Akama Jingu Shrine, Shimonoseki City, Yamaguchi Pref.
さてさて、ワタクシ達は下関の町を関門橋に向かって東へ東へと歩いていたのでした。
目にも鮮やかな神社の姿が見えてきました。この神社は赤間神宮といいまして、壇ノ浦の合戦に敗れ、
わずか8歳という幼さで入水された安徳天皇を祀る神社なんです。竜宮城をイメージして建立された朱色の水天門が、
ワタクシ達のような参拝客を迎えてくれます。
水天門は壇ノ浦の合戦で二位尼(平時子)が幼い安徳天皇を抱いて入水する際、「海の中にも都はある」と言って身を投じたそうで、
その願いを反映したものだと言われています。
元々は859年に建立された阿弥陀寺というお寺だったのですが、明治時代の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、
神社となって「天皇社」と改称したそうです。日本各地、いろんな場所を旅してきましたのですが、
明治時代の「神仏分離」「廃仏毀釈」によって廃寺になったという例をいくつも見てきました。
この赤間神宮の前が壇ノ浦の古戦場ですが、ワタクシのように西日本に住んでいると「平氏ゆかり」という場所が身近に数多くあり、
平氏落人の里なんてのが山あいにはよくあるんです。ですので、判官贔屓という気持ちもあるのでしょうが、
どうしても源氏よりも平氏の方に肩入れしてしまうんですよ。(判官贔屓の「判官」は源義経にちなんだ言葉ですが)
きっと関東の方などは、ワタクシとは全く違う感情があるでしょうね。
さらに、平氏といえば高校の時の古典の授業で、「平家物語」を記憶させられたことも忘れられません。
そして、ここ赤間神宮には「平家物語」に関係深い人物の像があるんです。
これは「耳なし芳一」の木像です。「耳なし芳一」の話は皆さんもよくご存知だと思います。
昔、阿弥陀寺(今の赤間神宮です)に『平家物語』の弾き語りが得意な芳一という琵琶法師が住んでいた。
ある夜、武士が現われ、芳一の演奏を聞きたいという。武士は、ある屋敷に芳一を連れていく。そこには多くの武士たちが集っていた。
武士たちは「壇ノ浦の戦いのくだり」を所望。芳一が弾き語りを始めると、武士たちは皆声を上げてすすり泣いていた。
それから七日七晩の演奏を頼まれた芳一。夜ごと出かけるようになった芳一を不審に思った和尚は、寺男に後を着けさせた。
すると芳一は、平家一門の墓地の中で、無数の鬼火に囲まれてながら琵琶を弾き語っていたのだという。
芳一の演奏を聞いていた武士たちは、平家一門の怨霊だったのである。驚いた寺男が、芳一を連れ帰り、その事を和尚に伝えた。
芳一が平家の怨霊に殺されてしまうのではないかと案じる和尚。そこで、身体中に般若心経を書きつづった。
怨霊は、経が書かれている身体は見ることができないのだとか。
和尚は芳一に「今宵は声を出すな!動くな!」と命じて法事に出かけていったが耳に写経するのを忘れていた。
その夜、平家の怨霊が芳一を迎えにきたが、怨霊には芳一の身体が見えない。芳一を探しまわった怨霊は、ついに芳一の耳を発見。
そして、芳一の身体から両耳をもぎとった。それでも芳一は、声を出さず、動かなかったのだとか。
明け方になって帰って来た和尚が見たのは、両耳をもぎとられて血だらけの芳一。耳に写経しなかった事を芳一に詫びたのだという。
その後、平家の怨霊は現れなかった。
という話なのですが、ワタクシは小学校5年か6年の時にこの話を聞かされました。
この話を聞いた時に、ワタクシは隣の席に座る友人と次のような会話をしたのでした。
「なあ、耳だけが見えたということは、チ◯コにもお経を書いてたから見えへんかったんやな」
「ホンマや。チ◯コにも南無阿弥陀仏って書いたはずやで」
「もし、チ◯コにお経を書くのを忘れて耳にはちゃんと書いてたら、チ◯コがもぎ取られたんやろな」
「幽霊はチ◯コをちぎって持っていきよったんやで」
「ほんだら『耳なし芳一』やのうて、『チンなし芳一』になるがな」
その瞬間、担任教師はワタクシ達の頭を分厚い教科書で思いっきり叩いたのでありました。
あの頃ワタクシはアホでした。
アホだった少年は旅好きなジイさんとなり、猛暑の中を歩いていくのでありました。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
今はどうか知りませんが、私が小学生だった頃の大阪では勉強ができる子、スポーツができる子よりも「オモロい子」の方が人気者でした。
私は勉強もスポーツもほどほどで大したことはなかったのですが、なかなかオモロい子どもだったんです。
ですので、クラスではけっこうな人気者でしたが、「人気者=女子にモテる」ではないんですよ。
女子にモテるのはやっぱりスポーツや勉強に長けた子であり、私は今までさほどモテたことがありません。
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さてさて、ワタクシ達は下関の町を関門橋に向かって東へ東へと歩いていたのでした。
目にも鮮やかな神社の姿が見えてきました。この神社は赤間神宮といいまして、壇ノ浦の合戦に敗れ、
わずか8歳という幼さで入水された安徳天皇を祀る神社なんです。竜宮城をイメージして建立された朱色の水天門が、
ワタクシ達のような参拝客を迎えてくれます。
水天門は壇ノ浦の合戦で二位尼(平時子)が幼い安徳天皇を抱いて入水する際、「海の中にも都はある」と言って身を投じたそうで、
その願いを反映したものだと言われています。
元々は859年に建立された阿弥陀寺というお寺だったのですが、明治時代の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、
神社となって「天皇社」と改称したそうです。日本各地、いろんな場所を旅してきましたのですが、
明治時代の「神仏分離」「廃仏毀釈」によって廃寺になったという例をいくつも見てきました。
この赤間神宮の前が壇ノ浦の古戦場ですが、ワタクシのように西日本に住んでいると「平氏ゆかり」という場所が身近に数多くあり、
平氏落人の里なんてのが山あいにはよくあるんです。ですので、判官贔屓という気持ちもあるのでしょうが、
どうしても源氏よりも平氏の方に肩入れしてしまうんですよ。(判官贔屓の「判官」は源義経にちなんだ言葉ですが)
きっと関東の方などは、ワタクシとは全く違う感情があるでしょうね。
さらに、平氏といえば高校の時の古典の授業で、「平家物語」を記憶させられたことも忘れられません。
そして、ここ赤間神宮には「平家物語」に関係深い人物の像があるんです。
これは「耳なし芳一」の木像です。「耳なし芳一」の話は皆さんもよくご存知だと思います。
昔、阿弥陀寺(今の赤間神宮です)に『平家物語』の弾き語りが得意な芳一という琵琶法師が住んでいた。
ある夜、武士が現われ、芳一の演奏を聞きたいという。武士は、ある屋敷に芳一を連れていく。そこには多くの武士たちが集っていた。
武士たちは「壇ノ浦の戦いのくだり」を所望。芳一が弾き語りを始めると、武士たちは皆声を上げてすすり泣いていた。
それから七日七晩の演奏を頼まれた芳一。夜ごと出かけるようになった芳一を不審に思った和尚は、寺男に後を着けさせた。
すると芳一は、平家一門の墓地の中で、無数の鬼火に囲まれてながら琵琶を弾き語っていたのだという。
芳一の演奏を聞いていた武士たちは、平家一門の怨霊だったのである。驚いた寺男が、芳一を連れ帰り、その事を和尚に伝えた。
芳一が平家の怨霊に殺されてしまうのではないかと案じる和尚。そこで、身体中に般若心経を書きつづった。
怨霊は、経が書かれている身体は見ることができないのだとか。
和尚は芳一に「今宵は声を出すな!動くな!」と命じて法事に出かけていったが耳に写経するのを忘れていた。
その夜、平家の怨霊が芳一を迎えにきたが、怨霊には芳一の身体が見えない。芳一を探しまわった怨霊は、ついに芳一の耳を発見。
そして、芳一の身体から両耳をもぎとった。それでも芳一は、声を出さず、動かなかったのだとか。
明け方になって帰って来た和尚が見たのは、両耳をもぎとられて血だらけの芳一。耳に写経しなかった事を芳一に詫びたのだという。
その後、平家の怨霊は現れなかった。
という話なのですが、ワタクシは小学校5年か6年の時にこの話を聞かされました。
この話を聞いた時に、ワタクシは隣の席に座る友人と次のような会話をしたのでした。
「なあ、耳だけが見えたということは、チ◯コにもお経を書いてたから見えへんかったんやな」
「ホンマや。チ◯コにも南無阿弥陀仏って書いたはずやで」
「もし、チ◯コにお経を書くのを忘れて耳にはちゃんと書いてたら、チ◯コがもぎ取られたんやろな」
「幽霊はチ◯コをちぎって持っていきよったんやで」
「ほんだら『耳なし芳一』やのうて、『チンなし芳一』になるがな」
その瞬間、担任教師はワタクシ達の頭を分厚い教科書で思いっきり叩いたのでありました。
あの頃ワタクシはアホでした。
アホだった少年は旅好きなジイさんとなり、猛暑の中を歩いていくのでありました。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
今はどうか知りませんが、私が小学生だった頃の大阪では勉強ができる子、スポーツができる子よりも「オモロい子」の方が人気者でした。
私は勉強もスポーツもほどほどで大したことはなかったのですが、なかなかオモロい子どもだったんです。
ですので、クラスではけっこうな人気者でしたが、「人気者=女子にモテる」ではないんですよ。
女子にモテるのはやっぱりスポーツや勉強に長けた子であり、私は今までさほどモテたことがありません。
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なぜか流行った時期がありまして…
ここでお詣りした後
旧下関英国領事館内にある異人館カフェで
タキシード姿のオーナーさんが
コーヒーとミルクのポットを顔の高さまで上げながら
カップに注いでいくカフェオレをいただくのが定番コースでした。
今、あの店はあるのかな~
☆
読み逃げ応援です!
明日又ご訪問させていただきます。
読んでて思わず笑っちゃいました。
明るく楽しく面白い少年だったんですね。
この話は震えあがりましたよ。
それなのに「あの頃ワタクシはアホでした」
よっちんさんのおおらかさ!
よっちんさんのファン、ここにもいますからねー^^
応援ぽち。
琵琶法師が語るお話。面白いというか
子供の頃によく聞いてましたので
怖い印象です。凸
そんなもんです(笑)
下ネタが鉄板((´∀`))ケラケラ
工場見学も体験講座も
今やった方が
滅茶苦茶楽しいんですっ!!!
何事もトライですね(d゚ω゚d)オゥイェー♪
私の住んでいる所の山深い所に平家の落人さんが住んでいました、
今は少し便利な所に移住されていますが、
姓はほぼ落合さんですね、
耳なし芳一の話懐かしいですが、ほぼ忘れていました。ポチ
耳なし芳一の話。懐かしいです。
よっちんさんの小学生時代のお話
思わずクスっと笑ってしまいました☆~
なので覚えています。
よっちんさんは子供の頃から楽しい人だったんですね♪
それにしても面白いことを考え付きますね!!
それは人の印象に残ると思いますよ~(*^-^*)
☆!
私は源平合戦ゆかりの地を巡ることからブログを始めたので、その年にここを訪ねました。
以来3度お参りしています。
小学生の時でした
私はただただ怖くて
想像しただけで「イタタタタ~!」って
なっていました
痛みに弱い子で今も痛みに弱い大人です
小中はやはりスポーツ万能な子がモテましたね
うちのご近所にサッカーができてモテモテの子がいたけど
大人になったらめっきりパッとしませんでしたね
女の子はただただ可愛いこが持てました
案外残酷でしたよ
家康よりも秀吉に肩入れと同じ気分かな。
GよりTも同じでしょうか(笑)
子供の頃の思い出というのは大概、怒られたことが
一番に思い出しますね
私もどちらかと言えば悪ガキでしたので・・・
ま~今でもどちらかと言えば悪い大人かな?
最後は お腹を抱えて笑いました。獏
現代は 全員 スマフォを持ち
授業はタブレットの時代です。
そして 犯罪に発展する事も多々あります。教師が生徒の頭をたたいたら 大変なことになります。
私の頃も 何かあると 先生に相談する
そんな 良い時代でした。
きっとよっちんさんは
勉強もスポーツも出来る
面白い子供だったと想像します。
きっと、人気があり
モテていたと思いますよ🎵
ご自分では謙遜していますが…^^
☆
本当に竜宮城のような神宮さんですねー
耳なし芳一、私も子供のころに知りました。
でもよっちんさんのような疑問は持たなかったです😅
うちの旦那だったら、よっちんさんと同じようなこと思ったかも…
今でもあほなことばかり言ってますから💦
子どものころはその手のお話で盛り上がったりしますよね♪
よっちんさん、きっと同性に人気のあるタイプだったのかな♪
凸
私は十で神童、15で才子、二十過ぎれば…
だったので小さい頃よくモテました。
でもそれがさてピーク…
人生は上手く出来ているものです。
応援ポチりです^_^ たつみ
一言、言って良いですか…。
「アホーーーー」『チン無し芳一。』とは…。
コチラはアタクシも今年行きました。
近いのに、夫と初めて伺いました。まさに竜宮城のようです。
人様のブログのコメント欄に『アホ』と描くのはアタクシだけ…笑笑
何でこんなに覚えてるのかなってぐらい鮮明に覚えてるのが不思議です
さすがにチンなし芳一は初耳ですけどね
ぽち
💻>先日はコメントや👍ポチを有難う御座いました。
@☺@今日はこの後外出しますので応援ポッチで失礼しますネ。明日ゆっくりとお伺い致しま~す!
*👴>今朝もMyblogは投稿していますので遊びにお越し下さい<welcome👇>
🎥を見て頂いた感想コメントも宜しくお願いしますネ。
🔶それではまた明日!👋👋
と説明参考になりました。
昨日の神社と打って変わって
其処彼処に華僑のいろが見えますね~
関東での人気のがきんちょは
何と言ってもスポーツが一番かな
最近の子はどうなんでしょうか
この赤間神宮本当は変わっていますね
あのあたり旅しても行ってはいません
竜宮城をイメージして作られたんですね
「海の中にも都はある」と言って入水した母子
胸が痛みます
海の中の都を見つけられたのかなぁ…などと
面白い話をしてる子の頭を
分厚い教科書で思いっきりたたくとは!
一緒に笑って、小突く程度で良かったのじゃと思いました
(個人の感想(^^;))
平時子が幼い安徳天皇を抱いて入水。
悲しい話だわ。
耳なし芳一の話、懐かしい~と
思いながら拝見したのですが、
チ〇コのくだりは・・・(笑)
でも、確かにそうですよね!!
凸
そうだったな~と読み終わったらオチがありましたね(笑)
今このような立派な大人になってるとは
先生も想像できなかったでしょね。
戦時中に国語の先生は源平合戦の
話をよくしてくれました。
その頃は勇壮な源氏が好きでした。
後年になって平家を見直すように
なりました。