松本春男の綾瀬市レポート(日本共産党元市議会議員)

2023年4月の綾瀬市議選で福田くみ子さんに
バトンタッチしました。

赤旗新聞に、「こどものひとこと」が掲載されています

2016年10月08日 | 日記
*夫は沖縄支援へ*
 9・19 の出来事。夫は沖縄支援に行って不在。訪ねてきた孫が「おじいちゃんは?」と問うので、「しまに行ったよ」と言うと、「鬼をやっつけに?」


 *夜空を指して*
 あれは中秋の頃。帰宅途中の夜空を突然5歳の娘が指差し、「ママ、大変だ。お月さまがミになっている!」。
 空には電線上に掛かった丸い月がくっきり。ピアノを習い始め、五線と音符に見えたようだ。娘も40歳。


 *夏休みの終わりに*
 小2の孫の裡里(りと)ちゃん。夏休みの終わりごろ、「宿題完ぺき!」とお泊りに。「ばぁばのお仕事はなーに‽」「60歳でおしごとは終わり、今はすきなことをするのがおしごと」。すると「いいな!。リとも学校終わりにしたい、やめたーい!」。


 全国各地の、こどものひとことが楽しく投書されています。
 私も低学年の時、近くの緑川(堤防の広さが200M)を、競技用ボートがすごいスピードでこいでいるのを見て、当時外国で実施されている船が来たと思いました。
 直ぐに、あの小さな船では海は渡れないと気づき自分で笑ってしまいした、。

阿蘇山が爆発、私の実家から約35キロ

2016年10月08日 | 日記
 今回、地図検索で嘉島町からの距離を概略的に見て見たら、家から熊本城までは約7キロ、阿蘇山中岳までは約35キロ、驚いたのは有明海を挟んだ、雲仙普賢岳までは約30キロと思われます。
 子どもの頃、阿蘇山が噴火すると噴煙が高く上がると見えますが、家から阿蘇山との間には小高い小山が続き、外輪山も有るので高く煙が上がっているので、あの方向が阿蘇山と考えていました。
 熊本城は近くの緑川の堤防に上ると低い街並みの中にお城がきれいに見えました。
 家から西の方向に山が有りましたが、長崎県は遠いと思っていたので意識はしませんでした。
 雲仙普賢岳の爆発後、実家に帰って翌朝、西側を見たら緑の山肌が、一面茶褐色の山肌になっていたので、兄にあの山はどうしたのと尋ねたら、雲仙普賢岳の爆発と言われ驚きました。
 小学校の修学旅行(東京オリンピックの2年前)に、長崎に行って原爆関係の資料見学を行いましたが、熊本県の北部方面からフェリーで渡り、島原半島を北上したので、雲仙は遠いと思っていました、雲仙が阿蘇山より近い事に驚きました。

 私の小学校の修学旅行は、終戦から17年目でお米の統制が行われている時代でした。
 修学旅行に参加する児童は決められて量のお米を、各自が運んで宿に着いたら渡したような記憶が有ります。(記憶違いかも)
 それから3年後の中学の修学旅行は、山口県秋吉台方面でお米の持参はありませんでした。
 
 阿蘇山の噴火で、噴煙は山の北東方面に向かっています。私の実家は、山の西側に有るので、火山灰の被害の記憶はありません。
 今回は真夜中に爆発して、登山者の居なくて良かったです。