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昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃

2022-06-10 17:24:09 | 日記

昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃

2020.10.16 更新 ツイート

#3

政治的な立場を異にする者ほど、三島の行動力に心を打たれる。野坂昭如もそのひとりだ。【再掲】中川右介

中川右介著『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書)――日本全体が動揺し、今なお真相と意味が問われる三島事件。

文壇、演劇・映画界、政界、マスコミ百数十人の当日の記録を丹念に拾い時系列で再構築、日本人の無意識なる変化をあぶり出した新しいノンフィクション。

 

第二章 真昼の衝撃

*   *   *

野坂昭如

作家野坂昭如(あきゆき)はこの年、四十歳だった。三島の五歳下になる。

早稲田大学文学部仏文科に入学したのが一九五〇年。

在学中から三木鶏郎(とりろう)事務所で働き、最初は経理を担当していたが、文芸部所属となって、放送作家やCMソング作詞家となり、早稲田大学は中退する。

昭和一桁世代で早稲田中退はマスコミ業界に多い。

一九六三年に『エロ事師たち』で作家デビューし、一九六七年に『火垂(ほた)るの墓』『アメリカひじき』で直木賞を受賞した。

「焼跡闇市派」であり、三島と政治信条は異なっていたが、親しくしていた。

この日、野坂は自宅で日本経済新聞から依頼された原稿を書いていた。

三島が「行動学」、野坂が「逃亡学」と、それぞれテーマを与えられて、論戦するかたちの企画だった(三島は原稿を書かなかったようだ)。

昼少し前、新聞社からの電話で事件を知った。

《はじめは嘘だと思い、しつこく確かめると、電話の主は、「じゃとにかくTVを観て下さいよ」といい、電話でやりとりしているうちは、まあ半信半疑だったが》、受話器を置いた途端、野坂は信じた。

三島が日本刀をふるってと教えられたためだった。

《他の誰が、こんな古めかしい武器で、しかも白昼堂々と、目標はいずれにせよ、襲うはずがない。》

テレビのスイッチを入れたが、なかなか画像が出ない。

チャンネルをまわしていると、フジテレビのところで、「フーム。すると三島さんはまだ中にいるんですね」との声が聞こえた。

すぐに画像が出て、アナウンサーらしき男が電話に聞き入っていた。

《男はやがて正面を向くと、何度もくりかえした口調で、「今日午前十時二十分〔午前十一時二十分〕、

小説家三島由紀夫氏ら楯の会会員数名が、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入、総監をしばり上げた後」と経過を報告し、最後に、「三島氏は切腹しましたが、その生死は不明です」と言った。》

テレビが三島は亡くなったと報じたり、それを訂正したり、またさらに訂正して、混乱している間、野坂は同世代の何人かの知人に電話をし、そのうろたえ方を確かめるという悪趣味なことをしている。

といっても、野坂独特の偽悪的な書き方なので、実際のところは分からない。

《旅館の主人、新聞記者、商社マン、教師、織物会社社長など、果して異口同音にうなり声を上げ、いったん電話をきって、またかけ直すといい、一人が受話器をとったままTVをつけて、ぼくは電話ごしに、三島さんの死を知った。

切腹までは、興奮状態だったのに、いざ死を告げられると、げんなりしてしまい、ただ陰鬱(いんうつ)な気持で、あらためてビール片手にTVの前へすわりこみ、やがて新聞社や雑誌社から意見具申せよとのお達しが、とどきはじめたが、逃亡学の権威としては逃げの一手、ひたすらある種の感動に身をゆだねていた。》

野坂は、その感動をこう説明する。

《人間が死を賭して何ごとかを為す場合、事の理非曲直を問わず、ぼくはつい背筋にしびれが走る。TVでさまざまに解説していて、楯の会がクーデタをもくろんだやら、また三島さん自身の言葉、去年十月二十一日の強力な警察力動員による反体制勢力鎮圧の成功により自衛隊の治安出動は今後あり得ず、ひいては憲法改正のチャンスを失ったとする考え方も、ただ奇妙にしか感じなかったが、とにかく、自らの言葉に責任をとって、いさぎよく死んだという事実に、うたれてしまう。》

政治的な立場を異にする者ほど、三島の行動力に心を打たれる。野坂もそのひとりだった。

夕方までに、野坂はビールを十二本あけたと書いている。
 

 

 ダイエー赤羽店
 この日のダイエー赤羽店の様子を、後にノンフィクション作家の佐野眞一は、『カリスマ──中内㓛とダイエーの「戦後」』でこう綴る。

 《三島が市ヶ谷台のバルコニーの上から、

「このままいったら『日本』はなくなってしまう。かわりに、からっぽで抜け目のないだけの経済大国が極東の一角に残るだけだ」と絶叫しているとき、三島が唾棄してやまなかった““商人国家””の大衆は、観念の自家中毒に陥って切腹した作家をあざ笑うように、格安のカラーテレビを何とかあてるべく、回転式抽選器をガラガラと回していたのである。》

 佐野は、この日、赤羽にいて、この光景を見ていたわけではない。二十数年後に調べて書いたのだ。

 佐野自身はこの年、二十三歳。早稲田大学第一文学部卒業後、「新宿大ガード近くの小さな出版社」(勁文〈けいぶん〉社のことと思われる)にいた。

 会社にいた佐野は、昼頃、外回りから帰って来た営業部員から事件を聞いた。カーラジオで臨時ニュースを流していたというのだ。あわてて、テレビをつけた。

 《まだその段階では市ヶ谷の自衛隊に乱入したという情報だけで、生死についてはわからなかった。ほどなく割腹自殺したというニュースがテレビで報じられたとき、私はいいしれぬ衝撃を受けた。》

 佐野は高校時代から三島を愛読していたのだ。

 この日の後、佐野は三島作品をほとんど読まなくなる。だが、

 《現在にいたる私の仕事の核に、私自身もわからないあの日の衝撃があることは確かである。》

 


 

 文化放送
 堤清二が出演した緊急座談会は一時間ほどで終わった。

 堤はスタジオを出た。玄関ホールにあるテレビには、三島がバルコニーから自衛隊員に向かって演説している姿が映っていた。それが生放送なのか、録画なのかは分からなかった。

「三島由紀夫が自害したようです」

 と誰かが叫んだ。堤は茫然自失のまま、文化放送を後にして、池袋の西武百貨店の事務所に向かった。

 

 市ヶ谷、自衛隊駐屯地


 佐々淳行(さっさあつゆき)が、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に着いた時は、すべてが終わっていた。

「後の祭り」と佐々は後に書く。

 佐々は所轄署である牛込警察署の三沢由之署長の説明を受けながら、三島と森田の遺体に近づいていった。

その時、足元の絨毯(じゅうたん)が「ジュクッ」と音をたてた。

二人の遺体から流れ出た血液の血溜まりに足を踏み入れてしまったのだ。

東部方面総監室の床には、真紅の絨毯が敷き詰められていたので、その赤と血の赤との区別がつかなかったのだ。

 佐々は《あの靴裏の不気味な感触は、四半世紀経った今でも忘れられない》と書いている。
 

 

 総理大臣官邸


 佐藤総理大臣は商工会連合会の大会での挨拶を終えると、総理大臣官邸に戻り、昼食をとった。

その席で事件を知った。官房長官保利(ほり)茂と共に沈痛な空気のなかでの食事となった。

 佐藤は三島とは何度も会っていた。公邸に招いて食事をしたこともあった。それだけに、意外だった。

 佐藤の日記にはこうある。

 《丁度十一時半頃警視庁からの連絡で、市ヶ谷自衛隊総監本部に暴漢乱入、自衛官陸佐等負傷の報あり。一時間後には、この連中は楯の会長三島由紀夫その他ときいて驚くのみ。気が狂ったとしか考えられぬ。詳報をうけて愈々判らぬ事ばかり。三島は割腹、介錯人が首をはねる。立派な死に方だが、場所と方法は許されぬ。惜しい人だが、乱暴は何といっても許されぬ。》
 

 椎根和


 雑誌「an・an」の編集者椎根和(しいねやまと)は、昼過ぎに電話で起こされるまで自宅で寝ていた。

それはいつものことだった。

夕方から出社し、深夜まで仕事をするというのが、椎根の出勤パターンだった。

特に十一月下旬は十二月に発売される新年号の入稿のため、雑誌の編集者は一年で最も忙しい。

椎根も前日の夜遅くまで、正確にはこの日の午前四時まで仕事をし、その後に新宿西口で飲み、自宅に着いて寝たのは午前九時だった。

 椎根はこの年、二十八歳になる。

早稲田大学を卒業した後、婦人生活社に入り、「婦人生活」誌で皇室記事の担当をしていたが、一九六七年に平凡出版(現・マガジンハウス)に転職し、「平凡パンチ」の編集部に入った。

当時の平凡出版は「月刊平凡」「週刊平凡」がともに百万部を誇り、一九六四年に青年向きに創刊された「平凡パンチ」も百万部を突破し、社員は年四回のボーナスをもらっていた。

 椎根は「平凡パンチ」の編集者だった一九六八年四月に初めて三島にコンタクトをとり、以後、何度も取材をしたり、エッセイを書いてもらったりしていたのだ。

そして、創刊される「an・an」に異動になった。そんな関係があったためか、三島は「an・an」創刊にあたって、メッセージを寄せている。

 電話はフリーライターの三宅菊子からだった。三宅は女三代がもの書きという家系の女性だった。

祖母が小説家で評論家でもあった三宅やす子、母が作家の三宅艶子(つやこ)だ。

三宅菊子はフリーライターとして、平凡出版の雑誌、「週刊平凡」などに書いていた。「an・an」には創刊号から関わっている。

 三宅は「テレビ見て、三島が自衛隊で……」と椎根に言った。椎根はテレビをつけた。

 《バルコニーで演説している三島の姿が、くり返し放映されていた。テロップは、割腹……、死亡……、と報じていた。


 ぼくはテレビにむかって、「ほらみろ、三島の対談をやっとけば、アンアンは、バカ売れしたのに……。チャンスを逃がしたじゃないか……」と、木滑編集長に対する怒りをはきだし、すぐベッドにもぐりこんで、また寝た。》

 当時の「an・an」編集長は木滑良久(きなめりよしひさ)。伝説となっている名編集者だ。

 椎根は「an・an」新年号のための企画として、三島と、当時人気絶頂だった女優の藤純子(じゅんこ)(現・富司純子〈すみこ〉)との対談を企画した。

 だが、四十五歳の人気作家と二十四歳の人気女優の対談を木滑は却下した。

「三島の人気のピークは過ぎた」

「人気の過ぎた人を出すと、雑誌が古くさくなる」というのが、その理由だった。

これが、九月のことである。芸能界に精通し、大衆の人気というものに対し独特のカンを持ち、数々の伝説をつくってきた木滑の言うことなので、椎根は従わざるをえなかった。

 こうした背景があっての、受話器に向かっての椎根の言葉だった。受話器の向こうにいるのは、木滑ではなく三宅なのだが、すぐに木滑にも伝わったのではないか。

 

 

 神田・神保町
 東京・神田神保町の古書店、山口書店の店主山口基(もとい)は、テレビでニュースを知った。

 山口は後に三島由紀夫の年譜や文献情報についての著書も出す三島研究家でもある。

 通っていたジムが近いことから、三島がよくこの店に立ち寄り、親交が始まった。

 《私は直ちに店を閉めて、市ヶ谷へ駆けつけようとした。しかし、それでどうすることができるのか。私が今、ほんとうにやらなければならないことは何であろうか。私は店頭のウインドーの中にあった氏の著書をすべて奥へ引っこめ、かわりに氏の遺影に菊花をそなえ、あわせてそのライフ・ワークの『豊饒の海』三冊を飾った。》

 

 全四巻となる『豊饒の海』だが、この日、最終章の原稿が新潮社に渡されたわけで、当然、まだ第四巻は本になっていない。だから、三巻までしかなかった。

 ニュースが流れてから、新刊書店はもちろん、古書店にも多くの客が三島の本を求めてやって来た。

山口の店にも多くの客が訪れ、三島の本を求めた。

だが、山口は、一切、売らなかった。

「本を売るのが商売だろう」と怒る客もいた。「バカな奴だ」と言う同業者もいた。

 《しかし、私は誰に何といわれようとも三島氏の死を商売のタネにすることはできないのである。》

 山口の決意は固かった。


李明博元大統領にサムスン副会長まで?…尹大統領、反対世論押し切って赦免進める構え

2022-06-10 15:45:40 | 日記

李明博元大統領にサムスン副会長まで?…尹大統領、反対世論押し切って赦免進める構え

配信

 

ハンギョレ新聞

光復節を機にイ・ジェヨンら財閥トップの大々的な赦免行うとの見通しも

 

今月10日で就任1カ月を迎える尹錫悦大統領が9日午前、龍山の大統領室庁舎に出勤している=大統領室写記者団

 
 

韓国新政権は「手ごわいライバル」 神戸大大学院・木村幹教授が指摘する、日本がすべきこと

2022-06-10 12:35:10 | 日記

韓国新政権は「手ごわいライバル」 神戸大大学院・木村幹教授が指摘する、日本がすべきこと

2022/6/4 22:00 (JST)

© 株式会社神戸新聞社

日韓を取り巻く現状について解説する神戸大大学院国際協力研究科の木村幹教授

神戸市灘区六甲台町

 韓国の新大統領に、保守派の尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏が就任し、早々とバイデン米大統領との首脳会談を実現させました。

尹政権には、対北朝鮮政策の転換や、冷え込んだ日韓関係の改善が期待されていますが、韓国研究で知られる神戸大大学院教授の木村幹氏(56)は「新政権が気にするのは、北朝鮮や日本ではなく中国」と強調します。

30年にわたり韓国をウオッチしてきた同氏が「手ごわいライバル」と語る尹新政権。

安全保障政策を加速させる韓国の現状を、解説してもらいました。(聞き手・霍見真一郎)

北朝鮮は緩衝地帯

 -得票率の差が憲政史上最も小さい0.73ポイントと、大統領選は大接戦でした。

尹氏は検事出身で政治経験がなく、所属政党「国民の力」が持つ国会の議席は過半数を大きく割っていますが、なぜ勝てたのですか。

 「勝因は明確で、所得格差の拡大です。実は格差の幅自体は、日本と韓国でそれほど違いません。ただ韓国の問題は、ひずみが20代に集中しているところにあります。失業率のデータを見れば一目瞭然。韓国全体の失業率は4%と先進国の中でも良い方ですが、20代だけで見ると9%にもなります。若年層を中心に、非正規雇用の人も多くいます

 -改革左派の支持者が多い20代で、男性の一部が保守に流れたそうですね。少子化を補おうと政府が55歳だった定年を65歳に伸ばしたことで、なかなか雇用に空きが出ず、若い世代の就職は厳しいとも聞きます。

 「福祉の向上を訴える革新系『共に民主党』でさえ格差の拡大を止められず、失望感が広がりました。そもそも定年延長の背景には、選挙で票田となるベビーブーマーにこびる心理があり、若者の反発につながりました。後期高齢者になろうとしている日本のベビーブーマーと違って、韓国では朝鮮戦争後に生まれているため、10歳ほど若いのです。定年延長のあおりで、日本における東大に当たるソウル大学でも、就職率は70%程度しかありません

 「アカデミー賞を受賞した映画『パラサイト 半地下の家族』でも話題になりましたが、格差は住まいにも広がっています。

ソウル市内のマンション売買価格が投資ビジネスの加熱を受けて上昇を続け、2021年10月には平均12億1639万ウォン、日本円にして1億2000万円を超えました。

これは韓国人1人当たりの年間国民所得の約32.5倍に当たる異常な値です。売買価格が上がると賃貸価格も上昇し、部屋を借りられなくなった人がソウルを出て行かなくてはならない事態も起きています

 -尹氏は対北朝鮮外交について、革新系の文在寅前大統領が進めた融和路線から政策を大きく転換させると話しています。

一方で北朝鮮はミサイル発射実験の頻度を高めており、朝鮮半島情勢の今後を懸念する声も出ています。

 「新政権は、中国に対して強硬姿勢であるのは間違いありませんが、対北朝鮮では強硬姿勢とは思いません。実際、過去の政権で北朝鮮との交渉経験がある人を要職に起用しています。

それに、文氏は対北朝鮮と同様、対中国でも融和的だったと見る人が多いですが、それは違います。

文氏は頻繁に北京訪問などしませんでしたし、朴槿恵元大統領が中国ともめた米軍の最新鋭迎撃システム『高高度防衛ミサイル(THAAD=サード)』を、本格運用したのは文氏なのです」

 「実は、今回の大統領選の結果が朝鮮半島情勢に与える影響はほとんどありません。北朝鮮は韓国にとって、軍事的バッファーゾーン(緩衝地帯)の位置づけです。北朝鮮があることで、中露両国から直接攻め入られることはない。もし北朝鮮自体が攻撃してきても、端的に言えば『勝てる』ということなんです。核は別として、通常兵器であれば、圧倒しています。もし深刻な危機感があれば(南北のラブストーリーである)『愛の不時着』みたいなドラマはできませんよ」

 -同じ民族なのに南北に分断されている北朝鮮と韓国。長年の懸案である南北統一が実現する日は来ることはあるのですか。

 「タテマエでは統一を求める人が多いですが、近い将来での実現可能性を考える韓国人はほとんどいません大統領選を左右したように、韓国では失業率が深刻な問題となっています。もし国境がなくなれば、北朝鮮から大量の労働者が来る可能性があるのです」

ウクライナの衝撃

 -ロシアのウクライナ侵攻が起きた後、東アジア地域の安全保障環境には何が起こっているのですか。

 「少し前まで、世界の関心の中心は、中国の脅威でした。アメリカの目もそこに向いていましたが、ウクライナ後は、地球の裏側に移りました。国際社会はヨーロッパ中心で動いているのだなと改めて痛感しています。韓国はロシアと国境を接しておらず、侵攻に対する関心は、日本と違ってそれほど高くありません」

 「ロシアと中国の違いは、その国力にあります。ロシアは人口減少局面で所得水準が下がりつつあり、中国は現時点は経済的に拡大していっています。ウクライナにロシアが軍事侵攻したのは、経済的に力がないからです。もし経済が強ければ、中国と同じように、武力に頼ることなく影響力に組み込もうとしただろうと思います」

 -北朝鮮は、ミサイルの発射実験を繰り返し、核開発の兆候も見られます。一方、軍備増強を進める中国には、台湾侵攻の可能性を指摘する声があります。両国の軍事政策はどう向かっていくと予測しますか。

 「安全保障環境が中国中心に回っていたのは、国力が上昇局面にあったからですが、その成長が止まりつつあります。北朝鮮は、中国の国力が陰りを見せて周辺状況が不安定化する中、ウクライナ侵攻で苦戦するロシアもあてにならず、自衛のための核戦力に傾注していくと思います。核兵器と弾道ミサイルのセットを持っておけば国を守れると考えるでしょう。いざとなったらワシントンでも北京でも東京でも核ミサイルを撃ち込むぞ、という脅迫はものすごく強力なのです」

 「中国は、北大西洋条約機構(NATO)が後方支援するだけでウクライナが善戦している様子を見ています。台湾有事の可能性を考えた場合、日米などがバックアップすることに加え、台湾自体の強い経済力を考えると、リスクが高すぎて、現時点では中国がとても侵攻できる状態ではないと思います」

 -ウクライナ侵攻後、ヨーロッパでは安全保障の枠組みが激変しています。ドイツのショルツ首相は、防衛費を国内総生産(GDP)の2%超に増額すると表明しました。

 「これは劇的な変化です。ドイツの軍事費がロシアを抜いてしまうことを意味します。核を除けば、これまでの軍事的均衡を変え、ドイツ単独でロシアを圧倒できることになるのです。ドイツは、見方によってはウクライナ侵攻によって(第二次世界大戦の)『戦後』を終わらせたわけです。ロシアの脅威がある中、軍事力を持って何が悪いと。むしろヨーロッパの盾になるのはドイツだと。ウクライナというのは、ドイツ人にとって、まさに『裏庭』といった感覚の場所であり、国民一致でこの方針転換が承認されました。戦後タブーであったものがタブーでなくなりつつあると感じます。これは、日本にも大きな影響をもたらす可能性があります」

 -日米豪印の協力枠組み「クアッド」など、覇権主義的な動きを見せる中国に対抗する連携に、韓国はどう動くと考えますか。

 「韓国にとって、中国は、北朝鮮問題をめぐるライバルです。中国の影響力が強くなれば、北朝鮮は中国の衛星国となってしまい、朝鮮統一は遠ざかる。一方、中国市場は韓国企業にとって魅力的です。そこで朴槿恵氏は米中どちらとも関係を築こうとしましたが、サードの配備をめぐって実質的な経済制裁を受け、中国との関係は冷え込みました。中国に対する強硬姿勢を鮮明にしている尹新政権は、クアッドに入る方針を明らかにしており、米国提唱の新たな経済圏構想『インド太平洋経済枠組み(IPEF)』には、先日の発足時から加入しています

 「東アジアには、東西冷戦期にNATOにあたるものができませんでした。それでもアメリカが強く中国が弱かった時代には、なんとなく両陣営の勢力ラインが決まっていたんです。それが中国の国力が上がり、緩衝地帯で拡大を始めました。もう一度、陣営のエリアを明確にすることが、地域安定化への一歩になるのではないかと思います」

日本の取るべき道

 -日韓関係の現状を、どう見ていますか。テレビで韓流アイドルをよく見るのに、政治面では最近、日韓関係は最悪と言われます。

 「最悪なのは最悪でしょう。両国政府とも対話の意志を失って、お互いが『ボールは相手にある』と何もしない。世論もこの状態で別に構わないと思っている。例えるなら、夫婦げんかしている時より深刻化し、離婚寸前の家庭内別居状態のような感じです」

 「気付かないといけないのは、日本側が強気の姿勢でいったら、向こうが頭を下げてくるという状況は、もはやアジアにおいてはないということ。アジア諸国が20世紀とは比べられないほど大きな力をつけたのです。かつての列強の一番下位にいたのが日本で、かつての植民地の一番上位にいたのが韓国なんです。両者の地位は、昔と違って対等になりつつある。たとえば1981年から2020年の40年間の経済成長率は、1998年を除いた全ての年で韓国が日本を上回っています。物価を勘案した国民1人あたりの国内総生産(GDP)の世界ランキングでは、韓国が28位で27位のイギリスに次ぐのに対し、日本は31位です。日本側が『対話しない』と言うと、圧力をかけているように思うかもしれませんが、実は韓国側にとっては痛くもかゆくもありません」

 -尹大統領は、日韓関係改善に努力すると公言していますが、その狙いはどこにあるのですか。

 「関係を改善しようとしているのは事実ですが、日本そのものが重要なのではありません。あくまでアメリカの同盟国として考え、安全保障上の価値をはかっています。韓国が真剣にアメリカと組もうとしているのに、日本が韓国に対して歴史認識問題を理由に協力を渋れば、孤立するのは日本の方かもしれません。」

 「日本側が完全に解決したと考えているのに対して、韓国側は『例外』と主張する範囲を増やし、日本には韓国側がゴールを動かしているように見えるのです。でも、韓国の行政府は、徴用工をめぐる判決のように、自国の裁判所が出した結論に異を唱えることはできません。今度は自分が訴えられる可能性があるからです。請求権協定には、外交交渉がうまくいかない場合は3人による仲裁委員会を立てると書かれています。これまで日韓1人ずつの委員が決める3人目の委員が決まらず、実現可能性は低いと見られてきました。しかし、ここにきて韓国側は、日本側が嫌とは言えないアメリカを提案してくるのではないかという観測も流れています」

 -ウクライナ侵攻でアメリカの関心がヨーロッパに向き、中国の経済成長も陰りをみせている今、日本は何をすべきと考えますか。

 「インドは日本よりはるかに大きくなり、韓国は互角、インドネシアは急成長中です。日本は人口が減り、経済成長率も伸び悩むなど、自国の国力が弱まっている現状を認識しなければなりません。その上で、東アジアのナンバーツーとして、各国をまとめていけるかどうかが重要です。韓国側は対話をする準備があるというパフォーマンスで、日本にある種の圧力をかけてくるでしょう。アメリカがいない留守を預かり、韓国とうまく関係をつくらないと、サブリーダーは務まりません。その様子は東南アジア諸国も見ています。感情論に流されず、冷静に国益を踏まえて対処することが大切だと思います」