日本と世界

世界の中の日本

見捨てられた日本人:半藤一利「ソ連が満州に侵攻した夏」

2022-06-11 23:41:35 | 日記

見捨てられた日本人:半藤一利「ソ連が満州に侵攻した夏」

| コメント(0) | トラックバック(0)

半藤一利さんの著書「ソ連が満州に侵攻した夏」は、1945年8月9日にソ連が対日参戦して以降日本側が蒙った損害について概括的に記録している。

半藤さんによれば、8月9日以降の僅かの期間に日本軍が蒙った戦死者の数は、ソ連情報局の特別声明をもとに約8万人と推定される。たった一週間でこれだけの人間が殺されたのだ。

この他ソ連は日本人を強制連行してソ連各地の収容所に送り、強制労働に従事させた。

厚生省の調査によれば、将兵56万2800人、官吏、警察官、技術者など1万1700人がシベリアに送られ、そのうち日本に戻れたのは47万2142人、さしひき10万人がソ連で無念の死をとげたことになる。

以上は主として軍関係の被害の概要だが、民間人の蒙った被害も甚大だった。

ソ連参戦当時満州には約150万人の民間人がいたといわれるが、そのうち無事日本に帰国できたのは、約105万人である。

残りの45万人にどういう運命が待ち受けていたか、詳しいことは分からない。

「満蒙終戦史」(満蒙同胞援護会編)は、在満日本人の死者を18万694人と記している。殆どは1945年と1946年に死んでいる。

(在満日本人の引き上げの第一陣は1946年5月15日のことである)


日中戦争後に日本陸軍将兵が受けた意外な対応蒋介石は報復しないと表明、武装保持を命じた

2022-06-11 18:49:37 | 日記

日中戦争後に日本陸軍将兵が受けた意外な対応蒋介石は報復しないと表明、武装保持を命じた

 

広中 一成 : 近現代史研究者 著者フォロー

2021/05/07 17:30

 

泥沼化した日中戦争。終戦後の両軍の動きについて解説します

太平洋戦争が開戦してから今年でちょうど80年。

その陰に隠れがちなのが、日中戦争だ。

1937年に盧溝橋で日中両軍による散発的な戦闘が始まり、その後、全面戦争へと発展。

蒋介石を指導者とする中国国民政府との戦闘終結に向けた話し合いは折り合わず、泥沼の長期戦に突入した。

その中で、日本が太平洋戦争を始めたことで、戦争の中心であった中国戦線は、巨大なアジア太平洋戦線の一角の地位にまで成り下がる。

日本国民の関心も解決の糸口が見えない日中戦争から、アメリカに勝利することを予感させた太平洋戦争へと向けられていった。

アジア太平洋戦争で亡くなった日本将兵の数は、陸軍183万人、海軍57万人の計240万人。

このうち、中国本土で死亡した人数は約46.5万人に上った。

一方、1950年の復員調査によると、終戦時に戦地となっていた日本外地に残る旧日本軍の将兵の総数は274.6万人。

そのうち中国本土にいた将兵の数は、陸軍が104.9万人、海軍が6.3万人だった。

生き残った日本軍将兵の数が、太平洋戦線に比べて中国戦線では圧倒的に多かったことから、日本海軍は太平洋戦争で負けたが日本陸軍は日中戦争で負けていなかったという言説が今日でも聞かれる。

また終戦時、ソ満国境では、満州に侵攻してきたソ連軍が日本軍を武装解除し、帰国させるとだまして、彼らを鉄道でシベリアへ送った(シベリア抑留)。

これと同じく、中国本土でも戦いに勝利した中国軍が日本軍将兵を捕らえて武装解除し、身柄を拘束するなどの措置を採ることも可能だったはずだが、中国本土ではそのようなことが起きなかった。

それはなぜなのか。新著『後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線』を上梓した広中一成氏が、中国戦線に最初から最後までいた名古屋第3師団の動きを基に解説する。

青天の霹靂だった終戦の知らせ

第3師団の将兵は、終戦をどのように受け止めたのだろうか。

8月16日、歩兵第6聯隊速射砲中隊は、以前第11軍司令部のあった岳州にいた。同隊所属の木股喜代治郎によると、この2日前より飛来する敵機から攻撃を受けなくなり、守備をしている日本兵に聞くと戦争が終わったという。

16日早朝、木股ら兵員は洞庭湖を見下ろす丘の上で、聯隊本部に行った中隊幹部の帰りを待っていた。

そのとき、「桂林、柳州の飛行場は既に敵の手中に在り、昼夜を問わず米軍機の来襲は執拗に繰り返えされ、我々の夜行軍と言えども沿道住民の米軍協力に依り決して安全ではなかった。

それなのに早朝から飛来する敵機に警戒もせず、丸坊主の草原の丘に集合する事は出来ない筈なのにと思えば、矢張り戦いは終ったのかと思うと、今迄張りつめていた気持ちが一度に抜けてしまい、生い茂る夏草の上に腰を下ろした」(「無条件降伏」、『歩兵第6聯隊速射砲中隊戦史』所収)。

木股は、終戦の知らせを聞くことなく、米軍機の動きの変化から戦争が終わったことを感じ取っていたのである。

まもなく、中隊幹部が戻り、木股ら中隊将兵を整列させ、中隊長の合図のもと、日本の方角に向かって最敬礼をし、終戦を迎えた。

8月15日、歩兵第68聯隊は、長江下流に面する江西省九江に到達する。

この日、同隊のある兵が九江城内に入ると、出迎えた日本居留民の婦人会の様子がおかしいことに気づく。

まもなく、道端で出会った聯隊の将校から日本が降伏したことを知らされたのだ。

兵は、「『馬鹿なことあるものか、敵のデマ放送だろう』と言い返したものの、全身の力が抜けていくような気がしたり、複雑な気持ちが入りまじって、呆然と立ちどまってしまった」(「終戦と復員」、『歩68五中隊戦史』所収)。

日本の勝利を信じて、長く中国戦線で戦ってきた彼らにとって、終戦の知らせはまさに青天の霹靂であったのだ。

満州の日本人はロシアに抑留 


昭和20年(1945)8月28日、ソ連軍が択捉島留別村に上陸以来、北方四島の島々はすべてソ連軍によって占領

2022-06-11 18:31:33 | 日記

別海町の概要

町の概要

 別海町は、北海道の東部、根室管内の中央部に位置し、東西61.4km、南北44.3kmに広がる町です。
 
東はオホーツク海に面し、根室市、標津町、中標津町、標茶町、厚岸町、浜中町の6市町と接しています。
 
北海道らしい大平原が広がる牧歌的な風景が見られる一方、東部には日本最大の砂嘴である野付半島、南部には風蓮湖があり、3市町(根室市、別海町、標津町)にまたがって野付風蓮道立自然公園を形成するなど、さまざまな景観を有し、自然条件に富んでいます。
 

ソ連軍による占領

 昭和20年(1945)8月28日、ソ連軍が択捉島留別村に上陸以来、北方四島の島々はすべてソ連軍によって占領されてしまいました。

 歯舞、色丹、国後の各島の居住者の中には、ソ連軍の手を逃れて漁船で根室方面に脱出するものが多く、しかし脱出時にソ連軍に発見されたり、あるいは荒波で船が遭難して命を落とした人が相当あったといわれています。

 脱出者数は、終戦当時の北方四島居住者の約半数といわれ、主として北海道の根室支庁管内に近い、歯舞群島、色丹島、国後島の島民の人たちでした。

 しかし、択捉島の場合は島が最も遠く、しかも予期せぬソ連占拠が最初に行われたこと、脱出できるような船が無かったことなどがあり、ほとんどの全島民はソ連軍占領のもとにやむを得ず残留し、以後、ソ連の指導下にあって、心身ともに不自由な生活を余儀なくされることになります。

 私有財産は取り上げられ、自分の土地も畑も使用できず、家畜の馬や牛も奪われ、個人所有の船舶もすべて、戦勝国の名において国有化され、あるいはロシア人の手に渡ってしまいました。

 さらには労働を強制され、今日は海へ、明日は山へと連れ回され、食料も十分に与えられることもなく、もちろん報酬さえろくに支払われないところもあったといわれています。

 残留した島民たちの間には、春になれば帰れる、秋になれば帰れるというあらぬ噂が流れ、そのたびに島民は儚い希望を抱いていました。
 

ドンバスで露残虐傭兵部隊「ワグナー」が壊滅的被害か…米国営紙報じる

2022-06-11 18:11:48 | 日記

ドンバスで露残虐傭兵部隊「ワグナー」が壊滅的被害か

…米国営紙報じる

2022年06月11日 10時42分 コリア・エコノミクス

 

米国防省系メディアであるVOA(ボイスオブアメリカ)は10日、

ウクライナ軍が東部ドンバス地域に展開していたロシア民間軍事企業「ワーグナーグループ」の傭兵基地に壊滅的打撃を加えたとするセルヒ・ハイダイ・ルハンスク知事の発表(10日)を伝えた。

 

ハイダイ知事はこの日、戦況ブリーフィングにおいてこのような内容を明らかにし、「ワーグナーグループの戦闘力はこの地域から事実上除去された状態」と説明した。

特に「基地で生き残った傭兵は一人に過ぎない」と語った。

しかし、具体的な死亡者数や物質破壊の現状などは公開しなかった。

米軍情報当局者はこの日(10日)、VOAとの通話で、ワーグナーグループ基地に大きな被害を与えたというウクライナ側の発表をまだ確認できる段階ではないと明らかにした。

ただし、ワーグナーグループがドンバスでの戦闘に積極的に参加してきたため、ウクライナ軍の打撃目標になってきたことは確かだと述べている。

同当局者は「ロシアが最近、激しい兵力需給不足でシリアやリビアなどからワーグナーグループ所属を含め、傭兵を1万人以上(ウクライナに)連れてきたようだ」と説明した。

この中でワーグナーグループ所属は1千人を超えると推算された。

ワーグナーグループ(Wagner Group)はロシアの大型民間軍事企業だ。

ウラジミール・プーチン大統領の最側近であり、「オリガルヒ(ロシア新興財閥特権層)」のエブゲニ・プリコジン氏が率いている。

ロシアが去る2014年にウクライナの領土であるクリム半島(クリミア半島)を強制合併したとき、メディアに初めて露出されたワーグナーグループは以後、アフリカと中東に活動範囲を広げた。

シリア内戦でも活発に活動した。

組織の特性上、ロシア国防省や総参謀部などの指揮系統に従わず、プリコジン氏を通じてプーチン大統領の命令を直接遂行することが分かっている。

このため、ワーグナーグループを「プーチンの親衛隊」と呼ぶ軍事専門家もいる。

ワーグナー所属の傭兵たちは、今回のウクライナ戦争にも深く関わった。

去る2月24日、ロシア正規軍が侵攻を開始する以前からウクライナの要衝地に浸透し、事前作業などを行ったとVOAは伝えた。

戦争初期には、ワーグナー傭兵たちがボゼレンスキー・ウクライナ大統領暗殺作戦を数回試みて失敗したと、当時ウクライナ当局が発表したことがあるす。

所属傭兵たちの行動が残酷であることで有名で、ウクライナ当局の戦争犯罪者名簿にも多くその名を連ねている。

ウクライナ検察は先月24日、民間人殺害疑惑などでワーグナーの傭兵一人を手配した。

この傭兵は、ウクライナ検察が戦犯と規定して名前と写真を公開し、手配した8人に含まれている。

他の2人はロシアの同盟国であるベラルーシ出身の傭兵であり、残りの5人はロシアの正規軍所属だ。

当該傭兵は、民間人集団虐殺疑惑が浮上したウクライナ首都キーウ付近のブチャ地域住民を拷問し、殺害した疑いを受けている。

ウクライナ検察は写真と映像証拠に基づいて捜査し、有罪を立証する生存者証言などを具体的に確保したという。

そんな中、ウクライナ軍は南ヘルソン一帯からロシア軍に反撃を拡大している。

ウクライナ国防省は10日、「ヘルソン州5都市圏周辺の敵陣地と野戦基地、そして装備と人材集結地を空襲した」と発表した。

ウクライナ国防省は前日(9日)にも「ヘルソンで反撃を加えて一部領土を修復した」と発表したことがあります。

また、「ロシア軍はかなりの人材と装備を失っただろう」と付け加えた。

ウクライナ国防省は先日まで東部のドンバス一帯戦況を中心にブリーフィングしていたが、最近数日間は南部戦線の状況を詳細に公開している。

ヘルソン州は、2014年にロシアが強制併合したクリム半島と近接した地域だ。

特にクリム半島に飲料水や農業用水を供給する北クリム運河があり、ロシア軍が開戦直後に最初に占領した場所でもある。

VOAは現地メディア報道を総合すると、ウクライナ軍はミコライウ州とヘルソン州の境界にあるイングレッツ川の南側に橋頭梁を設けたままロシア軍を相手に激戦を繰り広げていると把握されると伝えた。