朴槿恵氏はなぜ罷免されたのか
一部省略
大統領弾劾の普遍性と特殊性を考える
澤田克己 (毎日新聞記者、前ソウル支局長)
憲法秩序を守るために必要だった「弾劾」
韓国の憲法裁判所は、財閥から出資させた財団を通じて崔順実(チェ・スンシル)被告に不当な利益を得させるために大統領の職権が乱用されたことなどを認定した。
さらに、朴氏が問題の発覚後も疑惑を否認し続ける一方で、真相究明に協力すると繰り返しながら実際には捜査に非協力的だったことを批判。
そのうえで、「被請求人(朴氏)による一連の言動からは、法に反する行為が繰り返されないようにする憲法守護の意思を読み取れない」と断じた。
そして、「被請求人の法に反する行為が憲法秩序に与える否定的影響と波及効果は重大であることから、被請求人を罷免することによって得られる憲法守護の利益は圧倒的に大きい」と結論づけた。
国会は弾劾理由としてセウォル号事故対応での職務怠慢や公務員人事権の乱用なども挙げたが、憲法裁によって退けられた。
同じく国会が訴追理由とし、特別検察官も立件したサムスンがらみの贈収賄事件については、憲法裁は判断を示さなかった。
結果として、必要最低限の事件について違法性を認めたうえで、疑惑発覚後の朴氏の対応を重視したといえるだろう。
憲法秩序を守るという観点から見れば、大統領を職にとどめるより辞めさせた方がいいという判断である。
世論は圧倒的に弾劾賛成であり、昨年秋以降の退陣要求集会の熱気などを見れば、弾劾請求が棄却されたら大混乱に陥ることが確実だった。そういったことまでを考えれば、事態収拾には弾劾を認める以外の選択肢はなかったとも言えそうだ。
事態を深刻化させた崔被告のイメージ
崔被告を巡る事件の実態はこれから刑事裁判で解明されることになる。
ただ、事件の態様や規模としては特別に奇異なものではない。
大統領の関与がどれだけあったかにもよるが、それでも現時点で受ける印象は「過去の政権のスキャンダルと本質的に大差ないのではないか」というものである。特に、韓国世論が沸騰した契機である「演説草稿文を事前に見せていた」というのは微罪にしかならない。
だが、世論の反発は尋常ではなかった。
これはやはり、崔被告が伝統的支配階層のイメージから掛け離れていたことに最大の理由があるとしか考えられない。
儒教支配の長かった朝鮮半島の社会においては学問を修めた文民エリートによる統治が当然視されている。
それなのに、新興宗教の教祖を父に持ち、あやしげなイメージをまとった崔被告が大統領を背後から操っていたという。
それが、韓国社会に大きな衝撃を与え、結果的に大統領弾劾という悲劇につながったように思われる。
韓国の朴槿恵大統領が罷免された。
日本の感覚では不思議な面の多かったプロセスではあるものの、弾劾は憲法に定められた手続きである。
これからは大統領選や次期政権の行方に焦点が移ることになるが、その前に弾劾が認められた背景を振り返っておきたい。
私は今まで韓国司法に対して批判的な記事も書いてきた。
今回の事態でも、韓国の検察や特別検察官による一連の捜査には無理が目立った。
今後の公判では、無罪判決が相次ぐ事態もありうるだろう。ただし、弾劾審理については事情が少し違う。「司法の暴走」や「世論への迎合」と批判するのは簡単ではない。
弾劾制度は、14世紀の英国に起源を持つ。
国王の任命した大臣を議会が罷免するために始まった。
現代においても、弾劾というのは「公職を剥奪するか否か」を問うものにすぎず、刑事罰に問えるかどうかは関係ない。
韓国の憲法裁判所も今回の決定文で「弾劾の決定は対象者を公職から罷免することであり、刑事上の責任を問うものではない」と明示した。
これは各国共通の原理だ。
米国の正副大統領などに対する弾劾について定めた合衆国憲法第2条第4節は訴追事由を「反逆罪、収賄罪その他の重大な罪または軽罪」としている。
「軽罪」というのは原文では「Misdemeanors」である。辞書で引くと、硬い表現としての「不行跡、不品行」と法律用語としての「軽犯罪」となっている。
「弾劾」はそもそも政治的だ
昨年罷免されたブラジルのルセフ大統領にしても、下院による弾劾訴追の理由は政府予算の赤字を隠すために不正な会計処理をしたというものだった。
ルセフ氏は慣例に従っただけだと主張したが、経済の急激な落ち込みと与党幹部の多くが関与した前政権時代の大型汚職事件が発覚したことで国民の怒りが爆発。
連立与党から離反者が相次ぎ、上院の投票で弾劾が決まった。
国民は熱狂して喜んだが、こうした会計処理は実際に前政権まで普通に行われてきたことであり、汚職事件に関与したのは弾劾を主導したテメル副大統領(現大統領)の側だと指摘されていた。
ブラジル国内では、政権を取ることで捜査にストップをかける狙いがテメル氏側にあったのではないかという見方も出ているという。
ちなみにルセフ氏はその後、刑事訴追されたりしていない。
米国やブラジルでは、下院が弾劾発議し、上院が弾劾審理を行う。
どちらも政治家の投票で決まるのだから政治的決定であることは明白だ。
韓国は一院制だから憲法裁判所が弾劾審理を行うことになっているけれど、弾劾という制度の性格が韓国だけ違うわけではない。
憲法裁判所での審理で弾劾が認められるためには「違法性」だけでは足りず、判断基準のあいまいな「重大な違法性」が必要とされているのが弾劾の特徴をよく示している。
クーデターとは違う合法的な手続きだが…
韓国では初代大統領である李承晩が不正選挙に怒った市民や学生たちによる大規模デモに抗しきれなくなって退陣したり、朴氏の父である朴正煕が軍事クーデターで権力の座に就いたり、ということがあった。
それに比べると憲法に明示された手続きで弾劾が行われたことは、今年でちょうど30年となる民主化の成果だと言える。
韓国で「民主主義の勝利」という言葉が語られるのは、こうした意味だろう。
ただし、これをもって「民主主義の勝利」などと持ち上げるのも、実際にはおかしな話である。
理由はどうであれ、自分たちの手で選んだ大統領を任期途中で放逐せざるをえなくなったのは不幸なことであり、とても誇れるものではないはずだ。
朴氏を訴追した国会側の代表者として法廷に臨んだ権性東(クォン・ソンドン)議員=国会法制司法委員会委員長=は宣告公判を受けて、「今回の事件は勝者も、敗者もない。
私たち全てが勝利し、敗北した」と語ったという。こうした落ち着いたコメントが当事者から出てきていることに救いを感じる。
選挙集会で叫ばれた「朴正煕!」
5年前の大統領選を取材していた時、朴槿恵氏の選挙集会に集まった高齢者が「朴正煕!」と叫んでいるのを見て驚かされた。
朴正煕は民主化運動を弾圧した独裁者だが、一般の国民にとっては高度経済成長を成し遂げてくれた恩人でもある。
朝鮮戦争直後に世界最貧国レベルだった韓国に現在の繁栄をもたらした点で、朴正煕の功績は極めて大きい。
私の友人は数年前、70代の父親に「いまの韓国の発展ぶりをどう思うか」と聞いたという。その時に返ってきた答えは「夢みたいだ」だったそうだ。
貧しいけれど希望があった朴正煕時代は、日本で言えば「ALWAYS三丁目の夕日」で描かれた時代のようなイメージである。
朴正煕が殺害されて突然終わりを迎えただけに、きれいな記憶ばかりが思い出されるという面もあるだろう。
その時代を生きた多くの人は、娘に朴正煕を重ね、熱狂的な支持を送ったのである。
一方で、豊かな生活を享受する現代の若者たちは閉塞感にさいなまれている。
1997年の通貨危機を脱するために始まった新自由主義的な経済政策の下で常に競争を強いられ、格差は拡大する一方だ。
正社員と非正規雇用の待遇格差は日本とは比べものにならないほど大きい。
それに正社員になれたとしても、何年も働けるわけではない。
社内での激しい競争にさらされ、大手企業での平均勤続年数は12年にすぎない(韓国の就職情報サイト「サラムイン」が昨年発表した売上高上位100社調査)。
社会の分断を深刻化させた強権政治
朴槿恵氏も5年前の大統領選では格差や福祉問題を前面に打ち出し、分断された社会の再統合を訴えた。
だが、実際の政権運営は父親譲りの強権ぶりで、反対派の声には一切耳を傾けようとしなかった。
反対勢力は力で押しつぶし、側近でも意に沿わない言動があれば容赦なく切り捨てた。
韓国では朴正煕が独裁色を強めた70年代のことを「維新時代」と呼ぶのだが、朴槿恵政権下では「維新時代でもあるまいし」という言葉がよく聞かれた。
一方で、経済政策などは全くといっていいほど実績を残せなかった。
政策を立案しても、野党の抵抗で実現できなかったのである。
韓国の大統領は「帝王的」とも称されるが、それでも政策実現のためには国会の協力が必須となる。
朴氏のスタイルで野党から協力を得るなど、とうてい不可能なことだった。
父親の時代とは環境が違うのに、朴氏は父の影を追うことしかできなかった。
結局、もともと深刻だった社会の分断は朴政権下でより深刻化した。
朴氏に対する逆風が猛烈なものとなった背景には、こうした政権運営に対する怒りも大きかった。
疑惑が発覚した際にきちんと謝罪し、説明を尽くそうとする態度を見せていれば、こんなことにはならなかったのではないか。
そう言われることもあるが、朴槿恵という人物にそうした対応を求めることは無理だったのだろう。
一部省略
大統領弾劾の普遍性と特殊性を考える
澤田克己 (毎日新聞記者、前ソウル支局長)
憲法秩序を守るために必要だった「弾劾」
韓国の憲法裁判所は、財閥から出資させた財団を通じて崔順実(チェ・スンシル)被告に不当な利益を得させるために大統領の職権が乱用されたことなどを認定した。
さらに、朴氏が問題の発覚後も疑惑を否認し続ける一方で、真相究明に協力すると繰り返しながら実際には捜査に非協力的だったことを批判。
そのうえで、「被請求人(朴氏)による一連の言動からは、法に反する行為が繰り返されないようにする憲法守護の意思を読み取れない」と断じた。
そして、「被請求人の法に反する行為が憲法秩序に与える否定的影響と波及効果は重大であることから、被請求人を罷免することによって得られる憲法守護の利益は圧倒的に大きい」と結論づけた。
国会は弾劾理由としてセウォル号事故対応での職務怠慢や公務員人事権の乱用なども挙げたが、憲法裁によって退けられた。
同じく国会が訴追理由とし、特別検察官も立件したサムスンがらみの贈収賄事件については、憲法裁は判断を示さなかった。
結果として、必要最低限の事件について違法性を認めたうえで、疑惑発覚後の朴氏の対応を重視したといえるだろう。
憲法秩序を守るという観点から見れば、大統領を職にとどめるより辞めさせた方がいいという判断である。
世論は圧倒的に弾劾賛成であり、昨年秋以降の退陣要求集会の熱気などを見れば、弾劾請求が棄却されたら大混乱に陥ることが確実だった。そういったことまでを考えれば、事態収拾には弾劾を認める以外の選択肢はなかったとも言えそうだ。
事態を深刻化させた崔被告のイメージ
崔被告を巡る事件の実態はこれから刑事裁判で解明されることになる。
ただ、事件の態様や規模としては特別に奇異なものではない。
大統領の関与がどれだけあったかにもよるが、それでも現時点で受ける印象は「過去の政権のスキャンダルと本質的に大差ないのではないか」というものである。特に、韓国世論が沸騰した契機である「演説草稿文を事前に見せていた」というのは微罪にしかならない。
だが、世論の反発は尋常ではなかった。
これはやはり、崔被告が伝統的支配階層のイメージから掛け離れていたことに最大の理由があるとしか考えられない。
儒教支配の長かった朝鮮半島の社会においては学問を修めた文民エリートによる統治が当然視されている。
それなのに、新興宗教の教祖を父に持ち、あやしげなイメージをまとった崔被告が大統領を背後から操っていたという。
それが、韓国社会に大きな衝撃を与え、結果的に大統領弾劾という悲劇につながったように思われる。
韓国の朴槿恵大統領が罷免された。
日本の感覚では不思議な面の多かったプロセスではあるものの、弾劾は憲法に定められた手続きである。
これからは大統領選や次期政権の行方に焦点が移ることになるが、その前に弾劾が認められた背景を振り返っておきたい。
私は今まで韓国司法に対して批判的な記事も書いてきた。
今回の事態でも、韓国の検察や特別検察官による一連の捜査には無理が目立った。
今後の公判では、無罪判決が相次ぐ事態もありうるだろう。ただし、弾劾審理については事情が少し違う。「司法の暴走」や「世論への迎合」と批判するのは簡単ではない。
弾劾制度は、14世紀の英国に起源を持つ。
国王の任命した大臣を議会が罷免するために始まった。
現代においても、弾劾というのは「公職を剥奪するか否か」を問うものにすぎず、刑事罰に問えるかどうかは関係ない。
韓国の憲法裁判所も今回の決定文で「弾劾の決定は対象者を公職から罷免することであり、刑事上の責任を問うものではない」と明示した。
これは各国共通の原理だ。
米国の正副大統領などに対する弾劾について定めた合衆国憲法第2条第4節は訴追事由を「反逆罪、収賄罪その他の重大な罪または軽罪」としている。
「軽罪」というのは原文では「Misdemeanors」である。辞書で引くと、硬い表現としての「不行跡、不品行」と法律用語としての「軽犯罪」となっている。
「弾劾」はそもそも政治的だ
昨年罷免されたブラジルのルセフ大統領にしても、下院による弾劾訴追の理由は政府予算の赤字を隠すために不正な会計処理をしたというものだった。
ルセフ氏は慣例に従っただけだと主張したが、経済の急激な落ち込みと与党幹部の多くが関与した前政権時代の大型汚職事件が発覚したことで国民の怒りが爆発。
連立与党から離反者が相次ぎ、上院の投票で弾劾が決まった。
国民は熱狂して喜んだが、こうした会計処理は実際に前政権まで普通に行われてきたことであり、汚職事件に関与したのは弾劾を主導したテメル副大統領(現大統領)の側だと指摘されていた。
ブラジル国内では、政権を取ることで捜査にストップをかける狙いがテメル氏側にあったのではないかという見方も出ているという。
ちなみにルセフ氏はその後、刑事訴追されたりしていない。
米国やブラジルでは、下院が弾劾発議し、上院が弾劾審理を行う。
どちらも政治家の投票で決まるのだから政治的決定であることは明白だ。
韓国は一院制だから憲法裁判所が弾劾審理を行うことになっているけれど、弾劾という制度の性格が韓国だけ違うわけではない。
憲法裁判所での審理で弾劾が認められるためには「違法性」だけでは足りず、判断基準のあいまいな「重大な違法性」が必要とされているのが弾劾の特徴をよく示している。
クーデターとは違う合法的な手続きだが…
韓国では初代大統領である李承晩が不正選挙に怒った市民や学生たちによる大規模デモに抗しきれなくなって退陣したり、朴氏の父である朴正煕が軍事クーデターで権力の座に就いたり、ということがあった。
それに比べると憲法に明示された手続きで弾劾が行われたことは、今年でちょうど30年となる民主化の成果だと言える。
韓国で「民主主義の勝利」という言葉が語られるのは、こうした意味だろう。
ただし、これをもって「民主主義の勝利」などと持ち上げるのも、実際にはおかしな話である。
理由はどうであれ、自分たちの手で選んだ大統領を任期途中で放逐せざるをえなくなったのは不幸なことであり、とても誇れるものではないはずだ。
朴氏を訴追した国会側の代表者として法廷に臨んだ権性東(クォン・ソンドン)議員=国会法制司法委員会委員長=は宣告公判を受けて、「今回の事件は勝者も、敗者もない。
私たち全てが勝利し、敗北した」と語ったという。こうした落ち着いたコメントが当事者から出てきていることに救いを感じる。
選挙集会で叫ばれた「朴正煕!」
5年前の大統領選を取材していた時、朴槿恵氏の選挙集会に集まった高齢者が「朴正煕!」と叫んでいるのを見て驚かされた。
朴正煕は民主化運動を弾圧した独裁者だが、一般の国民にとっては高度経済成長を成し遂げてくれた恩人でもある。
朝鮮戦争直後に世界最貧国レベルだった韓国に現在の繁栄をもたらした点で、朴正煕の功績は極めて大きい。
私の友人は数年前、70代の父親に「いまの韓国の発展ぶりをどう思うか」と聞いたという。その時に返ってきた答えは「夢みたいだ」だったそうだ。
貧しいけれど希望があった朴正煕時代は、日本で言えば「ALWAYS三丁目の夕日」で描かれた時代のようなイメージである。
朴正煕が殺害されて突然終わりを迎えただけに、きれいな記憶ばかりが思い出されるという面もあるだろう。
その時代を生きた多くの人は、娘に朴正煕を重ね、熱狂的な支持を送ったのである。
一方で、豊かな生活を享受する現代の若者たちは閉塞感にさいなまれている。
1997年の通貨危機を脱するために始まった新自由主義的な経済政策の下で常に競争を強いられ、格差は拡大する一方だ。
正社員と非正規雇用の待遇格差は日本とは比べものにならないほど大きい。
それに正社員になれたとしても、何年も働けるわけではない。
社内での激しい競争にさらされ、大手企業での平均勤続年数は12年にすぎない(韓国の就職情報サイト「サラムイン」が昨年発表した売上高上位100社調査)。
社会の分断を深刻化させた強権政治
朴槿恵氏も5年前の大統領選では格差や福祉問題を前面に打ち出し、分断された社会の再統合を訴えた。
だが、実際の政権運営は父親譲りの強権ぶりで、反対派の声には一切耳を傾けようとしなかった。
反対勢力は力で押しつぶし、側近でも意に沿わない言動があれば容赦なく切り捨てた。
韓国では朴正煕が独裁色を強めた70年代のことを「維新時代」と呼ぶのだが、朴槿恵政権下では「維新時代でもあるまいし」という言葉がよく聞かれた。
一方で、経済政策などは全くといっていいほど実績を残せなかった。
政策を立案しても、野党の抵抗で実現できなかったのである。
韓国の大統領は「帝王的」とも称されるが、それでも政策実現のためには国会の協力が必須となる。
朴氏のスタイルで野党から協力を得るなど、とうてい不可能なことだった。
父親の時代とは環境が違うのに、朴氏は父の影を追うことしかできなかった。
結局、もともと深刻だった社会の分断は朴政権下でより深刻化した。
朴氏に対する逆風が猛烈なものとなった背景には、こうした政権運営に対する怒りも大きかった。
疑惑が発覚した際にきちんと謝罪し、説明を尽くそうとする態度を見せていれば、こんなことにはならなかったのではないか。
そう言われることもあるが、朴槿恵という人物にそうした対応を求めることは無理だったのだろう。