Koufukuji Temple, Nara City, Nara Pref.
さてさて、軽い食事を終えたワタクシは、次に興福寺へと向かいました。
興福寺の境内へ続く階段を登っていくと、目の前に飛び込んでくるのが南円堂なんです。
南円堂は「西国三十三所」の第九番札所です。この堂は813年に藤原冬嗣が父の内麻呂を供養するために建立しました。
現在の建物は創建以来4度目のもので、1789年に再建されということです。1789年といえばフランス革命が勃発した年ですね。
この建物は中金堂というのですが、中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、
寺伝では創建者を当時の日本の律令制度をまとめ、藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等とされています。
現在の建物は平成22年の立柱式、平成26年の上棟式を経て、平成30年に再建落慶を迎え復元されました。
ワタクシは新しい中金堂を見るのは初めてだったのですが、その美しさに目を見張るとともに、
上空に広がるあまりにも美しい青い空に身体が青く染まる気がしました。
興福寺の五重塔は、730年に興福寺の創建者である藤原不比等の娘光明皇后の発願で建立されました。
その後5回の焼失・再建を経て、現在の塔は1426年頃に再建されました。
奈良は高層建造物がほとんど無いので、この五重塔はすごく目につくというか、奈良市内のどこからでも見ることが出来るので、
まさに「奈良のシンボル」とも言うべき存在だと感じます。
これは中金堂の東側にある金堂で、東金堂と呼ばれる西向きのお堂です。
726年に聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立されました。
その後5度の被災・再建を繰り返し、現在の建物は室町時代の1415年に再建されました。
600年を超える年月、風雨に耐えてきたのかと思うと、すごいものだなぁと思いますわ。
ではでは、また次の目的地に向かうとしましょうか。この日も足取りは軽く、快調に奈良の町を歩くのでした。
使用したカメラ:1、2、7枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T30
よく外国からの観光客(特に中国)が、日本の空が美しいということをテレビのインタビューなどで答えています。
私は高度経済成長の時代に育ったので、大阪なんていつも空はどんよりしていて、光化学スモッグの注意報や警報が頻繁に出される中で
生活をしていました。その頃を思えば、日本の空も海も川も随分と綺麗になったなぁって思うんですよ。
これって世界に誇れることの一つじゃないかと思うんです。
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興福寺の境内へ続く階段を登っていくと、目の前に飛び込んでくるのが南円堂なんです。
南円堂は「西国三十三所」の第九番札所です。この堂は813年に藤原冬嗣が父の内麻呂を供養するために建立しました。
現在の建物は創建以来4度目のもので、1789年に再建されということです。1789年といえばフランス革命が勃発した年ですね。
この建物は中金堂というのですが、中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、
寺伝では創建者を当時の日本の律令制度をまとめ、藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等とされています。
現在の建物は平成22年の立柱式、平成26年の上棟式を経て、平成30年に再建落慶を迎え復元されました。
ワタクシは新しい中金堂を見るのは初めてだったのですが、その美しさに目を見張るとともに、
上空に広がるあまりにも美しい青い空に身体が青く染まる気がしました。
興福寺の五重塔は、730年に興福寺の創建者である藤原不比等の娘光明皇后の発願で建立されました。
その後5回の焼失・再建を経て、現在の塔は1426年頃に再建されました。
奈良は高層建造物がほとんど無いので、この五重塔はすごく目につくというか、奈良市内のどこからでも見ることが出来るので、
まさに「奈良のシンボル」とも言うべき存在だと感じます。
これは中金堂の東側にある金堂で、東金堂と呼ばれる西向きのお堂です。
726年に聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立されました。
その後5度の被災・再建を繰り返し、現在の建物は室町時代の1415年に再建されました。
600年を超える年月、風雨に耐えてきたのかと思うと、すごいものだなぁと思いますわ。
ではでは、また次の目的地に向かうとしましょうか。この日も足取りは軽く、快調に奈良の町を歩くのでした。
使用したカメラ:1、2、7枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T30
よく外国からの観光客(特に中国)が、日本の空が美しいということをテレビのインタビューなどで答えています。
私は高度経済成長の時代に育ったので、大阪なんていつも空はどんよりしていて、光化学スモッグの注意報や警報が頻繁に出される中で
生活をしていました。その頃を思えば、日本の空も海も川も随分と綺麗になったなぁって思うんですよ。
これって世界に誇れることの一つじゃないかと思うんです。
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あをによし奈良の都は咲く花の ・・・
いい歌ですね。
中学2年生の国語の時間で勉強しました。
もう少し暖かくなったら、興福寺から
東大寺へ歩こうと思っています。
そろそろ冬から春の衣替えを準備しておかなければなりません。
そうそうなぜか1789年は、フランス革命の年ってインプットされています。
1467年は応仁の乱とか部分的に年号が頭の中に刻まれているよう。
どうしてなのかわかりません(^_^;
それにしても、なんと空の青いこと!!
建物もより映えます‼️
4月から春日大社付近まで行くことが増えるので、私も散策してみよう
さあきょうから3月。
まさにお水取りのときがやってきました。奈良も、
東大寺もさらに人出も増える。
それもマスク無しの人も来る。
にぎわい活気づいて来ると、
絵撮りにも支障があるが良しといたしましょう。
奈良もいい所ですね!
美しい青空の下に中金堂が映えますね
五重塔も立派です
子供の頃「東京の空灰色の空」という歌を聞いてましたが
コロナ前のに行った時
東京の空も青くてきれいでした
今月もよろしくお願いします♪
ぽち
きれいな青空に興福寺、五重塔が映えますね
昨日も暖かかったのですが今日も春の陽気らしいです
どこかに出かけたくなります
あるんですね~。
青空によく映えてます。
幾度の焼失の度に、再建。
歴史を感じます~。
凸
初めて奈良に行った時は阪奈道路がまだ有料だった時期ですから古いですね(笑)
2回目に行った時には無料でしたね
とにかく楽しい道路 何度も往復して走り回った場所でした
奈良を久しぶりに歩いてみたくなりました
そういう歴史を見てもこれらの建物がいかに素晴らしいかですよね
暖かくなり出歩くのがとても楽です