いろいろな定義で様々に使われており、意味として重複したり異なったりしますが、どうやら「市民」は「市」+「民」ではなさそうな気がします。
- 市民団体(組織)
- 非営利団体(組織)
- 非政府団体(組織)
- 市民ランナー
- 国民・県民・市民・町民・村民
- 市民代表
- 公民
- 市民社会
- 市民の権利
など、言葉自体が雑多なようで、まだ、整理整頓されていない、とみました。
市民ランナーですが
- 実業団、つまりどこかの企業・公共団体などに属し、仕事をしながらあるいはせずに、競走に専念する人たちが実業団ランナー
- それ以外の、仕事を別にもち、夜や休日に練習をする個人選手のことを市民ランナー
と呼ぶらしいのですが、どうも「市民」にひっかかります。どこかの企業に所属していると「市民」にはなれないらしい(笑)。
国際大会(オリンピックなど)に
参加する人たちの多様化がみられる時代ですが、まだ競技によっては、団体が既得権を守りたいがために妙な制約・規則を残していているかもしれません。これに加えて、これらが政党の票集めに利用されているのならば、一刻もはやく透明な組織に移行しなければなりません。
実業団所属選手には食事・体調・練習などの管理を担当する専属コーチがつくため、あらゆる面で有利なはずなのに、企業が宣伝効果という実利主義に走るあまり、その分野のスポーツをやりたいと願っている一途な選手を妙に縛ることがあったり、選手の側にもサラリーマン根性が芽生える、など問題はありそうです。
それゆえ、経済的・管理面で恵まれないけれども、個人で国内大会へ自由に参加する人の方が好成績を出す例がみられるようになりました。いわば、スポーツ選手のありかたに多様性がみられるようになったわけです。そうならば、一刻も早く組織の見直しが必要でしょう。
所属企業の業績そのものが低迷したため廃部される例もあり、実力があったのに涙を呑んで選手生活を終えた人も多かったことでしょう。
また業界団体が、既得権を守ろうとするあまり管理部門のトップに天下りを受け入れ、組織の存続が最優先されてしまい、いい選手を排出するという大目標を見失うなら、大会参加の決まりそのものを、全面的に見直さねばなりません。
一番いい例がバレーボールやカーリングに見られました。
古い話ですが、東京オリンピックの女子バレー(東洋の魔女)で優勝した日本代表のほとんどが実業団所属の選手だったようで、広く日本全体から日本代表レベルを選定できる仕組みができあがっていなかったのでしょう。一企業の選手が日本代表を占めるよりも、日本全体から広く能力のある選手を集めるほうがいいのに決まっています。
カーリングでは、少し前なら「チーム青森」、最近の例では「北海道銀行チーム」が、ほぼそのまま日本代表となっているようですが、これなら東洋の魔女レベルと言わざるを得ません。「いやカーリングはチームワークの勝負だから」というのでは、ほかの団体競技の「チームワーク」を軽んじていることになります。チーム対抗の国内大会の場合ならやむを得ませんが、日本代表となって国際大会で戦う場合に同じチームから優れた選手ばかりを出せるとは限りません。多様化をみすえて、組織を改編する必要があるでしょう。
実業団に属さない市民ランナーにも道を開き、1企業の選手ばかりで日本代表となることがないような改善がみられるなら、日本のスポーツ界に、輝かしい未来が約束されることでしょう(笑)。
参考サイト
その1〔webR25〕
その2〔Wikipedia〕
その3〔Sprotiva〕