「孤立論」まで飛び出した 韓国歴史外交の敗北
『Voice』 2015年7月号
黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)
朴正熙と岸信介の因縁
この6月は日韓国交正常化50周年にあたるが、何とも皮肉な状況になってしまった。祝賀ムードなどどこにもない。
周知のように日韓関係が過去最悪といわれるほど冷え込んでいるからだ。背景には韓国の度を越した自制なき反日と、日本での反韓・嫌韓感情の広がりがある。
これまでにない冷たい関係の象徴は、双方の首脳が2年以上にわたってまだ一度も首脳会談を開いていないことだ。
日本の安倍晋三首相は「いつでも門戸を開いている」と言い続けているが、韓国の朴槿惠大統領は慰安婦問題を理由に会談を拒否している。
こういう場合、国際的には「会いたい」といっている相手に「会いたくない」といっているほうが分が悪い。
ということもあって、朴槿惠大統領にとってその外交的環境は次第に厳しくなりつつある。
国交正常化50周年を考えるとき、日韓関係を最悪にしてしまったのがよりによって朴槿惠大統領時代とは、歴史的な皮肉というしかない。
彼女は50年前、日本と国交正常化を実現した朴正熙大統領の娘である。
彼女が大統領になれたのは、歴代大統領のなかで最も国民的な人気がある父のイメージ、つまり「朴正熙の娘」だったからといってもいい。
その父が政治生命を懸けて決断した、歴史的業績である日韓国交正常化の50周年を娘が祝えないとは。
親子の絶対的関係を重視する儒教的価値が強い韓国では、これは「親不孝」ということになる。
日本はそれほど儒教的ではないが、似たようなことは安倍晋三首相にもいえないことはない。
というのは日韓国交正常化を実現した佐藤栄作首相は、安倍首相の外祖父・岸信介の弟で、安倍首相の縁戚になる。
岸信介元首相も親韓派として国交正常化の影の立役者だった。
安倍首相にとってはこの日韓の歴史は政治的にひときわ感慨深いはずである。
にもかかわらず50周年に際しその歴史を祝う雰囲気にないことは、内心忸怩たるものがあるだろう。
余談だが、安倍首相サイドの歴史的エピソードには岸信介と朴正熙とのあいだの逸話がある。
以下のことは岸信介元首相から直接聞いた話である。
朴槿惠大統領の父・朴正熙は1979年10月26日、内政上の葛藤から側近に暗殺され18年にわたる長期政権は幕を下ろした。彼は国葬(11月3日)となり、日本から岸信介が弔問特使として訪韓した。そのとき、筆者は同行記者として同じ飛行機に乗った。機内で岸信介にインタビューした際、こんな思い出を語ってくれた。
朴正熙は1961年5月、クーデターで政権を握ったあと、過渡期の国家再建最高会議議長として訪米しその帰途、日本に立ち寄った。
朴槿惠大統領の父・朴正熙の日本訪問は後にも先にもこれだけだ(戦前、満州軍官学校から日本の陸軍士官学校に留学はしている)。
その後、長期政権にもかかわらず大統領としての日本訪問は諸般の事情で一回もなかった。
余談中の余談だが、朴・父娘にとって日本公式訪問は鬼門?
岸信介によると、朴正熙は軍事政権スタート直後の唯一の訪日の際、岸に対し「自分は幕末・明治維新の吉田松陰、高杉晋作の気持ちで国作りをやっています」といって日本の協力を要請したというのだ。
これは岸が山口出身で松陰、晋作と同じ旧長州の出であることを踏まえたうえでの発言ではなかったか。
そして安倍首相自身が日ごろこの旧長州の政治人脈を意識していることは、つとに知られている。
こうした政治的因縁と世代を同じくする「朴槿惠と安倍晋三」が、いまだに首脳会談を開けないことは皮肉を超えて悲劇(?)に近いが、ここにきてやっと韓国側に日韓関係改善に向けた前向きの機運が出ている。
とくに4月の安倍首相訪米のあと、首脳会談早期開催必要論が広がっている。
反日好きで“安倍叩き”を続けてきた韓国メディアだが、このところの論調はほとんど一致して首脳会談の早期開催を政府に促している。
メディアで見るかぎり、あとは朴槿惠大統領の決断だけという雰囲気だ。
メディア論評のなかには50年前、反対世論を抑えるため戒厳令まで宣布し日韓国交正常化を決断した父を例に、「父にならえ」と決断を求めるものもある。
韓国側の“変化”の背景には、政治・外交的には安倍首相訪米による日米蜜月ムードのほか、日中首脳会談の実現と日中関係改善の流れがある。
とくに前者の影響が大きい。
安倍訪米による日米同盟関係強化に対し韓国の反応は「米国は韓国に冷たい」「米国は日本寄り」との声がもっぱらだ。
そこから出てきているのが「韓国孤立論」である。
安倍訪米をめぐる韓国の異様な関心と狂騒の意味についてはあとで触れるが、韓国における外交的孤立化論は対日関係でもうかがわれる。
「こんなに長く日本との関係がよくなくていいのか」という不安感、孤立感は安倍訪米の前から徐々に出ていた。
それが安倍訪米によって一気に広がり、日韓首脳会談早期開催論を強く後押ししているのだ。
日韓関係については日本人と違って韓国人の心理はいつも微妙である。
端的にいって、現状のような日韓関係悪化とその長期化に対し日本人にどれだけの不安感や孤立感があるだろうか。
もちろん政府当局者や識者にはそれなりに懸念はあり、その打開を模索する声や動きはうかがわれるが、不安感、孤立感ということではないだろう。
しかし、韓国では国民心理としてそれがあるのだ。
日韓関係の長期悪化や首脳会談不発が続くなか、当局者や識者、メディアばかりではなく街の声にもそれが出はじめている。
筆者の周辺でも街の声として、事態を懸念する声が多く聞かれるようになった。
次のページ韓国で高まる外交的孤立感
韓国で高まる外交的孤立感
韓国の場合、日本と違ってその置かれた地政学的環境や歴史的経験から、周辺国との関係には古来、きわめて敏感である。
歴史的には対外関係悪化はしばしば戦争や侵略という事態につながり、民の生存が直接影響を受けるという経験を重ねてきたからだ。
ここでも余談になるが、いま、韓国ではNHKにあたるKBSテレビが年初から「光復70周年記念番組」と銘打って大河歴史ドラマ『懲毖録(ジンビロク)』を毎週末、放送している。
このタイトルは16世紀末、日本の秀吉軍の侵攻である韓国でいうところの「壬辰倭乱」(文禄・慶長の役)の際、それを迎え撃った韓国朝廷の重臣、柳成竜が書き残した回顧録そのままである。
したがってドラマの主人公は柳成竜である。
余談の余談でいえば、韓流ファンにとっては先刻承知のことだが、韓流スターの草分けの一人であるリュー・シウォン(柳時元)はその直系の子孫として知られる。
柳家の古宅は慶尚北道・安東の民俗村「回会村(ハフエマウル)」にあって観光スポットになっている。
周知のようにこのときの“日韓戦争”は、明(中国)征服という豊臣秀吉の野望がきっかけだった。
しかし朝鮮出兵ののち、途中で秀吉が死亡したため日本軍は撤退した。
韓国からすれば結果的に日本を撃退した勝利の戦争ということになるが、実際は日本軍の侵攻で長期間(あしかけ6年!)、戦場となった韓国は大打撃を受け疲弊する。
もう一つ余談を重ねれば、ソウルに語学留学した1970年代後半にこんなことがあった。
留学生仲間の日本人の話で、下宿先でカセットラジオが無くなったことを話題にしたところ、同じ下宿の韓国人から「そんなことでガタガタいうな。
秀吉軍が韓国でしたことに較べれば何でもないじゃないか」と叱られたという。
この「壬辰倭乱」の愛国ドラマは韓国版・忠臣蔵みたいなものである。
昨年は日本水軍との海戦で勝利した「救国の英雄」李舜臣(イ・スンシン)を主人公にしたスペクタクル映画『鳴梁(ミョンリャン)』が、観客動員1700万人突破の史上最高を記録している。
十六世紀の歴史がいまに生きていて、国民ドラマとして繰り返し刷り直しが行なわれているのだ。
「壬辰倭乱」の“日韓戦争”は、途中から明軍が韓国支援に加わったため“日中戦争”になる。
韓国朝廷はとくに休戦交渉にあたって日中のあいだで右往左往する。
この稿を書いているとき、KBSドラマの展開はそのあたりに差し掛かっている。
『懲毖録』(日本語版は平凡社の東洋文庫)は日本の侵攻を予期できなかったことや、韓国側の内部混乱、そして日中韓の外交葛藤など自己批判を込めた記録である。
東アジア情勢が流動化するなか、光復70周年記念として大河ドラマに選ばれたのは理由があるのだ。
そんな韓国だから、日本と首脳会談さえまだ一度も開かれていないという長期間の不和や緊張には、間違いなく不安が伴う。
しかも国際関係では最大の頼みである米国さえ日本寄りとあっては、不安はいっそう募る。
それに韓国と共に日本非難の“歴史共闘”をしてくれていたはずの中国さえ、日本との首脳外交に応じ実利外交に転じた。
韓国に外交的孤立感が生まれても不思議ではない。
思えば不思議なことだが、韓国は今回の安倍首相の訪米に対し“妨害工作”に官民挙げて狂奔した。
その関心は訪米前から始まり、メディアはまるで韓国の首脳が訪米するかのような興奮ぶりだった。
事実、韓国紙のワシントン特派員は「2013年5月の朴槿惠大統領がワシントンを訪れた時より忙しかった」(5月11日付『東亜日報』)と述懐している。
最大の関心事は歴史問題だった。それも日米の歴史問題ではない。
日韓の歴史問題である。端的にいえば慰安婦問題だ。とくに安倍首相に米議会演説で慰安婦問題に関し、いかに謝らせるかだった。
先のワシントン特派員は「安倍総理が第二次世界大戦中の日本軍慰安婦など過去史の蛮行を認め謝罪するかどうかは、すでに韓民族の自尊心がかかった状態だった」と書いている。
そしてその間、韓国外務省の北米局北米一課は“米日課”といわれるほど米国での反日工作に励んだというのだ。
そのため韓国はまず安倍首相の国賓訪問ということにイチャモンを付けていたが、次は在米韓国人や親韓派の米議員などを動員し議会演説阻止に動いた。
「アベに免罪符を与えるな」というわけだ。議会演説やむなしとなると、今度は演説に謝罪の文句を入れさせようと必死になった。
この過程で例によって本国から、いまや国際的にも反日名士になった元慰安婦の老女が“動員”された。
彼女らを押し立てた安倍非難の反日パフォーマンスが、ホワイトハウスや議会前などで執拗に展開された。
ここでワシントンの慰安婦デモで目撃された不思議な光景についてぜひ紹介しておきたい。
慰安婦デモは当然、民間団体が組織したものだったが、その場に韓国の国会議員(与党)が登場し、安倍首相非難のプラカードを掲げていた。
その国会議員が何と、外交官出身で先年、韓米FTA交渉の韓国政府首席代表だった金鍾勳氏だった。
FTA交渉に際しては、毎日のようにその顔がマスコミに登場していた。
そうした経歴と知名度を買われて与党の国会議員になったのだが、舞台裏での対米工作ならともかく、元慰安婦など反日運動団体と一緒になってデモまでしているのだ。
超エリートの大使級外交官出身でも“愛国ポピュリズム(大衆迎合主義)”に弱いのだ。
強硬な反日支援団体(挺身隊問題対策協議会=挺対協)に振り回され、解決できなくなっている慰安婦問題が象徴するように、国家的権威が弱体化している近年の韓国について筆者は“NGO国家”とよく皮肉っている。
その意味でワシントンでの韓国国会議員の風景は、そうした韓国の国家状況を象徴するものとしてじつに興味深かった。
安倍演説には、韓国が要求してやまなかった「謝罪」は含まれなかった。
関連部分は「戦後の日本は先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。
自らの行ないが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。
これらの点についての思いは、歴代総理とまったく変わるものではありません」となっている。日米関係は日韓関係ではない。これで十分だろう。
韓国側で官民挙げて不満、非難が語られても、ここは日米関係の場である。
日本の大方の国民世論としては、日米関係にまで韓国がシャシャリ出てきて、米国での首相の議会演説にまでイチャモンを付けられたのではたまったものではない。
日本世論の反韓・嫌韓感情に新たな油を注いだことは容易に想像できる。
後世、韓国外交史の汚点といわれるかもしれない今回の安倍演説阻止工作について、早くから批判と反対を明確にしていたメディア論調がある。
唯一の批判として紹介するが、以下は『週刊朝鮮』(朝鮮日報社系、3月2-8日号)の崔埈碩植編集長が編集後記のエッセイで書いたものだ。
「安倍政府の過去史問題に対する認識を憂慮する。日本社会の過去回帰の動きはじつに心配です。
しかし韓国はこれに知恵深く対処しなければならない。一部の人びとが度を越えた行動をし、言論がいちいちラッパを吹くというやり方はよくありません。
“強力に対応すべし”などと言うのはやめよう。
柳成竜は『懲毖録』に“わが国は日本と平和に付き合うべきということをぜひ忘れないでほしい”と(対日外交を担当した)申叔舟が死に際し国王に伝えたと書いています。
大韓海峡の波濤が高まらないことがわれわれの利益です」
安倍首相訪米が終わったあと、韓国では韓国外交の失敗と孤立化そして危機論がしきりに語られている。
これまで歴史問題にこだわりすぎたというのだ。
これからは歴史と安保・経済・文化などを切り離し、後者を優先したいわゆる“ツー・トラック外交”をすべきだという。すでに指摘した日韓首脳会談早期開催論もその一環である。
これまで韓国マスコミは慰安婦問題を押し立て、日本非難の“歴史外交”を煽ってきた。
そして「安倍憎し」から日米同盟強化が韓国にとってまるでマイナスかのように歪曲、扇動を繰り返してきた。
そんなマスコミが手のヒラを返したようなことを言い出したのだ。
典型的な“マッチポンプ”で可笑しいが、自己批判と反省なら歓迎である。
安倍総理は悪魔か
安倍演説に対し直後の韓国マスコミは、自らへの癒やしとして米国の親韓派議員や知識人を動員し不満と批判を語らせていたが、日韓首脳会談早期開催論をはじめその後の韓国世論の展開を見るかぎり、とりあえず安倍首相の対韓外交は勝利したことになる。
首脳会談早期開催を主張しているなかで、米国通の代表的コラムニスト金永煥氏は「米国は(今後)韓国に対し日本との関係正常化や韓米日安保協力体制参加の圧力を強めるだろう。
慰安婦や歴史問題にこれ以上こだわって日本を避けるなら、韓国は米国から孤立するだろう」と警告している(5月8日付『中央日報』)。
そのうえで「アベは道徳的に問題のある人物だが、国益のためには悪魔とも踊りを踊らなければならない」という。
安倍バッシングの韓国マスコミによって安倍首相もとうとう〝悪魔〟にされてしまった。
余談的だが、これなど朴槿惠大統領に対する『産経新聞』の名誉毀損告訴事件を考えれば、韓国流では告訴モノではなかろうか。
米国で「アベに謝罪させる」ことに失敗した韓国は、六月中旬には朴槿惠大統領が訪米することになっている。
韓国にとってはいわば日本を強く意識した雪辱戦である。
「日本寄りになった米国を韓国に引き戻す」
「日本よりもっと多くの成果を」
と早くも政府はマスコミ世論からシリを叩かれているが、一方では「大統領の訪米は“過去史外交戦”の舞台ではない」(5月16日付『朝鮮日報』)とか「日本牽制が韓国外交の存在理由なのか」
(5月18日付『中央日報』の文正仁・延世大教授)と外交路線転換を求める声が強く出ている。
硬直した朴槿惠大統領の対日外交が、いまや世論の批判にさらされているのだ。
父・朴正熙は50年前、世論の反対を押して国交正常化を決断したが、娘は世論の反対を押して日韓首脳会談拒否を続けるのか。
国交正常化に比べると首脳会談開催―関係改善など“歴史的決断”というほどのものではない。
しかも世論の負担もない。早く日本との関係を何とかしないとこの夏、国民はもっと落ち着かなくなる。
『Voice』 2015年7月号
黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)
朴正熙と岸信介の因縁
この6月は日韓国交正常化50周年にあたるが、何とも皮肉な状況になってしまった。祝賀ムードなどどこにもない。
周知のように日韓関係が過去最悪といわれるほど冷え込んでいるからだ。背景には韓国の度を越した自制なき反日と、日本での反韓・嫌韓感情の広がりがある。
これまでにない冷たい関係の象徴は、双方の首脳が2年以上にわたってまだ一度も首脳会談を開いていないことだ。
日本の安倍晋三首相は「いつでも門戸を開いている」と言い続けているが、韓国の朴槿惠大統領は慰安婦問題を理由に会談を拒否している。
こういう場合、国際的には「会いたい」といっている相手に「会いたくない」といっているほうが分が悪い。
ということもあって、朴槿惠大統領にとってその外交的環境は次第に厳しくなりつつある。
国交正常化50周年を考えるとき、日韓関係を最悪にしてしまったのがよりによって朴槿惠大統領時代とは、歴史的な皮肉というしかない。
彼女は50年前、日本と国交正常化を実現した朴正熙大統領の娘である。
彼女が大統領になれたのは、歴代大統領のなかで最も国民的な人気がある父のイメージ、つまり「朴正熙の娘」だったからといってもいい。
その父が政治生命を懸けて決断した、歴史的業績である日韓国交正常化の50周年を娘が祝えないとは。
親子の絶対的関係を重視する儒教的価値が強い韓国では、これは「親不孝」ということになる。
日本はそれほど儒教的ではないが、似たようなことは安倍晋三首相にもいえないことはない。
というのは日韓国交正常化を実現した佐藤栄作首相は、安倍首相の外祖父・岸信介の弟で、安倍首相の縁戚になる。
岸信介元首相も親韓派として国交正常化の影の立役者だった。
安倍首相にとってはこの日韓の歴史は政治的にひときわ感慨深いはずである。
にもかかわらず50周年に際しその歴史を祝う雰囲気にないことは、内心忸怩たるものがあるだろう。
余談だが、安倍首相サイドの歴史的エピソードには岸信介と朴正熙とのあいだの逸話がある。
以下のことは岸信介元首相から直接聞いた話である。
朴槿惠大統領の父・朴正熙は1979年10月26日、内政上の葛藤から側近に暗殺され18年にわたる長期政権は幕を下ろした。彼は国葬(11月3日)となり、日本から岸信介が弔問特使として訪韓した。そのとき、筆者は同行記者として同じ飛行機に乗った。機内で岸信介にインタビューした際、こんな思い出を語ってくれた。
朴正熙は1961年5月、クーデターで政権を握ったあと、過渡期の国家再建最高会議議長として訪米しその帰途、日本に立ち寄った。
朴槿惠大統領の父・朴正熙の日本訪問は後にも先にもこれだけだ(戦前、満州軍官学校から日本の陸軍士官学校に留学はしている)。
その後、長期政権にもかかわらず大統領としての日本訪問は諸般の事情で一回もなかった。
余談中の余談だが、朴・父娘にとって日本公式訪問は鬼門?
岸信介によると、朴正熙は軍事政権スタート直後の唯一の訪日の際、岸に対し「自分は幕末・明治維新の吉田松陰、高杉晋作の気持ちで国作りをやっています」といって日本の協力を要請したというのだ。
これは岸が山口出身で松陰、晋作と同じ旧長州の出であることを踏まえたうえでの発言ではなかったか。
そして安倍首相自身が日ごろこの旧長州の政治人脈を意識していることは、つとに知られている。
こうした政治的因縁と世代を同じくする「朴槿惠と安倍晋三」が、いまだに首脳会談を開けないことは皮肉を超えて悲劇(?)に近いが、ここにきてやっと韓国側に日韓関係改善に向けた前向きの機運が出ている。
とくに4月の安倍首相訪米のあと、首脳会談早期開催必要論が広がっている。
反日好きで“安倍叩き”を続けてきた韓国メディアだが、このところの論調はほとんど一致して首脳会談の早期開催を政府に促している。
メディアで見るかぎり、あとは朴槿惠大統領の決断だけという雰囲気だ。
メディア論評のなかには50年前、反対世論を抑えるため戒厳令まで宣布し日韓国交正常化を決断した父を例に、「父にならえ」と決断を求めるものもある。
韓国側の“変化”の背景には、政治・外交的には安倍首相訪米による日米蜜月ムードのほか、日中首脳会談の実現と日中関係改善の流れがある。
とくに前者の影響が大きい。
安倍訪米による日米同盟関係強化に対し韓国の反応は「米国は韓国に冷たい」「米国は日本寄り」との声がもっぱらだ。
そこから出てきているのが「韓国孤立論」である。
安倍訪米をめぐる韓国の異様な関心と狂騒の意味についてはあとで触れるが、韓国における外交的孤立化論は対日関係でもうかがわれる。
「こんなに長く日本との関係がよくなくていいのか」という不安感、孤立感は安倍訪米の前から徐々に出ていた。
それが安倍訪米によって一気に広がり、日韓首脳会談早期開催論を強く後押ししているのだ。
日韓関係については日本人と違って韓国人の心理はいつも微妙である。
端的にいって、現状のような日韓関係悪化とその長期化に対し日本人にどれだけの不安感や孤立感があるだろうか。
もちろん政府当局者や識者にはそれなりに懸念はあり、その打開を模索する声や動きはうかがわれるが、不安感、孤立感ということではないだろう。
しかし、韓国では国民心理としてそれがあるのだ。
日韓関係の長期悪化や首脳会談不発が続くなか、当局者や識者、メディアばかりではなく街の声にもそれが出はじめている。
筆者の周辺でも街の声として、事態を懸念する声が多く聞かれるようになった。
次のページ韓国で高まる外交的孤立感
韓国で高まる外交的孤立感
韓国の場合、日本と違ってその置かれた地政学的環境や歴史的経験から、周辺国との関係には古来、きわめて敏感である。
歴史的には対外関係悪化はしばしば戦争や侵略という事態につながり、民の生存が直接影響を受けるという経験を重ねてきたからだ。
ここでも余談になるが、いま、韓国ではNHKにあたるKBSテレビが年初から「光復70周年記念番組」と銘打って大河歴史ドラマ『懲毖録(ジンビロク)』を毎週末、放送している。
このタイトルは16世紀末、日本の秀吉軍の侵攻である韓国でいうところの「壬辰倭乱」(文禄・慶長の役)の際、それを迎え撃った韓国朝廷の重臣、柳成竜が書き残した回顧録そのままである。
したがってドラマの主人公は柳成竜である。
余談の余談でいえば、韓流ファンにとっては先刻承知のことだが、韓流スターの草分けの一人であるリュー・シウォン(柳時元)はその直系の子孫として知られる。
柳家の古宅は慶尚北道・安東の民俗村「回会村(ハフエマウル)」にあって観光スポットになっている。
周知のようにこのときの“日韓戦争”は、明(中国)征服という豊臣秀吉の野望がきっかけだった。
しかし朝鮮出兵ののち、途中で秀吉が死亡したため日本軍は撤退した。
韓国からすれば結果的に日本を撃退した勝利の戦争ということになるが、実際は日本軍の侵攻で長期間(あしかけ6年!)、戦場となった韓国は大打撃を受け疲弊する。
もう一つ余談を重ねれば、ソウルに語学留学した1970年代後半にこんなことがあった。
留学生仲間の日本人の話で、下宿先でカセットラジオが無くなったことを話題にしたところ、同じ下宿の韓国人から「そんなことでガタガタいうな。
秀吉軍が韓国でしたことに較べれば何でもないじゃないか」と叱られたという。
この「壬辰倭乱」の愛国ドラマは韓国版・忠臣蔵みたいなものである。
昨年は日本水軍との海戦で勝利した「救国の英雄」李舜臣(イ・スンシン)を主人公にしたスペクタクル映画『鳴梁(ミョンリャン)』が、観客動員1700万人突破の史上最高を記録している。
十六世紀の歴史がいまに生きていて、国民ドラマとして繰り返し刷り直しが行なわれているのだ。
「壬辰倭乱」の“日韓戦争”は、途中から明軍が韓国支援に加わったため“日中戦争”になる。
韓国朝廷はとくに休戦交渉にあたって日中のあいだで右往左往する。
この稿を書いているとき、KBSドラマの展開はそのあたりに差し掛かっている。
『懲毖録』(日本語版は平凡社の東洋文庫)は日本の侵攻を予期できなかったことや、韓国側の内部混乱、そして日中韓の外交葛藤など自己批判を込めた記録である。
東アジア情勢が流動化するなか、光復70周年記念として大河ドラマに選ばれたのは理由があるのだ。
そんな韓国だから、日本と首脳会談さえまだ一度も開かれていないという長期間の不和や緊張には、間違いなく不安が伴う。
しかも国際関係では最大の頼みである米国さえ日本寄りとあっては、不安はいっそう募る。
それに韓国と共に日本非難の“歴史共闘”をしてくれていたはずの中国さえ、日本との首脳外交に応じ実利外交に転じた。
韓国に外交的孤立感が生まれても不思議ではない。
思えば不思議なことだが、韓国は今回の安倍首相の訪米に対し“妨害工作”に官民挙げて狂奔した。
その関心は訪米前から始まり、メディアはまるで韓国の首脳が訪米するかのような興奮ぶりだった。
事実、韓国紙のワシントン特派員は「2013年5月の朴槿惠大統領がワシントンを訪れた時より忙しかった」(5月11日付『東亜日報』)と述懐している。
最大の関心事は歴史問題だった。それも日米の歴史問題ではない。
日韓の歴史問題である。端的にいえば慰安婦問題だ。とくに安倍首相に米議会演説で慰安婦問題に関し、いかに謝らせるかだった。
先のワシントン特派員は「安倍総理が第二次世界大戦中の日本軍慰安婦など過去史の蛮行を認め謝罪するかどうかは、すでに韓民族の自尊心がかかった状態だった」と書いている。
そしてその間、韓国外務省の北米局北米一課は“米日課”といわれるほど米国での反日工作に励んだというのだ。
そのため韓国はまず安倍首相の国賓訪問ということにイチャモンを付けていたが、次は在米韓国人や親韓派の米議員などを動員し議会演説阻止に動いた。
「アベに免罪符を与えるな」というわけだ。議会演説やむなしとなると、今度は演説に謝罪の文句を入れさせようと必死になった。
この過程で例によって本国から、いまや国際的にも反日名士になった元慰安婦の老女が“動員”された。
彼女らを押し立てた安倍非難の反日パフォーマンスが、ホワイトハウスや議会前などで執拗に展開された。
ここでワシントンの慰安婦デモで目撃された不思議な光景についてぜひ紹介しておきたい。
慰安婦デモは当然、民間団体が組織したものだったが、その場に韓国の国会議員(与党)が登場し、安倍首相非難のプラカードを掲げていた。
その国会議員が何と、外交官出身で先年、韓米FTA交渉の韓国政府首席代表だった金鍾勳氏だった。
FTA交渉に際しては、毎日のようにその顔がマスコミに登場していた。
そうした経歴と知名度を買われて与党の国会議員になったのだが、舞台裏での対米工作ならともかく、元慰安婦など反日運動団体と一緒になってデモまでしているのだ。
超エリートの大使級外交官出身でも“愛国ポピュリズム(大衆迎合主義)”に弱いのだ。
強硬な反日支援団体(挺身隊問題対策協議会=挺対協)に振り回され、解決できなくなっている慰安婦問題が象徴するように、国家的権威が弱体化している近年の韓国について筆者は“NGO国家”とよく皮肉っている。
その意味でワシントンでの韓国国会議員の風景は、そうした韓国の国家状況を象徴するものとしてじつに興味深かった。
安倍演説には、韓国が要求してやまなかった「謝罪」は含まれなかった。
関連部分は「戦後の日本は先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。
自らの行ないが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。
これらの点についての思いは、歴代総理とまったく変わるものではありません」となっている。日米関係は日韓関係ではない。これで十分だろう。
韓国側で官民挙げて不満、非難が語られても、ここは日米関係の場である。
日本の大方の国民世論としては、日米関係にまで韓国がシャシャリ出てきて、米国での首相の議会演説にまでイチャモンを付けられたのではたまったものではない。
日本世論の反韓・嫌韓感情に新たな油を注いだことは容易に想像できる。
後世、韓国外交史の汚点といわれるかもしれない今回の安倍演説阻止工作について、早くから批判と反対を明確にしていたメディア論調がある。
唯一の批判として紹介するが、以下は『週刊朝鮮』(朝鮮日報社系、3月2-8日号)の崔埈碩植編集長が編集後記のエッセイで書いたものだ。
「安倍政府の過去史問題に対する認識を憂慮する。日本社会の過去回帰の動きはじつに心配です。
しかし韓国はこれに知恵深く対処しなければならない。一部の人びとが度を越えた行動をし、言論がいちいちラッパを吹くというやり方はよくありません。
“強力に対応すべし”などと言うのはやめよう。
柳成竜は『懲毖録』に“わが国は日本と平和に付き合うべきということをぜひ忘れないでほしい”と(対日外交を担当した)申叔舟が死に際し国王に伝えたと書いています。
大韓海峡の波濤が高まらないことがわれわれの利益です」
安倍首相訪米が終わったあと、韓国では韓国外交の失敗と孤立化そして危機論がしきりに語られている。
これまで歴史問題にこだわりすぎたというのだ。
これからは歴史と安保・経済・文化などを切り離し、後者を優先したいわゆる“ツー・トラック外交”をすべきだという。すでに指摘した日韓首脳会談早期開催論もその一環である。
これまで韓国マスコミは慰安婦問題を押し立て、日本非難の“歴史外交”を煽ってきた。
そして「安倍憎し」から日米同盟強化が韓国にとってまるでマイナスかのように歪曲、扇動を繰り返してきた。
そんなマスコミが手のヒラを返したようなことを言い出したのだ。
典型的な“マッチポンプ”で可笑しいが、自己批判と反省なら歓迎である。
安倍総理は悪魔か
安倍演説に対し直後の韓国マスコミは、自らへの癒やしとして米国の親韓派議員や知識人を動員し不満と批判を語らせていたが、日韓首脳会談早期開催論をはじめその後の韓国世論の展開を見るかぎり、とりあえず安倍首相の対韓外交は勝利したことになる。
首脳会談早期開催を主張しているなかで、米国通の代表的コラムニスト金永煥氏は「米国は(今後)韓国に対し日本との関係正常化や韓米日安保協力体制参加の圧力を強めるだろう。
慰安婦や歴史問題にこれ以上こだわって日本を避けるなら、韓国は米国から孤立するだろう」と警告している(5月8日付『中央日報』)。
そのうえで「アベは道徳的に問題のある人物だが、国益のためには悪魔とも踊りを踊らなければならない」という。
安倍バッシングの韓国マスコミによって安倍首相もとうとう〝悪魔〟にされてしまった。
余談的だが、これなど朴槿惠大統領に対する『産経新聞』の名誉毀損告訴事件を考えれば、韓国流では告訴モノではなかろうか。
米国で「アベに謝罪させる」ことに失敗した韓国は、六月中旬には朴槿惠大統領が訪米することになっている。
韓国にとってはいわば日本を強く意識した雪辱戦である。
「日本寄りになった米国を韓国に引き戻す」
「日本よりもっと多くの成果を」
と早くも政府はマスコミ世論からシリを叩かれているが、一方では「大統領の訪米は“過去史外交戦”の舞台ではない」(5月16日付『朝鮮日報』)とか「日本牽制が韓国外交の存在理由なのか」
(5月18日付『中央日報』の文正仁・延世大教授)と外交路線転換を求める声が強く出ている。
硬直した朴槿惠大統領の対日外交が、いまや世論の批判にさらされているのだ。
父・朴正熙は50年前、世論の反対を押して国交正常化を決断したが、娘は世論の反対を押して日韓首脳会談拒否を続けるのか。
国交正常化に比べると首脳会談開催―関係改善など“歴史的決断”というほどのものではない。
しかも世論の負担もない。早く日本との関係を何とかしないとこの夏、国民はもっと落ち着かなくなる。