

Abu Dhabiに居るときに読んだ本で、臨済宗妙心寺派の管長であった禅僧 山田無文老師のエピソードに感銘を受けた。
エピソードの内容は ──── 京都駅で電車を待っていた無文老師にある学生が尋ねた。
「僕は何をしたらいいんですか。」何をしたら真に生きがいのある人生を送れるか。
「あなた<僕>の好きなことをしたらいいじゃないですか。」
「その僕が分からないから東京から来たんです。僕とは何ですか。」
そこで老師は言われました。
「昔から『汝自らを知れ』というが、いちばん身近にあって、いちばんわかりにくいものだ。時間がないから、結論だけ言おう。
君は今から、自分のことは勘定に入れないで、だれかのために自分を献げて生きてごらん。そして他人のために働いて
『よかったなぁ、幸せだなぁ』と思えるような自分がわかったら、それがほんとうの<僕>だと、わしは思うがなぁ」…というもの。
このエピソードを読んだときに「自分を勘定に入れない」という言葉と表現が忘れられないものとなって胸に刻まれた。
「僕は何をしたらいいんですか。」何をしたら真に生きがいのある人生を送れるか。
「あなた<僕>の好きなことをしたらいいじゃないですか。」
「その僕が分からないから東京から来たんです。僕とは何ですか。」
そこで老師は言われました。
「昔から『汝自らを知れ』というが、いちばん身近にあって、いちばんわかりにくいものだ。時間がないから、結論だけ言おう。
君は今から、自分のことは勘定に入れないで、だれかのために自分を献げて生きてごらん。そして他人のために働いて
『よかったなぁ、幸せだなぁ』と思えるような自分がわかったら、それがほんとうの<僕>だと、わしは思うがなぁ」…というもの。
このエピソードを読んだときに「自分を勘定に入れない」という言葉と表現が忘れられないものとなって胸に刻まれた。
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