若菜下)


ここの頭注をみると、玉上氏はきん(琴)ではなく琵琶の才能があるとある。


両者は写本の違いからこうなっている。
三宮が匂宮なのか、二宮が匂宮なのか定かではないが、匂宮なら面白い。


しかし、実際には匂宮は宇治十帖では
中の君を前に琵琶をひく(宿木)のみである。


この場面は国宝源氏物語絵巻にも描かれていてご存知の人も多いと思う。
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