先程、書いたタイの航空会社は私がバングラデイィシュに入る間に倒産しました。
往復チケットを購入していたら、帰国費用が無く困ったと思います。
コルカタからバングラディシュのダッカ空港に向かう便で解りました。
当時の日本の企業の人たちは、国際空港の税関職員にパスポートを見せるとき、現地の1か月分程度の高額紙幣を挟んで提示すると、税関職員がパスポートだけ返してくれると言われていました。
私は、コルカタのボールペン1本だけでした。8月初旬にダッカの空港近くを低空で飛行していたら、陸上が見えるよりも水没している土地だらけでした、
大洪水が起きていました。洪水の話は別の機会に書きます。
10月初旬で、3カ月の滞在期間が過ぎるので、飛行機は代金が高いので、滞在期間の切れる日にバスでコルカタに向かいました。
バングラディシュとインドの国境には、税関や他の手続きのため、列車の踏み切りにあるような、竹のゲートが3本づつあります。
バングラディシュの手続きが終わり、インド側の入国手続きを行うなかで、インドへのビザが無いので,入国させないと言い、バングラディシィ側は今日が滞在期限の日で、一度出国したので、インド側の入国スタンプが無いと入れないともめています
高額な代金の飛行機を利用する人間にはビザなし入国を認めても、陸路を利用する人にはビザを要求しています、
その日かなり時間が経過して、バングラに戻りました。ダッカに帰って、代表がバングラ政府と交渉して、アグリメントが交わされ、その後は3カ月一度の国外出国は無くなりました。
その時の交渉は、交渉とは名ばかりの、脅し脅迫と思われます。国の省庁に出向いて、大臣をここに呼べと迫ったりと激しい戦いが有ってようです。
他の国の団体が数年前から交渉しても、許可が出ないのに早かったそうです。
私は、雨期にコレラや赤痢で何人が亡くなった家の横を行き来したり、1キロほど離れた町でパンパン音がするにでどうしたのと村人に聞くと強盗団が警察署を襲って銃撃戦が続いているので、今は行かないように言われたり、地主の物置を借りて宿舎に、大家さんを殺しに強盗団が宿舎の前でライフルを発射しています。音はパアン・パアンと聞こえます。
町のバザールに向かう道に人が刺されて苦しんでいても、すぐ横を大勢の人が歩いています。小さなボートで大きな町に向かう途中、走る船の1メートル横に若い女性の水死体が浮いています。船長に船を止めるよう言いましたが、無視されました。当時は数十人の死亡では新聞報道されず、数100人以上死亡すると報道されていました。
命の危険は有りますが、人が殺される以外は、楽しくのんびり暮らせました。