気持ちの整理はまだつかないけど……
今日はゴジラと関係のない話をします。
プロレスラー三沢光晴選手が亡くなって3週間が経ちました。
今でも実感はありません。
また試合を見に行くと、ちゃんとリングに立っている姿が見られると錯覚してしまいます。
私は幼少の頃からプロレスが好きでした。
今でも最も尊敬する人はジャイアント馬場さんです。ゴジラと同じぐらい大好きです。
これまで数えきれないほど試合を見に行きました。ですから自然に馬場さん以外にも多くの選手に注目するようになります。
田舎から上京してから初めて都内で見た試合がまだ若手の三沢選手でした。素人目にも運動神経の良さが目を引き、私と同じ歳と言う事もあり、いつも気になる選手でした。
当時勤務していた会社で縁があって、偶然にも当時の全日本プロレスの事務所に頻繁にお邪魔できるようになり、何人かの選手の「凱旋帰国」の垂れ幕やポップ等の制作のお手伝いをさせていただくようになりました。そんな中、2代目タイガーマスクのデビューが決まり、正体はバレバレでしたから「あの若手がタイガーになって帰ってくるなら何としても見に行かなくては!」と。当日体調を崩して高熱の状態でしたが、それでもどうしても生で見たくて見に行ったのを今でも覚えています。
その後、会社を退社することになり、全日本プロレスとはこれでもう縁がなくなるのかな…と思っていた所、次に入ったデザイン事務所がまた偶然にも当時の全日本プロレスのパンフレットのデザインを担当している所でした。縁があるんだな……と驚くばかりです。
プロレス好きと言う事もあってすぐにそのパンフレットのデザインをさせてもらえる事になり、楽しい思いをさせていただきました。当時は三沢選手を中心とした四天王時代のスタートの頃です。人気も高く、年6回の武道館大会も常に超満員、その武道館ではその日一日だけの特別版の豪華パンフレットがレギュラーパンフとは別に作られ、私は主にそちらを担当する事が多くありました。今でも関わったパンフレット類は宝物です。
馬場さんは別格として主力の四天王(特に三沢選手)の写真は大きく載せる事が多いので、思い入れも強くなります。
いつの間にか三沢選手は、私にとって試合を見ていて馬場さん以外では一番応援する選手になっていました。
何度も試合でハラハラドキドキさせられました。そしてそれ以上に感動をもらいました。
「三沢ががんばっているからオレも負けられない!」勝手ながら自分をオーバーラップさせていたのかもしれません。
さらにはだいぶ後になって気がつくのですが、一方的に人生のライバル・目標だと決めていたのかもしれません。
約5年勤めたその会社も辞め、今の羽沢組を立ち上げたのですが、これで仕事として全日本プロレスとは縁がなくなりました。
それでも時間があれば都内の試合を見に行っていましたし、全くプロレスそのものと関わらなくなったわけではありません。
他の仕事でも某プロレスゲームの攻略本のデザインやイラストを担当させていただき、彼がモデルのキャラクターの絵を書くのも楽しい仕事でした。また、そのゲームの中で好きなキャラを主人公にしていいからマンガを書いてくれという依頼でも、迷わず彼がモデルのキャラクターを主役にして書いた事もあります。
そんな頃、馬場さんがなくなり、三沢選手も全日本を辞めてNOAHを旗揚げしました。
ますます「三沢ががんばっているからオレも負けられない!」と強く思うようになりました。
私にとっての常に高い目標でした。
三沢さん、プロレスラーの手はみんなゴツゴツして堅いけど、貴方の手だけは大きさも手のひらの柔らかさも私とさほど変わらなくて握手した時に妙に親近感を覚えたんですよ。
三沢さん、タイツの色がグリーンなのは公式にはホースト・ホフマンの影響という事になっているけど、本当はミラーマンガ好きだからグリーンとシルバーにしているのは怪獣好きにとっては嬉しいんですよ。
三沢さん、アニメや特撮が大好きだったんだからたくさんそんな話をメディアでもっと話してほしかったんですよ。
三沢さん、貴方と撮った写真はずーっと大切に宝物にしているんですよ。
そして三沢さん、これからもやっぱり貴方は高い目標です。
何かしらのプロとしての覚悟やプライドも、人間力の器としても。
ありがとう……どうぞ安らかに。
今日はゴジラと関係のない話をします。
プロレスラー三沢光晴選手が亡くなって3週間が経ちました。
今でも実感はありません。
また試合を見に行くと、ちゃんとリングに立っている姿が見られると錯覚してしまいます。
私は幼少の頃からプロレスが好きでした。
今でも最も尊敬する人はジャイアント馬場さんです。ゴジラと同じぐらい大好きです。
これまで数えきれないほど試合を見に行きました。ですから自然に馬場さん以外にも多くの選手に注目するようになります。
田舎から上京してから初めて都内で見た試合がまだ若手の三沢選手でした。素人目にも運動神経の良さが目を引き、私と同じ歳と言う事もあり、いつも気になる選手でした。
当時勤務していた会社で縁があって、偶然にも当時の全日本プロレスの事務所に頻繁にお邪魔できるようになり、何人かの選手の「凱旋帰国」の垂れ幕やポップ等の制作のお手伝いをさせていただくようになりました。そんな中、2代目タイガーマスクのデビューが決まり、正体はバレバレでしたから「あの若手がタイガーになって帰ってくるなら何としても見に行かなくては!」と。当日体調を崩して高熱の状態でしたが、それでもどうしても生で見たくて見に行ったのを今でも覚えています。
その後、会社を退社することになり、全日本プロレスとはこれでもう縁がなくなるのかな…と思っていた所、次に入ったデザイン事務所がまた偶然にも当時の全日本プロレスのパンフレットのデザインを担当している所でした。縁があるんだな……と驚くばかりです。
プロレス好きと言う事もあってすぐにそのパンフレットのデザインをさせてもらえる事になり、楽しい思いをさせていただきました。当時は三沢選手を中心とした四天王時代のスタートの頃です。人気も高く、年6回の武道館大会も常に超満員、その武道館ではその日一日だけの特別版の豪華パンフレットがレギュラーパンフとは別に作られ、私は主にそちらを担当する事が多くありました。今でも関わったパンフレット類は宝物です。
馬場さんは別格として主力の四天王(特に三沢選手)の写真は大きく載せる事が多いので、思い入れも強くなります。
いつの間にか三沢選手は、私にとって試合を見ていて馬場さん以外では一番応援する選手になっていました。
何度も試合でハラハラドキドキさせられました。そしてそれ以上に感動をもらいました。
「三沢ががんばっているからオレも負けられない!」勝手ながら自分をオーバーラップさせていたのかもしれません。
さらにはだいぶ後になって気がつくのですが、一方的に人生のライバル・目標だと決めていたのかもしれません。
約5年勤めたその会社も辞め、今の羽沢組を立ち上げたのですが、これで仕事として全日本プロレスとは縁がなくなりました。
それでも時間があれば都内の試合を見に行っていましたし、全くプロレスそのものと関わらなくなったわけではありません。
他の仕事でも某プロレスゲームの攻略本のデザインやイラストを担当させていただき、彼がモデルのキャラクターの絵を書くのも楽しい仕事でした。また、そのゲームの中で好きなキャラを主人公にしていいからマンガを書いてくれという依頼でも、迷わず彼がモデルのキャラクターを主役にして書いた事もあります。
そんな頃、馬場さんがなくなり、三沢選手も全日本を辞めてNOAHを旗揚げしました。
ますます「三沢ががんばっているからオレも負けられない!」と強く思うようになりました。
私にとっての常に高い目標でした。
三沢さん、プロレスラーの手はみんなゴツゴツして堅いけど、貴方の手だけは大きさも手のひらの柔らかさも私とさほど変わらなくて握手した時に妙に親近感を覚えたんですよ。
三沢さん、タイツの色がグリーンなのは公式にはホースト・ホフマンの影響という事になっているけど、本当はミラーマンガ好きだからグリーンとシルバーにしているのは怪獣好きにとっては嬉しいんですよ。
三沢さん、アニメや特撮が大好きだったんだからたくさんそんな話をメディアでもっと話してほしかったんですよ。
三沢さん、貴方と撮った写真はずーっと大切に宝物にしているんですよ。
そして三沢さん、これからもやっぱり貴方は高い目標です。
何かしらのプロとしての覚悟やプライドも、人間力の器としても。
ありがとう……どうぞ安らかに。